06-2-2:レネという少女

歌姫は背明の海に

 圧倒的過ぎだろ――シミュレータから出たエディタはトリーネの筐体の前をウロウロと歩き回る。遅れて出てきたトリーネは、そんな様子のエディタに小さく吹き出し、エディタは憮然ぶぜんとした表情を見せた。クララやテレサは、無言でレネの筐体を眺めている。ハンナはオロオロとした様子でエディタたちを見回していた。

 空気を読んだC級クワイアの候補生たちは、早々に部屋を出ていった。V級ヴォーカリストの新人候補生、ロラ・ロレンソとパトリシア・ルクレルクはエディタたちにひとしきりの挨拶を済ませると淡々と出ていった。取り残されたエディタたちは、レネが出てくるのをじっと待っていた。レネの筐体の前にはブルクハルトがいて、何やら話しながら調整作業を行っていた。

「よし、レニー、オーケー。調整完了だ」
「はい、教官」

 筐体の天蓋が開き、レネがひょこっと顔を覗かせた。金茶をポニーテールにし、金色にも見える褐色の瞳を持った利発そうな少女だった。先程の冷徹とも言えるような戦闘指揮をした人物と同じとは思えないほど、優しい表情をしていた。

 ブルクハルトはレネと二言三言言葉を交わすと、すぐにモニタルームへと引っ込んでしまった。つくづく無駄のない人だと、エディタたちは共通の感想を抱いた。

 その時になってようやく、レネはエディタたちからの視線に気がついた。決して友好的とは言えない視線を受けてもレネはたじろぐこともなく、ニコリと笑顔を見せた。

「初めまして、みなさん。改めまして、レネ・グリーグです」 

 エディタの元へ一直線にやってきて、レネはそう言って頭を下げた。

「よろしくお願いします、レスコ先輩。私、レスコ先輩のファンなんです」
「え、わ、私の?」
「まだのお姿しか存じ上げませんけど」
「あんなのは作り物だ」

 エディタは唇を尖らせる。

「たとえそうであったとしても、それもまたレスコ先輩の顔です。ヴェーラやレベッカがそうであるように」
「であるとしても……」
「まぁまぁ、エディタさん」

 トリーネがエディタの首に手を回してニッと笑う。

「あたし、トリーネ・ヴィーケネス。知ってた?」
「もちろんです!」

 レネは差し出された手を握りしめて、目を輝かせる。

「九十二年カルテット、大好きなんです」
「なんか照れくさいね」

 クララが頭を掻きながら呟く。テレサは胸を張って「私たちも捨てたもんじゃないのね」と感想を述べる。

「あたしの事はトリーネちゃんって呼んでいいよ。エディタはエディタでいいと思う。ね?」
「あ、うん。レスコ先輩だとなんか、むず痒い」
「はい。わかりました、エディタ先輩。色々教えていただけると嬉しいです」
「教えられることなんてあるのかな」

 エディタは幾分硬い声音でそう言った。レネは微笑する。

歌姫セイレーンとしては、私のほうが確かに上かもしれませんけど、経験値が段違いですし、戦闘指揮のなんたるかもわかっていませんし。先程のシミュレーションのように圧勝できる状況なら、単純に力押しでいけますけど、そうとばかりもいきませんよね」
「う、うん、そうかな」
「それに私、人に指示だしたり連携を求めたりするのは苦手なんです。どっちかというと指示されて動くほうが得意です」

 レネは難しい表情をしながらそう言った。トリーネが苦笑しながら言う。

「一年入りたてでそこまで自己分析できてる君が怖いよ、あたしは」
「ここに来るまでずっと暇だったので、そういうことばかりしてました」
「施設?」
「はい。戦災孤児なんです。良い施設だったんですけど、勉強以外することもなくて」
「プライベートな話にしちゃってごめんね」
「いえ、トリーネ先輩。私はまだまだ恵まれてたほうです。施設の環境はとても良かったですから」

 レネは頷きながら言う。トリーネはそんなレネの頭をぽんぽんと撫でる。

「戦力としては君が主力になるんだけど、いろんなことはあたしたちを頼って。特にエディタは内向的だし根暗だしすぐいじけるけど、とっても頼りになる」
「おい、トリーネ」
「不器用だし言葉選びも下手くそだけど」
「おい、トリーネ?」
「でも、あたしはエディタをこの上なく頼りにしてる。君もエディタをしっかり使っていくんだよ」
「なんか馬鹿にされたような気がするんだが?」
「嘘は言ってないよ」

 トリーネはそう言うと、エディタの腰に手を回した。

「あと、エディタはあたしの恋人なんだ。知ってた?」
「い、いえ、知りませんでした」

 レネは少し頬を赤らめた。

「そ、そういう関係だったのですね」
「そういう関係ってこと」

 トリーネがレネの鼻の頭に軽く触れる。レネは一瞬たじろいだが、すぐに目を輝かせた。

「す、素敵です! 私の推しが推し同士で恋人関係だなんて!」
「今度ご飯とかお風呂とか行こうよ、まぁ、手近なところで」

 トリーネはウィンクしながら言い、興奮で紅潮しているレネの肩を抱いた。トリーネは左手でエディタの腰、右手でレネの肩を抱く格好になっている。

「ま、今日のところは解散しますかね」

 トリーネは手持ち無沙汰にしているクララ、テレサ、ハンナに視線をやりながら言い、レネを解放した。

「はい! 今後とも、よろしくお願いしますね!」

 エディタたちと連絡先を交換してから、レネは勢いよく頭を下げて弾む足取りで部屋を出ていった。

「すごい子が来たもんだ」

 クララが苦笑しながら言った。テレサはクララと並んでクララの筐体に背中を預けつつ、自分の携帯端末モバイルを眺めている。

「不思議な子ね。アレだけの力がありながらまるで嫌味がない」
「そうだね」

 クララは携帯端末モバイルにレネからの通信を受信する。短い文面だったが、今日のお礼とこれからお願いしますというような内容だった。

「僕たちより、ずっときっちりしてる」

 肩を竦めつつ、クララは言う。その場の他の四人も同意した。

「にしても、入学したてって思えない程の実力だったね。僕たちなんてただの引き立て役だった」
「そんなことないと思うけどなぁ」

 クララの言葉を受けてトリーネが気楽に言う。

「あたしたちがあたしたちの仕事をしたから、レニーたちが好きに動けた。戦闘行動の結果は単機の戦闘力で決まるものじゃないよ。あたしたちが各々の役割を果たす。果たせるようになる。それが重要なんじゃない?」

 腰に回っているトリーネの手に触れながら、エディタは首を振る。

「そりゃそうなんだけど、トリーネ。でもやっぱり衝撃だよ。今日はもうやる気が出ないよ」
「真面目だなぁ」

 トリーネは笑い、エディタから身体を離す。

「やっぱりエディタは良い指揮官になると思う! レニーを上手く使っていくのが大事だよ!」
「なんていうか、指揮官としてはトリーネの方が向いている気がする」

 エディタはつま先で床を蹴りながらぼやく。トリーネはエディタの右手を握り、ブンブンと振った。

「あたしだけじゃない、クララやテレサだって、そう思うでしょ?」
「消極的賛成」

 テレサが苦笑しながら言った。

「だって、私やクララは言わずもがなだし、トリーネはどっちかというと調整役だし。消去法的にエディタしかいないわ」
「だね。僕もそう思う」

 クララはそう言うと右手を上げてエディタたちに背を向けた。テレサと連れ立って部屋を出ていく。

 取り残されたエディタとトリーネは顔を見合わせる。

 トリーネはいつにもまして真面目な表情をしていた。

「みんな、あなたを信頼しているんだよ、エディタ。だからあなたはこの信頼を疑っちゃだめ。それは裏切りになるから。レニーが現れたからといって、それは微塵も揺らがない。たとえD級ディーヴァが出現したとしてもね。歌姫セイレーンの能力は、その人個人への信頼性とは比例しないの」

 トリーネはモニタルームに向かって小さく会釈すると、エディタと腕を組んで歩き始める。

「あー、エディタさん。真面目な話をしたあとで恐縮なんですがぁ」
「う、うん?」
「今夜、めちゃめちゃキスしたい気分なんだけど」
「……声が大きいぞ」

 エディタの白皙の肌が赤く染まる。トリーネはその頬をつつきながら笑う。

「拒否はしないんだ?」
「する理由がない……」
「まじめ!」

 トリーネはそう言って笑った。

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