エディタとレネが出会ってから約二ヶ月後、ヤーグベルテ統合首都全体が雪に包まれ始めた頃、二〇九四年十二月――。
ヤーグベルテ新型戦艦の進水式は、秘密ドックにて極秘裏に行われていた。
「こいつは、なかなか……」
原型となったのは戦艦メルポメネだったが、今ヴェーラの目の前にあるのは、メルポメネとは似ても似つかない全長六五〇メートルに至る超巨大海上構造物だった。
艦の両翼には装甲を兼ねたジェネレータが搭載され、その前部には駆逐艦ほどのサイズのある電磁誘導砲が合計六門も搭載されていた。また、中央の艦体本体の艦首には、大出力のPPCが格納されている。また、中央艦体の上部装甲内には、砲身長五十メートルにも及ぶ口径可変砲が三基九門搭載されている。その他、あらゆる所に対空火器が搭載され、文字通り動く要塞と化していた。完備の方には新機軸のMBHBS機構が採用されている。超小型ブラックホールを複数発生させ、相互に干渉させた際に発生するエネルギーを利用するという核融合すら凌駕するジェネレータだった。
そしてなにより、白銀色の艦全体が流線型の可変装甲で包まれており、その巨大さも相まって「畏怖すべき美」のようなものを見せつけていた。
しかし、どの機構一つをとっても、セイレネスの補助なしにはまともに動かせるものではない。何もかもがヴェーラのために、そしてヴェーラが使うことを前提に用意されたものだった。
「デメテルにはなんだかんだで世話になったものだけど。デメテルは重巡ニ隻に流用されるんだよね」
「そうね」
レベッカは頷いた。ふたりとも白銀の戦艦の威容に圧倒されていた。レベッカは携帯端末で公表スペックを確認してからヴェーラを見た。ヴェーラの隣にはずらりと海軍の将軍たちが並んでいる。彼らもまた、ありきたりな感想を上ずった声で述べあっていた。
「データで見てはいたけど、実物を見ると全然違うわね、印象」
「まったくだ。想像力を超えてたね」
「名実ともにヤーグベルテを象徴する兵器ね、このセイレーンEM-AZは」
「にしたって」
ヴェーラは将軍たちの列から外れて、ドックの建物の方へと向かい始める。レベッカも慌てて後を追う。
「こんなもんに馬鹿みたいな予算をねぇ」
「こんなものでもなかったら、アーシュオンの属国になっちゃうわよ、すぐにでも」
「そっかなぁ」
ヴェーラは釈然としない風で呟く。レベッカはヴェーラの隣に並ぶ。
「Ense petit placidam sub libertate quietem……」
「んー?」
「剣を持ちて、平和を求む。されど、平和は自由の下にのみ顕現す」
レベッカがそう言うと、ヴェーラは足を止めた。そしてマントを払って軽く腕を組み、顎を摘む。レベッカは眼鏡の位置を直してヴェーラを見つめた。
「平和も自由も、力なしには手に入れることも守ることもできない。大昔の格言よ」
「救いがないねぇ、人って。何十世紀同じようなことしてんだか」
ヴェーラは進水式が解散となったのを遠目に確認すると、マントを翻してまた歩き始めた。
「まだ皆さんに挨拶終わってないわよ、ヴェーラ」
「いいんだよ、そんなことは」
「でも」
「きみは本当に形式にこだわるね。でもわたしがこれだからそれでいいんだ」
「ヴェーラ……」
レベッカが足を止めると、ヴェーラは立ち止まってポケットの中をゴソゴソとあさり始める。
「薬?」
「うん。みんなに見られたら、何かと面倒だからさ」
「最近、また、ひどいの?」
「正直言うととてもひどいよ。でも発作は事前になんとなくわかるんだ」
ヴェーラは周囲を素早く確認すると、頓服薬を飲み下す。
「まだ死にたくなる?」
「うん。希死念慮はいつもなんだ。ベッキーがいるから頑張れてる」
「私がもっと」
「ストップ。きみは今のきみでいいんだ。わがままを小言言いながらも聞いてくれるし、甘えさせてもくれるきみでいい。きみがわたしのことで悩んだり苦しんだりしたら、わたしはますます自分を殺したくなる」
「ヴェーラ……」
レベッカはコンクリートで覆われた秘密ドックの空を見た。薄暗い天井がまた、二人の気分を憂鬱にさせた。
「ベッキー、紅茶入りブランデーを飲んでいいよね」
「どうして許可する前提なのよ」
「どうせいいよって言ってくれるでしょ?」
「……一杯だけよ」
レベッカは首を振る。
「そろそろ私にご褒美くれても良いと思わない?」
「わたしの身体?」
「ろ、露骨に言うわね……」
言い負かすつもりがあっさり言い負かされ、レベッカは頬を赤くしながら肩を竦めた。
「いいよ、あげるよ?」
「い、いいわよ。なんかムードがないわ」
レベッカは誘惑に駆られながらも、それを何とか振り払う。
「きみのその忍耐力は称賛と尊敬に値するよ」
ヴェーラはレベッカの左腕を右腕で抱えた。
「きみはわたしを好きにして良いんだ。そういうことだけじゃなくてね。わたしはそのくらい、きみに恩義を感じている」
「え、ええ。そ、そうね。あとで将軍お歴々に頭下げて回る必要もあるしね」
「ごめんね、ベッキー」
「だったら儀式くらい最後までちゃんと参加しなさいよ」
「やだ」
ヴェーラは唇を尖らせた。レベッカは小さく吹き出す。
「って、あれ……」
ヴェーラの声のトーンが一つ下がった。レベッカがその視線を追うと、向かっていた建物の中から、二人の人物が姿を見せていた。ハーディと、もう一人。
レベッカはその人物を知っていた。会ったことはないが、確かに見覚えがあった。
「マリア……」
「ベッキーの知り合い?」
ヴェーラが首を傾げる。レベッカは「ええ、まぁ」と答えを濁した。近づいてきたハーディが、レベッカの様子を怪訝そうに窺っている。
黒髪に暗黒の瞳の持ち主――マリアは、その美しい顔立ちに、ヴェーラたちが思わず魅了されるほどに蠱惑的な微笑を浮かべていた。マリアは右手をヴェーラに差し出しながら言った。
「マリア・カワセです」
「あ、うん。ヴェーラ――」
「お二人のことは、もちろん存じ上げておりますわ。先程正式に、第一艦隊および第二艦隊の作戦参謀長として任ぜられました。今までは第六課と直接やりとりしていただいていたところに、私が挟まる形となります」
「ハブになるってこと?」
「肯定です」
マリアはそう言いつつ、レベッカとも握手を交わして「ついてきてください」と背を向ける。ハーディは無言でマリアに並ぶ。
「私はホメロス社、つまりセイレネスの開発元からの出向で、大佐待遇となっています。私は誰よりもセイレネスを知り尽くしています。歌姫のことも。ですから、私が第六課との間に緩衝材として入るのが最良――軍とホメロス社はそう判断しました」
四人は建物の一番入り口に近い会議室の中に移動する。そこは小さな打ち合わせスペースと呼ぶにふさわしい程度の広さしかなかった。四人は一辺一メートル半ほどの正方形を作るように座る。
ヴェーラは虚ろな瞳でマリアを見つめていたが、やがて諦めたように首を振った。
「やっぱりだ。マリア、きみの内側がまるで見えない」
「ふふ」
マリアは目を細めて笑った。ヴェーラは苛々とした表情で前髪を掻き上げる。
「きみはつまるところ、わたしたちとハーディの仲が良くないことを見て取った軍部が、状況を打破しようとして送り込んできたカードだという認識で合っている?」
その棘のある言葉を受けて、ハーディはわずかに眉を動かした。だが、それ以上は冷徹な表情を崩すことなく、音もなく立ち上がった。
「以後、作戦指揮はすべてカワセ大佐経由で伝えられることとなります。やりやすくなることでしょう。私の要件は以上です」
「ハーディ中佐」
レベッカが立ち上がる。部屋を出ていこうとしていたハーディの足が止まる。
「なんでしょう」
「私はあなたが嫌いではありません」
「憎んでいるだけ」
ヴェーラが素早く低い声で言った。が、レベッカは首を振る。
「事情があったことは理解しています。ですから――」
「ありがとうございます、アーメリング提督」
ハーディは冷たい声でそう言って、振り返りもせずに部屋を出て行った。