06-3-1:戦艦セイレーンEM-AZと闇色のマリア

歌姫は背明の海に

 エディタとレネが出会ってから約二ヶ月後、ヤーグベルテ統合首都全体が雪に包まれ始めた頃、二〇九四年十二月――。

 ヤーグベルテ新型の進水式は、秘密ドックにて極秘裏に行われていた。

「こいつは、なかなか……」

 原型となったのは戦艦メルポメネだったが、今ヴェーラの目の前にあるのは、メルポメネとは似ても似つかない全長六五〇メートルに至る超巨大海上構造物だった。

 艦の両翼には装甲を兼ねたジェネレータが搭載され、その前部には駆逐艦ほどのサイズのある電磁誘導砲レールキャノンが合計六門も搭載されていた。また、中央の艦体本体の艦首には、大出力のPPC粒子ビーム砲が格納されている。また、中央艦体の上部装甲内には、砲身長五十メートルにも及ぶ口径可変砲が三基九門搭載されている。その他、あらゆる所に対空火器が搭載され、文字通り動く要塞と化していた。完備の方には新機軸のMBHBS機構が採用されている。超小型ブラックホールを複数発生させ、相互に干渉させた際に発生するエネルギーを利用するという核融合すら凌駕するジェネレータだった。

 そしてなにより、白銀色の艦全体が流線型の可変装甲で包まれており、その巨大さも相まって「畏怖すべき美」のようなものを見せつけていた。

 しかし、どの機構一つをとっても、セイレネスの補助なしにはまともに動かせるものではない。何もかもがヴェーラのために、そしてヴェーラが使うことを前提に用意されたものだった。

「デメテルにはなんだかんだで世話になったものだけど。デメテルは重巡ニ隻に流用されるんだよね」
「そうね」 

 レベッカは頷いた。ふたりとも白銀の戦艦の威容に圧倒されていた。レベッカは携帯端末モバイルで公表スペックを確認してからヴェーラを見た。ヴェーラの隣にはずらりと海軍の将軍たちが並んでいる。彼らもまた、ありきたりな感想を上ずった声で述べあっていた。

「データで見てはいたけど、実物を見ると全然違うわね、印象」
「まったくだ。想像力を超えてたね」
「名実ともにヤーグベルテを象徴する兵器ね、このセイレーンEMイーエム-AZエイズィは」
「にしたって」

 ヴェーラは将軍たちの列から外れて、ドックの建物の方へと向かい始める。レベッカも慌てて後を追う。

「こんなもんに馬鹿みたいな予算をねぇ」
「こんなものでもなかったら、アーシュオンの属国になっちゃうわよ、すぐにでも」
「そっかなぁ」

 ヴェーラは釈然としない風で呟く。レベッカはヴェーラの隣に並ぶ。

「Ense petit placidam sub libertate quietem……」
「んー?」
「剣を持ちて、平和を求む。されど、平和は自由の下にのみ顕現す」

 レベッカがそう言うと、ヴェーラは足を止めた。そしてマントを払って軽く腕を組み、顎をつまむ。レベッカは眼鏡の位置を直してヴェーラを見つめた。

「平和も自由も、力なしには手に入れることも守ることもできない。大昔の格言よ」
「救いがないねぇ、人って。何十世紀同じようなことしてんだか」

 ヴェーラは進水式が解散となったのを遠目に確認すると、マントをひるがえしてまた歩き始めた。

「まだ皆さんに挨拶終わってないわよ、ヴェーラ」
「いいんだよ、そんなことは」
「でも」
「きみは本当に形式にこだわるね。でもわたしがこれだからそれでいいんだ」
「ヴェーラ……」

 レベッカが足を止めると、ヴェーラは立ち止まってポケットの中をゴソゴソとあさり始める。

「薬?」
「うん。みんなに見られたら、何かと面倒だからさ」
「最近、また、ひどいの?」
「正直言うととてもひどいよ。でも発作は事前になんとなくわかるんだ」

 ヴェーラは周囲を素早く確認すると、頓服薬を飲み下す。

「まだ死にたくなる?」
「うん。希死念慮はいつもなんだ。ベッキーがいるから頑張れてる」
「私がもっと」
「ストップ。きみは今のきみでいいんだ。わがままを小言言いながらも聞いてくれるし、甘えさせてもくれるきみでいい。きみがわたしのことで悩んだり苦しんだりしたら、わたしはますます自分を殺したくなる」
「ヴェーラ……」

 レベッカはコンクリートで覆われた秘密ドックの空を見た。薄暗い天井がまた、二人の気分を憂鬱にさせた。

「ベッキー、紅茶入りブランデーを飲んでいいよね」
「どうして許可する前提なのよ」
「どうせいいよって言ってくれるでしょ?」
「……一杯だけよ」

 レベッカは首を振る。

「そろそろ私にご褒美くれても良いと思わない?」
「わたしの身体?」
「ろ、露骨に言うわね……」

 言い負かすつもりがあっさり言い負かされ、レベッカは頬を赤くしながら肩をすくめた。

「いいよ、あげるよ?」
「い、いいわよ。なんかムードがないわ」

 レベッカは誘惑に駆られながらも、それを何とか振り払う。

「きみのその忍耐力は称賛と尊敬に値するよ」

 ヴェーラはレベッカの左腕を右腕で抱えた。

「きみはわたしを好きにして良いんだ。だけじゃなくてね。わたしはそのくらい、きみに恩義を感じている」
「え、ええ。そ、そうね。あとで将軍お歴々に頭下げて回る必要もあるしね」
「ごめんね、ベッキー」
「だったら儀式くらい最後までちゃんと参加しなさいよ」
「やだ」

 ヴェーラは唇をとがらせた。レベッカは小さく吹き出す。

「って、あれ……」

 ヴェーラの声のトーンが一つ下がった。レベッカがその視線を追うと、向かっていた建物の中から、二人の人物が姿を見せていた。ハーディと、もう一人。

 レベッカはその人物を知っていた。会ったことはないが、確かに見覚えがあった。

「マリア……」
「ベッキーの知り合い?」

 ヴェーラが首を傾げる。レベッカは「ええ、まぁ」と答えを濁した。近づいてきたハーディが、レベッカの様子を怪訝けげんそうにうかがっている。

 黒髪に暗黒の瞳の持ち主――マリアは、その美しい顔立ちに、ヴェーラたちが思わず魅了されるほどに蠱惑的な微笑を浮かべていた。マリアは右手をヴェーラに差し出しながら言った。

「マリア・カワセです」
「あ、うん。ヴェーラ――」
「お二人のことは、もちろん存じ上げておりますわ。先程正式に、第一艦隊および第二艦隊の作戦参謀長として任ぜられました。今までは第六課と直接やりとりしていただいていたところに、私が挟まる形となります」
「ハブになるってこと?」
「肯定です」

 マリアはそう言いつつ、レベッカとも握手を交わして「ついてきてください」と背を向ける。ハーディは無言でマリアに並ぶ。

「私はホメロス社、つまりセイレネスの開発元からの出向で、大佐待遇となっています。私は誰よりもセイレネスを知り尽くしています。歌姫セイレーンのことも。ですから、私が第六課との間に緩衝材として入るのが最良――軍とホメロス社はそう判断しました」

 四人は建物の一番入り口に近い会議室の中に移動する。そこは小さな打ち合わせスペースと呼ぶにふさわしい程度の広さしかなかった。四人は一辺一メートル半ほどの正方形を作るように座る。

 ヴェーラは虚ろな瞳でマリアを見つめていたが、やがて諦めたように首を振った。

「やっぱりだ。マリア、きみの内側がまるで見えない」
「ふふ」

 マリアは目を細めて笑った。ヴェーラは苛々とした表情で前髪を掻き上げる。

「きみはつまるところ、わたしたちとハーディの仲が良くないことを見て取った軍部が、状況を打破しようとして送り込んできたカードだという認識で合っている?」

 そのとげのある言葉を受けて、ハーディはわずかに眉を動かした。だが、それ以上は冷徹な表情を崩すことなく、音もなく立ち上がった。

「以後、作戦指揮はすべてカワセ大佐経由で伝えられることとなります。やりやすくなることでしょう。私の要件は以上です」
「ハーディ中佐」

 レベッカが立ち上がる。部屋を出ていこうとしていたハーディの足が止まる。

「なんでしょう」
「私はあなたが嫌いではありません」
「憎んでいるだけ」

 ヴェーラが素早く低い声で言った。が、レベッカは首を振る。

「事情があったことは理解しています。ですから――」
「ありがとうございます、アーメリング提督」

 ハーディは冷たい声でそう言って、振り返りもせずに部屋を出て行った。

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