06-3-2:わたしの道

歌姫は背明の海に

 ハーディが出ていき、ドアが閉まるのを見届けてから、ヴェーラはマリアにその空色の瞳を向けた。

「で、だ、マリア。きみは何者なの? わたしの能力が全く通用しないなんて、普通じゃない」
「そうですね」

 マリアは頷いた。そして艶のある黒髪に軽く手をやった。

「初めまして、ヴェーラ姉様。おひさしぶりです、レベッカ姉様」
「やっぱりベッキーの知り合い、なんだ?」
「え、ええ。でも、でも、あれは」
「夢、ではないのです、レベッカ姉様。あの空間で姉様と出会ったのは、間違いなくこの私です」

 マリアは微笑む。まるで聖母のように穏やかに。

「私もまた、歌姫セイレーンと呼ばれる側の存在です」
「ちょっと待って?」

 ヴェーラが顎に手をやった。

「仮にそれが本当だとして、わたしがここまできみの心を覗けない事実がある。ということは、きみはD級ディーヴァなんじゃないの?」
「当たらずとも遠からず、ですわ、ヴェーラ姉様」

 マリアは嫣然と口角を上げる。ヴェーラは顎を引き、腕を組んで黙り込む。代わりにレベッカが口を開く。

「だとしたら、どうしてあなたは歌姫セイレーンとしてここにこなかったんですか?」
「私たちには各々役割というものがあります」

 マリアはおごそかに言う。

「役割?」
「そうです、レベッカ姉様。表面上の役割はともかく、私が私自身に課している役割。それは姉様方をあらゆる人間の悪意というものから守ることです」
「で、でも、D級歌姫ディーヴァが三人になれば、私たちの――」
「負担が軽減できる、と?」

 マリアの暗黒の瞳がレベッカを捕える。レベッカは喉を鳴らしつつうなずいた。マリアは静かに首を振った。

「それをしても、結局は程度の問題です。いずれ飽和することは目に見えています。二人が三人に、三人があるいは四人になったとしても、結局は飽和します。我々が一気呵成にアーシュオンを攻め滅ぼすというわけでもない限りは。それにD級歌姫ディーヴァに関わる運用コストは甚大です。戦艦の建造費用にしても然り」
「ま、そうだよね」

 ヴェーラは頬杖をつきながら、探るような目でマリアをとらえ続けている。

「じゃぁ、質問変えるよ、マリア。きみの目的は? わたしたちの運用管理を行うというのは理解した。けど、戦力としての協力はしない。ホメロス社だかどこだか知らないけど、D級ディーヴァをそんなことのために派遣するなんて。それにヤーグベルテもよくそれを認めたもんだよ」
「次の世代のためです」

 マリアは一旦言葉を区切る。

「姉様たちのすべての行為は、次世代のために必要だから」
「なるほどね」

 ヴェーラが低い笑い声を漏らす。

「わたしたちは試作品プロトタイプっていうことか。データ収集のための実験体とか、そういうこと?」

 ヴェーラの詰問に、マリアは沈黙で答える。ヴェーラとレベッカは顔を見合わせ、同時に首を振った。

「ならさぁ、わたしたちって単なるいしずえっていうこと? わたしたち自身は何も解決できないまま、いずれこの舞台から降りるんだ、みたいな?」
「願わくば」 

 マリアは小さく、だが、明瞭に言った。 

「姉様方に安寧の日々を、と、私は」
「難しいだろうね」

 ヴェーラは窓際に立つマリアを見ながら、ため息をついた。マリアはそのため息を背中で聞き、視線を窓の外に見える超巨大戦艦の威容に向ける。

「セイレーンEMイーエム-AZエイズィ。エクストラ・マテリアル・アルファ・オメガ。最先いやさきにして、最後いやはて歌姫セイレーンの、いえ、姉様方の希望の方舟はこぶねとなるべく設計されたふねです」
「ふぅん」

 ヴェーラは立ち上がると、マリアの隣に並ぶ。そして白銀の戦艦を眺めやりつつ、朗々と唱えた。

「不義をなす者はいよいよ不義をなし、不淨なる者はいよいよ不淨をなし、義なる者はいよいよ義をおこなひ、清き者はいよいよ清くすべし。よ、われむくいをもて速かに到らん、各人おのおの行爲おこないしたがひてこれあたふべし」

 ヴェーラはマリアの横顔に視線を移し、付け加えた。

「我はアルパなり、オメガなり、最先いやさきなり、最後いやはてなり、はじめなり、おわりなり」
「ヨハネの黙示録、二十二章十一から十三節」

 マリアは素早く反応すると、思い出したように囁いた。

「我また新しき天と新しき地とを見たり。これさきの天とさきの地とは過ぎ去り、海もまたなきなり」
「第二十一章一節」

 今度はヴェーラが出典を当てる。

「でも、わたしだっていくらなんでも世界を滅ぼしたりなんかしないよ」

 ヴェーラは乾いた声で言った。

 いつの間にかヴェーラたち三人は、並んで窓の外を見つめていた。

「わたしは後に続く子たちのために、道を作れば良いんだね。わたしはあの子たちに、あらゆる可能性を示したい。なぜならあの子たちは、なんだから。次世代のD級歌姫ディーヴァも含めて、ね」
「ヴェーラ……」

 レベッカはヴェーラの整いすぎた横顔を凝視した。ヴェーラは視線だけをレベッカに向け、きゅっと口角を上げた。荒んだ微笑――レベッカにはそう見えた。

 ヴェーラはまた窓の外に視線を移し、噛みしめるように問いかけた。

「ベッキー、マリア。わたしはわたしの道を生きていて、いいのかな」

 その問いには、レベッカも、マリアも、明確には答えられなかった。

 ――引き金は確実に引かれ始めていた。

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