ヴェーラはその巨大なPBVを追いかける。取り付けるか否かといったタイミングで、PBVの装甲全体に分離線が入り始めた。
「再突入体!」
しまった。ヴェーラは唇を噛んだ。PBVが分解されると同時に、中からミサイルの本体とも言える再突入体が十機現れた。
「大きい……」
その再突入体はどれもが見たことがないほどの巨大さだった。全長だけ見ても、従来のもののニ倍、いや、三倍はあるだろう。
再突入体は各々に姿勢制御ブースターを点火し、そしてそれぞれの目標に向けて落下し始める。落着まで時間がない。
「エディタ! わたしがマークした九機を集中攻撃! ありとあらゆる手段を許可する!」
『リ、了解。今上がっている緊急展開班のミサイルを借り受けます』
「任せる。絶対に撃墜しろ」
再突入体が超高速で落下していく。断熱圧縮による空力加熱、そしてプラズマ化した大気が、巨大な再突入体たちを赤熱させていく。
「ベッキー! いまどこ!」
『もうちょっと待って!』
「急いで!」
レベッカはまだコア連結室にたどり着いていない様子だった。ヴェーラは心の中で爪を噛んだ。その視線は異質な再突入体に向けられたままだ。
『提督、九機撃墜の目処が立ちました。その一機は!』
「さすがはエディタ。そのまま油断しないで。わたしの前の一機はわたしたちが片付ける。こいつは妙だ」
『了解、おまかせします』
エディタは事態がここに至っても、ほとんど動揺している様子はない。頭脳明晰、沈着冷静。頼れる子だ――ヴェーラは思う。
「探査班、こいつの落着予想位置は!」
『エイブラハム市です』
「エイブラハム……」
百万都市の一つだ。そんな場所に直撃させる訳にはいかない。ヴェーラは気を引き締める。
その間に、システムにログインしたと思われるレベッカが、地上部隊に対してテキパキと指示を飛ばしていた。セイレネスによる撃墜を試みているため、迎撃作戦およびその後の被害軽減についての指示は参謀部第六課、およびヴェーラ、レベッカの管轄だった。
『ヴェーラ、おまたせ!』
「感じるよね、こいつ」
ヴェーラは上がってきたレベッカの気配を探りながら、目の前の巨大な再突入体を示す。
『これ……って、まさか。いえ、でも、生身でこの加速に耐えられるとは思えない』
「でも、間違いなく乗ってる」
ヴェーラは言うなり、再突入体の動きを抑えにかかった。レベッカもそれに倣う。加速を削ぎ落とすことができれば落着地点を逸らすこともできる。そしてうまくいけばあの論理空間にコンタクトして、この中にいる人物の直接撃破を狙うこともできる。
「開けろ!」
ヴェーラは再突入体を包む結界のような力場に触れ、その解析を試みる。だが、この短時間でどうにかできる代物ではなかった。
「きみはそこまでして人を殺したいのか!」
ヴェーラはレベッカの手を取り、右手でその結界を殴りつけた。
「ッ!」
その瞬間、ヴェーラとレベッカは純白の空間――論理空間――に招き入れられた。勢いを殺せず、ヴェーラはつんのめり、レベッカがそれを何とか支えた。上下左右の感覚がある他は、ただ白い床が全方位に無限に広がっている。いつもの論理空間だった。
「ベッキー、あれ」
「見えてる」
並んで立つ二人の前方二十メートル程度の所に、黒髪黒瞳、そして黒尽くめの衣装の少女が一人立っていた。陽炎のように揺れる少女の姿は、それまで倒してきた数多くの素質者とは一線を画していた。明らかに格が違う。
ヴェーラとレベッカの手に、同時にアサルトライフルが出現する。対する少女は五連装砲身のガトリングがあった。火力の差は歴然としていた。
『みんな、死んでしまえば良い』
少女は前髪の奥に表情を隠して、そう呟いた。ガトリングの砲身が回転を始める。
ヴェーラとレベッカは同時に左右に散り、自分たちを守る半透明の壁を生じさせる。
ガトリングから無茶苦茶に放たれる弾丸が、その壁を一瞬で削り取っていく。あまりにも無節操で無軌道な射撃だったが、それだけにヴェーラたちは身動きができない。
ヴェーラは次々と壁を立てて移動しながら叫ぶ。
「なぜそんなことを思う! 民間人だぞ、きみが殺そうとしているのは!」
『だから何だと言うの。私はこの世界を憎んでいる! 私がこうならざるを得なかった世界を!』
「だからといって無関係な人間を殺して良い道理にはならない!」
『責任の無い人間などいない! 私がこんな身体になった原因は、すべての人間にある!』
ヴェーラを集中的に狙っている少女に、レベッカが牽制射撃を撃ち込もうとしたが、少女は素早く体勢を変えてレベッカに銃撃を与えてくる。
「くっ……」
『私がこんなことになったのは、世界中に蔓延る豚のせいだ! 怠惰に享楽に耽溺し、利己的なまま他者に犠牲を強いてもなんとも思わない豚どものせいだ!』
「だからって! 民間人百万を殺そうとでも言うのか! 赤ちゃんだっているんだぞ! その子たちに何の罪がある!」
『豚の子というだけで罪だ!』
「ふざけたことを!」
ヴェーラが怒鳴り、アサルトライフルの引き金を引く。だが、それは少女の立てた壁に阻まれる。
「待って、ヴェーラ」
「ベッキー? 何を?」
レベッカは銃口を下げ、少女の前に進み出た。ガトリングの銃口はレベッカを正確に捉えている。しかし、少女もレベッカの行動は予期していなかったのか、その表情には大きな動揺が見られた。
「あなたの運んできた他の弾頭はすべて人の住んでいない地域に落ちる軌道をとっていた。それこそあなたの最後の良心、豚たちへの抵抗なんじゃなくて?」
『そんなはずは! 私は……!』
「そしてその全ては迎撃される。被害ゼロとはいかないまでも、想定される最小限のものに収まるはずよ」
『そんなっ!』
動揺する少女に、レベッカはゆっくりと近づいていく。少女は震える手でガトリングを構え直した。レベッカはまだ銃口を上げていない。
「あなたは殺したいなんて思っていない。今ならまだ非核化ができる。止めてほしいのよ」
『誰がッ!』
「あなたをこんな所に閉じ込めたのは誰。恨みを持つのなら、方向が違うわ」
『私はどのみち死ぬ。道連れだ! 戦争をやめなかったヤーグベルテにも責任がある!』
「同じよ」
レベッカは首を振る。
「私たちだって、あなたたちアーシュオンがいなければこんな事にならずに済んだ。都合の良い兵器扱いなんてされずに、普通の人間として生きられたかもしれない!」
『でも、お前たちは死なない。私は最初から死ぬことが決まっていた。十死零生――この絶望が理解できるか』
「それは理解できるとは言えない」
レベッカは毅然と答えた。少女は荒んだ笑みを見せる。
『私はこの弾頭に組み込まれている。人間としての最低限の姿すら残されていない』
「なんてこと」
レベッカの唇が戦慄いた。ヴェーラにはその怒りの感情が自分事のように感じられた。だが、ヴェーラの思考は極めて低温だった。恐ろしく冷めた目で、この二人の会話を眺めていた。
「でも、だったら! あなたが恨むべきはその非道をしたアーシュオン! ヤーグベルテの人々を殺して良い理由になんてならない!」
『私にただ死ねというのか。何一つ残せないまま、ただ死ねと!』
「何を残せるというの! 戦う術も持たない人々を大量虐殺して、それであなたは満足して死ねるの!?」
レベッカの怒りは苛烈と言ってもいいほどだった。レベッカが怒っているのは少女に対してではない。少女と同じく、アーシュオンとヤーグベルテ、そしてこの二国を取り巻く全ての状況に対してだった。
「あなたに道連れにされる人たちの想いはどうなるの!」
『わかるものか! どうでもいい! 私は私のすべきことをする!』
「あなたをこんな目に合わせた人たちのために、あなたは無関係な人々を殺すというの!」
『無駄死にはしない!』
少女はガトリングの砲身を回転させ始める。その直後、少女は右膝を撃ち抜かれてバランスを崩した。たまらず膝をついた少女の目の前に、ヴェーラがゆっくりと歩いていく。
「ヴェーラ」
「もう、時間切れだよ、ベッキー」
それはヴェーラ自身が驚くほど冷たい声だった。
「きみは被害者でいるべきだったんだ」
ヴェーラの持つ銃口が、少女の額に押し当てられる。
「かわいそうな少女であるべきだったんだよ、きみは」
「ヴェーラ、それは……」
「ベッキー。きみは何をしたかったの? この子に罪を自覚させて、そして何をしたかったの?」
ヴェーラの空色の瞳が凍てついていた。レベッカはその視線を受けて、身体を硬直させる。
「この子は死ぬんだ、何をどうしたとしても。わたしたちが殺す、殺さないに関わらず、この子の命は数秒後には消える。そんな子に、ベッキー、きみは何を求めたの。懺悔? それとも、自死?」
「私は、そんな」
「満足して死ねるように、心の準備でもさせようとした?」
「私は……そんなつもりじゃ」
「それはね、きみの自己満足だ。それは慈愛だよ。だけど、それはおためごかし。欺瞞的な行いなんだ」
ヴェーラの鋭い舌鋒を受け、レベッカは俯いた。
「わたしはいつでも引き金を引ける。ヤーグベルテに危害を加えようとする者を殺すことに躊躇いはない。だけど、わたしはきみに覚悟を問うよ、ベッキー。きみには返り血を浴びる覚悟はあるの?」
「私は……私にだって」
「いいのさ」
ヴェーラは冷たい微笑を見せる。
「わたしはね、きみは綺麗であり続けるべきだと思っているんだ」
そう言うなり、ヴェーラは視線を少女に戻し、目を細めた。アサルトライフルの銃口は、変わらず少女の額に突きつけられている。
「さよなら」
ヴェーラの白い頬と白金の髪に、鮮烈な朱が差した。