ASAという謎の組織による襲撃事件から二週間が経過した、二〇九五年九月。
レベッカは、新型の巡洋戦艦エリニュスのコアウェポンモジュールの最終調整作業を行っていた。
「一段落……と」
呟きながらセイレネスからログアウトし、傍らに置いてあったスポーツドリンクに口を付けた。保冷タンブラーに入っていたにも関わらず、それはもうすでにほんのりと温くなっていた。仄かに明るくなった部屋の中で腕時計を確認すると、間もなく日付が変わるところだった。レベッカは慌ててドックのセイレネス調整室に音声通信のリクエストを投げる。
『調整室です』
「あ、ブルクハルト教官! すみません!」
『んー?』
そののんびりとした声はブルクハルトのもので間違いなかった。
「こんな時間までお付き合いさせてしまって、本当に申し訳ありません」
『こんな時間? ああ、ほんとだ。日付が変わりそうだ』
ブルクハルトはそう言って少し笑った。
『気にしないでいいよ。アシスタントたちにはみんな帰ってもらっているし、調整任務で残っているのは僕だけだ。今週はずっと定時上がりしていたし、まぁ、大丈夫さ』
「それでも、すみません……」
レベッカは恐縮頻りに謝罪を繰り返す。
『君は本当に真面目だねぇ、アーメリング中将閣下』
「もう! 教官にそう呼ばれると、ちょっと恥ずかしいです」
『ははは! でも、君たちのおかげで僕は今や中佐殿だ。誰にも文句言われずに好きなことをしていられるのは、まさに君たちのおかげさ』
ブルクハルトのあっけらかんとした口調に、レベッカは小さく笑う。ブルクハルトの声には疲労の欠片も見当たらない。これが技術屋という人々の能力なのかと、レベッカは妙な方向の感心をした。
「しかし、中佐以外にこのシステムをどうにかできる人がいるとは」
『そう思う? でもね、そんなことはないはずなんだよ』
ブルクハルトは「あちっ」という声を挟んだ。コーヒーでも飲んでいるのだろう。
『確かに、少なくともこの国には僕以上の技術者はいないだろうね。でもね、僕が今、急に過労死したとしても、どうにかこうにか回るっていうのが組織というものなんだ。どんなに特殊な能力の持ち主だろうが、才能の持ち主だろうが、その人なしで絶対に立ち行かなくなるなんてことは、絶対にない。本人がそう思っているとしたらそれは単なる驕りだし、周囲がそう思っているのだとしたら、それは単なる怠慢なんだよ』
「驕りと、怠慢、ですか」
レベッカは考え込んでしまう。
『僕も君も、畑こそ違うけど、ある意味では技術屋同士さ。そのプロ意識も、ジレンマも、僕らはたぶん共有できているはずさ』
「共有ですか?」
『そう。君たちはトリガーを引く。君たちが破壊する。それは事実だ。でもね、そのトリガーも何もかも、それをそのような形に作り上げて維持し、殺傷効率を向上させているのは僕ら裏方の技術屋たちなんだ。僕らは味方のために、国のために、最大効率の破壊兵器を作ろうと尽力している。それが敵を殺し、君たちの心を傷つけるとわかっていても、僕らはこの仕事をやめない。やめる気もない』
明快なブルクハルトの口調には、一つも迷いがなく、曇りもない。
『僕のチームが目指しているのは、君やヴェーラがもっと気軽に休める環境を作ることなんだ』
「でもそれではエディタたちに負担がかかるっていうことに……」
『自己犠牲は美しくないよ、レベッカ』
ブルクハルトの口調はいつもと変わらず飄々としていたのだが、その言葉はレベッカの胸に突き刺さった。
『さっきの驕りと怠慢の話に戻るけど、そういうのを生み出す原因の一つが、その当事者による自己犠牲の精神なんだ。自分さえ我慢すれば、後輩や部下たちにこんな思いをさせるわけにはいかない、自分ならこの状況をどうにかできるかもしれない……その傲慢な考えがね、自己の増長と周囲の怠慢を煽っていくんだ』
「教官……」
『信じることだよ。君の周りの人を。一人で抱え込むのは、決して良い結果に繋がらない。何かが起きた時に悲しむのは、君のことを信じていた人たちなんだよ、レベッカ。だから、その人たちのためにも、君もまた、信じるべきなんだ』
ブルクハルトの言葉を受け、薄闇の中でレベッカは項垂れる。
『人を信じるのは案外簡単さ。自分に自信を持てばいい。それだけさ』
「自分に自信を? でも、私は」
『急ぐ必要はないさ。さて、データの整理も済んだし。僕はそろそろ帰るけど』
「あ、はい。今日は遅くまでありがとうございました」
レベッカはタンブラーの蓋を閉めながら頭を下げた。音声通信なのに、つい動作にも出てしまう。
エリニュスのコア連結室から出ると、通路の空調はほとんど切られていて、そのために空気は重苦しく湿っていた。
帰る前に艦橋に立ち寄ろうと、エレベータに乗る。マリアや艦橋要員がまだ作業をしているかもしれないと考えたからだ。
エレベータの扉が閉まったその直後に、レベッカの携帯端末が震えた。メッセージの着信を知らせるバイブレーションだった。
「こんな時間に?」
差出人はヴェーラだった。
「え……っ!?」
レベッカの顔から血の気が引く。
「うそ、何言ってるの?」
レベッカは慌ててメッセージへの返信を書こうとする。だが、指が震えて文字の入力ができなかった。そうこうしているうちにエレベータが艦橋に到着する。ドアの前にはマリアが立っていた。携帯端末を手に、青い顔をしていた。
レベッカは携帯端末を握りしめたまま、苦労して口を開いた。
「マリア、早く乗って」
「は、はい」
マリアが乗り込むとすぐに、エレベータは緩やかに降下を始める。その速度がもどかしかった。
「姉様、これは……」
「急ぎましょう」
レベッカは言いながら、エレベータの階数表示を睨む。そして携帯端末にある文面に視線を戻す。何度見ても変わることはないし、新しいメッセージも来ていなかった。
「ヴェーラ、なんなの……?」
そこにある文字列――。
ありがとう。さようなら。ごめんなさい。
それを凝視するレベッカの視界が、ひどく滲んだ。