巡洋戦艦エリニュスから走り出るなり、マリアはレベッカの手を掴んで自分が乗り付けてきた参謀部の黒いセダンに導いた。一も二もなく助手席に飛び乗ったレベッカは、息を切らしながら携帯端末を取り出して、ヴェーラにコールした。だが、さっきから何度も繰り返しているように、携帯端末は無愛想な呼び出し音を鳴らし続けた。
「もうっ! ヴェーラ! あの子はッ!」
半泣きになりながら、レベッカは携帯端末に向かってメッセージを打ち込み始めた。その間にマリアは車を発進させ、即座に自動運転に切り替えた。そして自分も携帯端末を手に取り、参謀部第六課に連絡を取る。
「レーマン少佐ですか。すみません、大至急、ヴェーラ・グリエール提督のご自宅に誰かを派遣してください。大至急です。ヘリでも装甲車でも動員してください」
『了解しました。緊急コード913の実行ですね』
「そうです、少佐。本コードを全てに優先してください」
『承知しました』
レーマン少佐との通話を終えると、マリアはハンドルを握った。手動運転に切り替えて、アクセルを思い切り踏み込む。無駄に広いドックに舌打ちしながら、それでも一直線に公道に出る。時間も時間なのでほとんど人影がないのは幸いだった。
それから五分と経たないうちに、ジョンソン曹長からレベッカ宛に連絡が入る。
「ジョンソンさん?」
『肯定です。緊急コード913実行中』
「……それで」
レベッカの神経が、きん、と音を立てて張り詰める。ジョンソンは一つ深呼吸をすると、この上なく落ち着いた調子で報告した。
『ご自宅が火事です。消防が向かっていますが、凄まじい火力で……』
火事――レベッカは声を出せない。ジョンソンの声の後ろに、サイレンの音が聞こえ始めている。その音が否応なしに現実を突きつけてきて、レベッカは声も出せなかった。悲鳴を上げたいとも思った。しかし、できなかった。両目が痛くなっていているのに、まばたきすらできなかった。
『グリエール閣下が、中に……』
「み、見たの? ほんとうに、中にいるの……!?」
レベッカがかすれた声で問いかけるも、それはジョンソンの怒号で掻き消された。
『おい、タガート! やめろ、よせ!』
『行かせてください、曹長!』
『だめだ、あの中に突っ込んだらお前も!』
『何年の付き合いだと思ってんですか! 見殺しになんてできっこない!』
『消防を待て、タガート!』
『俺たち、なんのために警護官やってるんですか、曹長!』
『ばかやろう、無駄死にするだけだ!』
聞こえてくる音から察するに、ふたりとも火元――すなわちエディット邸――に向かって移動しているようだった。周囲の人々の声や咳き込む音も拾われている。
『ここで何もしなかったら、それこそ俺たち無駄ですよ!』
『だからといってこんな劫火に突っ込むのを認めるわけにはいかない!』
『曹長が何と言っても俺は行きます。一刻の猶予もない。可能性がゼロじゃないうちは俺はやりますよ! 曹長、あなただって同じ気持ちのはずだ!』
クソッ――ジョンソンが舌打ちする。
『アーメリング提督、自腹ボーナス弾んでくださいよ!』
「待って、ジョンソンさん!」
『ままよ! タガート、窓をぶち破れ!』
そこで通信が途切れた。
レベッカの手が大きく震え、携帯端末が足の間をすり抜けて落下する。レベッカはそれを拾おうとすることもせず、両手を握りしめて涙を流していた。
「みんな、勝手ばっかり!」
「急ぎましょう」
マリアは更にアクセルを踏み込み、公道を飛ばした。制限時速を大幅に上回っていたことからすぐにパトカーが追いかけてきた。
『止まりなさい!』
パトカーから停止命令が発される。だが、マリアはスピードを緩めない。
「私は参謀部第六課のカワセ大佐です。緊急コード913を実行中」
『緊急コード913!? あの火事と関係が』
「詳細は後ほど。今は現場に急行させてください。協力願います」
『照合しました。了解です。緊急コード913、我々が先導します』
「助かります。自動運転で追尾します」
マリアはそう言うとハンドルから手を離した。先を行くパトカーを、マリアたちを載せたセダンが追っていく。マリアはようやく一息ついて、嗚咽を漏らすレベッカの方を見た。
「どうして独りにしちゃったんだろう!」
レベッカは涙でグシャグシャになった顔でそう叫んだ。声は大きく震え、視線は定まっていない。
「なんで今日、私はあの子を独りにしちゃったんだろう! 今日は顔色がいいね、元気そうだねって。そんな時こそ気をつけろってお医者様に言われていたのに!」
「大丈夫です、姉様」
マリアは自分に言い聞かせるように言った。
「姉様方にこれ以上の不幸が起きてたまるものですか」
「マリア、マリア! 私、どうすればいい。私、どうしたらいいの!?」
「ヴェーラ姉様は助かります。タガートさんたちがいます」
「でも……」
「今は信じることです。私たちにはそれしかできません」
マリアはレベッカの頬に触れ、涙を拭う。そんなマリアの両目にも零れそうなほど涙が溜まっていた。
「レベッカ姉様。私、姉様をこんなに悲しませるヴェーラ姉様をひっぱたいてやります」
「ううん。叩くなら私を叩いて、マリア」
レベッカは唇を戦慄かせながらそう言った。
「……?」
その時、レベッカの足元に転がっていた携帯端末が、メッセージの着信を報せた。レベッカは震える手でそれを拾い上げ、目を見開いた。
「ヴェーラから……!」
届いたのは、手紙だった。