08-4-3:手紙

歌姫は背明の海に

 親愛なるベッキーへ

 わたしは今日、ここでわたしを捨てようと思う。

 もしこれで死ぬっていうなら、それはそれで仕方ないと思うし、そのほうが良いともわたしは思っている。

 未来への試金石タッチストーン。そんな役割はわたしには重たすぎる。わたしには耐えられなかった。もうごめん、なんだ。未来のために、みんなのために。そんなおためごかし。わたしにはもう届かないんだ。どうやっても理解できないんだ。受けれられないんだ。

 そんな未来、どうやったって、わたしには色がついているようには見えないんだ。灰色の未来しかやってこない、そんなふうにしかわたしには思えないんだ。

 この顔も。この手も。この声も。そしてこのヴェーラという贋作の名前まがいものも。

 わたしはわたしの意志で、数少ないわたしの自由で、全てを捨て去るつもりなんだ。ごめんね。

 わたしの歌は、届かなかった。人々の心には、響かなかった。

 強すぎるディストーション。無駄なリバーヴ。わたしの歌は歪められて、わたしの思いはノイズに消されて。でも、それがこの世界なんだ。この社会なんだ。わかってる。わかってるんだよ、ベッキー。こうでもしなければ、人々に聴いてもらうことすらままならないことも、わかってる。

 でもね、わたしは諦めが悪い、欲張りな女なんだ。

 いちばん伝えたいことすら、まともにつたえられていなかったこのわたし。そんなわたしなんかに、いったいぜんたい何の意味がある? 存在の意味レーゾン・デートルを見失っちゃった。なんか、ごめん。

 わたしにはもうわからないし、考える気力もないんだ。ただ、きっと、こうしたら楽になれるかな。そう思っただけなんだ。本当に、実にたまらない誘惑だった。きみには悪いことをしてしまうっていう罪悪感はあった。けどね、不思議なものでね、この罪悪感が膨らめば膨らむほど、わたしは計画を止められなくなった。罪悪感がわたしを苦しめるほど、わたしは確かによろこびを覚えてしまったんだ。

 話を戻すけれど。

 世界にとっても、この国にとっても、人々にとっても、わたしは英雄であり、咎人とがびとであり、同時に単なる道具インストゥルメンタルだ。都合の良いメッセージを発信するだけの音源に過ぎないんだ。わたしも、もちろん、きみも。

 だから、わたしがわたしと認識するわたしが、生きようが死のうが。そんなのは彼らの認識するわたし自身にとっては、実に些細ささい瑣末さまつな問題に過ぎないんだ。

 世界にとって、国にとって、人々にとって、わたしという一人の人間の主張なんて、無視するに足るレベルの雑音ノイズに過ぎないんだ。音のを高めるために、コンプレッサーであっさりと消されてしまうような、ね。

 わたしは自分で火を放ったんだ。言うまでもないか。

 あらかじめ手紙を書いておいてよかった。思いのほか火の回りが早くて、とても熱いよ、今。座ってられなくて部屋の中をうろうろしている。

 家を燃やしちゃってごめん。これだけは言っておかなくちゃ。

 ごめんね。ほんとうに、ごめんね。思い出の場所だったのに。ごめん。

 でもね、どうしても。最期はここがいいなって、ずっと思ってた。

 だって、わたしにとって、ここが心休まる唯一の場所だったから。エディットにひっぱたかれたりしたのも今は良い思い出。みんな一緒にずっと生きられたらよかったのにね。ほんとうにごめんね。

 そろそろ家が持たなくなってきたね。タガートさんが呼んでる。なんて無茶なことするんだ。ほんとうにもう、みんなお人しというか、なんというか。でもわたしは戻らない。もう戻れない。

 そろそろだ。薬のおかげで意識が朦朧としてきたよ。

 さようなら、ベッキー。

 愛してる。

 本当に。

→NEXT

タイトルとURLをコピーしました