09-2-1:血を流す意味

歌姫は背明の海に

 エディタたちが軍に正式配備されてから約三ヶ月後、二〇九五年十二月――。

 重巡洋艦アルデバランの艦橋ブリッジにて、エディタはメインスクリーンを睨んでいる。そこには現在の哨戒担当員であるとリーネが送ってきた海域検索情報が表示されている。起き抜けに見せられた前方四百キロの海域にいるアーシュオンの大艦隊。その情報を前にして、眠気は一瞬で消し飛んだ。

「トリーネ、これは……」
『あ、エディタ、おはよーって時間でもないか』

 間もなく午前十時。哨戒の交代時間である。

「アーメリング提督に連絡は?」
『完了してるよ。まだ距離はあるから引き続き警戒するようにって。で、バトコンレベル2を発令っと。今したよ』
「アルデバラン、バトコンレベル2、了解した」

 艦隊各艦からも警戒レベルの上昇を知らせる応答が返ってくる。だがまだ歴戦の猛者で固められたアルデバランの艦橋要員ブリッジクルーたちの表情には余裕があった。緊張しているのは歌姫セイレーンばかりなり、である。

『って、来た! ピケット艦たちに向けて対艦ミサイル接近中!』
「敵からも認識されたってことか! 艦長!」
「お任せください」

 アルデバラン艦長、ワーズワース大佐が頷くのを確認して、エディタは艦橋ブリッジから走り出た。目指すはコア連結室。エレベータが到着するのを待つのももどかしく、非常階段を駆け下りる。二フロア分降りたところで、分厚い防火扉を開け、すぐ目の前に出現した部屋の認証をクリアして扉を開く。

 ほとんど真っ暗な部屋の中を迷いなく歩き、中央のシートに深く腰を下ろした。

 たちまちエディタの意識の中に、さざなみのような音が満ちていく。実時間にして十秒と経たずに、エディタの意識が空に浮かぶ。アルデバランの巨大な艦体が真下に見えた。

「エディタ・レスコ、セイレネスにログイン完了。対艦ミサイルはどうなった、トリーネ」
『単発のミサイルくらいじゃやられないわよ、慌てないで、エディタ』

 エディタに囁きかけてくるトリーネ。声が近い。意識の距離が近いということだ。

『問題は――』
「どうして我々がこの距離で検知されているのか、だな?」
『そゆこと』
「ナイアーラトテップは?」 
『エディタ、ちょっと落ち着いて。状況は一時停止中よ。で、ナイアーラトテップはうじゃうじゃいる』
「うじゃうじゃ……。M量産型というやつか?」
『そうね。しばらく出てきていなかったけど、間違いないと思う。私が確認しているだけで十二隻いる』

 エディタの視界に赤い照準円レティクルが浮かび上がった。その全ては未だに水平線の彼方を指し示していたが、そこには紛れもない気配があった。エディタは意識を集中して、周辺海域半径五百キロの範囲を走査する。

「確かに十二隻……M量産型とはいえ、すごい数だな」

 エディタが呟いたまさにその時、レベッカが「総員、聞け!」と号令を発した。

『敵の艦隊は我が方の四倍以上の数がいます。加えて、M量産型ナイアーラトテップが十二隻。従来型に比べ脅威度は下がりますが、それでもナイアーラトテップです。あなどってはなりません』

 レベッカは一旦言葉を切った。

『ですが、我々にはこれらを撃破殲滅する義務があります。初陣であるという言い訳は、ヤーグベルテ国民には通用しません。彼らは私たちにであることを望んでいます。私たちはそれに応え続けなければなりません』

 その極限まで冷えた金属のような声音は、エディタの胃を強くねじり上げた。

『ナイアーラトテップは、私とV級ヴォーカリストで対処します。C級クワイアは敵通常艦隊に対応。徹底的に敵射程外アウトレンジで仕掛けなさい』
『提督、トリーネです。敵戦闘機の発艦を確認しました』

 このままだと三十分経たずに打撃範囲に入ってくる――エディタは額に浮かび始めた汗を拭う。心拍が跳ね上がっているのを感じる。

「提督、本艦も制空戦闘に参加したほうが……」
『いえ、エディタ。それは不要です。通常戦力は全てC級クワイアに任せます。クララ、テレサ。あなたたちはC級クワイアを指揮しつつ、私たちとナイアーラトテップ殲滅を行います。できますね』

 無理難題だ。エディタは思う。クララやテレサからは戸惑いの感情が伝わってくる。

「提督、それは……」
『強い者だけが矢面やおもてに立てば良いというのは誤りです、エディタ。私たちにもC級クワイアたちにも、それぞれに役割ロールというものがあります。もちろん、クララにもテレサにも。それに私たち歌姫セイレーンだけが戦っているのではありません。搭乗員たちはえ抜きです。そう簡単に遅れは取りません』

 レベッカの冷静そのものの声に、エディタは圧倒されかける。

「し、しかし提督。我々には航空戦力がありません」
『皆を信頼しなさい。それに私は負ける戦いをするつもりはありません』

 息を飲むエディタのすぐ隣にトリーネの気配が寄り添った。姿は見えなくてもはっきりと知覚できる。それはセイレネスの能力の一つである。

『この一戦を無傷で乗り切るのは難しくありません。私たちの力があれば十分に可能でしょうね。ですが、その次は。そして、その次は。いつまでも私たちが彼女らをかばい続けるというのですか? それができる、あなたはそう言いますか?』
「それは……」
『私たちが破綻した瞬間に終わる国防など、国防とは言えません。私たち少数の個人の力によって国家を守るなど、そんな思想は馬鹿げています』

 その言葉にはレベッカの忸怩じくじたる思いが込められていた。レベッカの鋭い感情は、エディタたちのむき出しの精神に痛いほど突き刺さってくる。

『私たちは絶対無敵ではありません。そうであってはのです』
「ですが、提督は先程、私たちは守護神であり続けなければならないと」
『そうです。ですが、傷付いてみせることも必要なのです。私たちが生身で、血を流し、時として簡単に失われるということも見せなければなりません。我々とて人間なのだと、国民に知らしめねばならないのです』
「で、ですがっ。皆、私の同期なのです。死なせたくないのです、提督」

 エディタは超然たるレベッカに向かって、そう吐き出した。

「守れるものを敢えてだなんて」
『未来永劫、同期の子、後輩たちを、あなたは守り続けるのですか?』
「それは……」
『それはね、エディタ。ヴェーラと私がしてきたことと同じこと。その結果、あの子は壊れ、私は――』

 レベッカの言葉が詰まる。

「提督――」
『あなたはヴェーラ以上に、私以上に、この過酷な状況に耐えられる自信があるのですか? 何年続くかもわからないこの状況で、あなただけが手を汚し続けなければならない現実。あなたが間違えば国が滅ぶというプレッシャー。そんな中で、あなたは生き続けられるのですか』

 エディタは何も言い返せなかった。隣のトリーネの気配が、エディタの手を握る。

『あなたが言っていることは、仲間を生かすためにあなたが死ぬということです。そして生かされた仲間も同じことを繰り返して順番に死んでいく。そんな世界を作ろうと言っている、そういうことです』

 レベッカの冷たい声音を受けて、エディタは身動きができない。

『であるからこそ、私たちは、戦わなければならない。安全圏に身を置いてはならない。特定の誰かに依存するような戦争をさせてはいけない。そのためにも、流血から逃げてはならないのです』

 理解は、できる。

 だけど、納得が、できない。

 エディタの思考が混迷に落ちる。

『私はあなたには死んでほしくない――それは個人の感情というよりも、国防の観点、未来への観点からの想いだと理解してください。ですから、私の命令を聞きなさい』
「提督……」
『これから生まれる犠牲の責任は私が負います。あなたの悲しみも怒りも、全て私に叩きつけなさい。ですがそれは戦いが終わってから。今は私の命令に従いなさい』

 有無を言わせぬその口調に、エディタは頷いた。トリーネがエディタの頭に触れた。

「了解しました……」
『よろしい。各艦の奮戦に期待します』

 レベッカの超然とした言葉に、エディタもトリーネも言葉が出なかった。

 レベッカの巡洋戦艦エリニュスを中心に、艦隊全艦が薄緑色オーロラグリーンの輝きで包まれた。 

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