セイレネスによって威力を増幅された砲撃が、数百キロ彼方のアーシュオン艦隊に大打撃を与えた。レベッカからの一撃だった。その射程は他の歌姫たちの誰よりも長く、その使用モジュールの威力も比肩する者はいない。目下のところ二番手であるエディタにですら、何が起きたのかを理解することは難しかった。
『エラトーとはここまで違うのね……』
レベッカの嘆息に、トリーネが応じる。
『一撃で十隻近く撃沈したようですが』
『エラトーだったら、空母の一隻くらいは確実に沈められていたでしょうね。エリニュスでは、物理も論理も圧倒的に足りない。ナイアーラトテップからの干渉を貫くことができませんでした』
「コーラス、ですか?」
『そうね、エディタ』
短い肯定が返ってくる。コーラスというのは、ヤーグベルテでは未だ研究途上であるが、複数のセイレネスが同調して、その出力を激増させる戦術である。この技術が完成した暁には、C級たちの戦力も目覚ましく向上する。
「では、我々は予定通りにナイアーラトテップのM型を倒します」
『そうしてください、エディタ』
「アイ・マム」
エディタは意識の中で唇を舐める。物理実体の方も同じ動作をしたかもしれないが、エディタにはそれを知る術はない。今のエディタの主体は、空を漂う論理実体の方にあったからだ。
『私は一人で奥の五体を引き込みます。あなた達は四人一組で可能な限りの撃破を』
レベッカがターゲットしたと思しきナイアーラトテップの位置情報が、エディタの脳内に展開される。それはトリーネたちにも同期しているはずだ。
『七体任せます。決して打ち漏らさないように。ユー・ハヴ?』
「アイ・ハヴ」
エディタは集まっているトリーネ、クララ、テレサに合図して、論理空間を展開した。初めての経験であるが、レベッカとブルクハルトから事前にやり方のレクチャーは受けていた。
「ターゲットした奴らを引き込む。トリーネ!」
『はいはい。ターゲットロック。クララ、テレサ、引きずり込んで!』
『僕らがそうするまでもないみたいだよ。奴ら、自分からこっちに来てる』
クララが応じる。エディタにもその状況は見えていた。彼女らはそうと知っていて、エディタの展開した結界内に入り込んできていた。
「そういうことなら!」
エディタは一も二もなく展開した白い空間に飛び込んだ。
その純白の領域に現れたエディタたちはそれぞれに軽甲冑を身に着けていた。この空間で甲冑がどれほど役に立つのかは不明だったが、それでもないよりはマシ、という感想を一同は持った。
エディタたちの前方百メートルほどの所に、七人の黒髪の少女が立っていた。銃撃戦という意味ではほとんど至近距離だ。
エディタは手にしたアサルトライフルを即座に射撃体勢に持っていく。アーシュオンの少女たちも一斉に手にしたサブマシンガンを持ち上げた。こちらはトリーネがショットガン、クララとテレサがサブマシンガンを手にしている。
「行くぞ」
エディタは何もない空間に壁を出現させた。直後、その壁に向かって七人の素質者からの銃撃が直撃した。長くは持たない。
その間にエディタたちは散開する。少女たちも散る。
「数では劣っているんだ、慎重にやるぞ」
「了解だよ」
トリーネが巧みに壁で障害物を作りながら、一番端に展開していた少女に肉迫している。クララがそれを支援している。
「チェックメイト!」
トリーネがショットガンを撃つ。少女は壁を立ててその散弾を防ぐ。その瞬間、少女は上から出現した柱によって潰される。
「うへ……」
トリーネはげんなりした声を上げつつ、次のターゲットに銃口を向ける。相当数の反撃がトリーネを襲ってくるが、トリーネは猫のようにしなやかな動きでそれらを回避する。
「銃撃戦訓練、まじめにやっといてよかった」
何のためにやってんだろって思ってたけど、まさかこんなね――トリーネは考えながら跳躍する。この空間では物理空間の数倍の運動能力を発揮することができる。高さ二メートルの壁をも易々と跳び越えられる。
跳躍したトリーネを三人の少女が狙い撃つが、その内の二人がクララとテレサによって倒された。
「エディタ、大丈夫!?」
残りの一人に馬乗りになったトリーネが、三人を相手に防戦を強いられているエディタを窺う。
「大丈夫だ、そっちを片付けてくれ」
「クララ、テレサ、援護!」
「わかったわ」
テレサがサブマシンガンを捨てて、その手に対物ライフルを出現させる。戦車の装甲すら貫く威力を有する火器だ。
それに気付いた一人がテレサに狙いを合わせる。テレサは即座にその場を離れて壁を立てる。サブマシンガンが壁をガリガリと削っていくが、それは唐突に終わる。クララがその少女を蜂の巣にしていた。
『ぐっ………』
少女は血を吐くと、光となって消えた。クララはすぐに体勢を変えて、トリーネの様子を見る。
「トリーネ!」
二人は取っ組み合いの状態になって、互いの拳銃を互いの顔面に向けようと必死になっている。クララがエディタの援護に入ったのを見て取るなり、テレサは拳銃を出現させて、一も二もなくトリーネの元へと向かう。
「トリーネ!」
テレサの声に反応して、トリーネは渾身の力を込めて少女を蹴り上げた。巴投げのような体勢になった少女はなすすべもなく白い床に転がる。「テレサ!」と、トリーネはすかさず二人の間に壁を立てる。一瞬でも遅ければ、少女の放った銃弾がトリーネを貫いていた。
テレサの拳銃が二度火を噴いた。それは少女の左肩と右胸に命中する。だが、この論理空間に於いては致命弾にはならない。少女はテレサにターゲットを変えて、拳銃を放とうとする。だが、その時にはすでに間合いは極至近――テレサのハイキックが少女の拳銃を弾き上げた。
テレサはそのまま少女の鳩尾に膝を入れ、吹き飛ばす。そして着地と同時に拳銃を三連射した。
『アアァッ』
顎から脳天にかけて撃ち抜かれた少女は、光となって消える。
「これで二対四!」
形勢逆転。トリーネは身を起こすとそのままエディタのそばに走り寄る。エディタは緊張を帯びた声で警告する。
「こいつら、手強いぞ」
「みたいね」
トリーネは対物ライフルを出現させる。エディタがすかさずその前に壁を立てる。
「壁ごとぶち抜け」
「できるかな?」
トリーネはエディタを狙い続ける一人を狙う。高速で移動し続けるターゲットが相手だ。かなりの偏差射撃が要求される。
「狙撃の成績は良かったんだよね。エディタ、囮になって」
「……了解」
エディタの攻撃が少女を襲うが、少女は壁を立ててそれを防ぎ切る。代わりにエディタに向けて幾つもの柱を落としてくる。エディタは寸でのところでそれらを回避しきるが、大きく体勢を崩してしまう。
『死ンデシマエッ!』
柱の上に立つ少女が止めの一撃を放とうとライフルを構え直した。
その瞬間、少女の頭部が消し飛び、少女の身体は光となって消えた。
「スナイパーがいるってのに、足を止めたら負けでしょ」
トリーネはエディタを助け起こしながら言う。その目はクララと接近戦を演じている最後の一人に向けられている。
「援護いかないとマズい」
「だな」
二人はクララを挟んでテレサと反対側に移動する。だが、クララと少女は完全に近接戦の間合いであり、銃火器で横槍を入れるのは難しかった。
「クララッ!」
テレサが「距離を取れ」と叫ぶ。だが、クララも現状維持が精一杯で、とてもではないが間合いを確保できるような余裕はなかった。
「あいつが真打ちだったか」
エディタが舌打ちする。介入しようにもできない。下手に手を出せばクララが逆に危機に陥る可能性もあった。
「エディタ、ボケっとしない!」
ㇳリーネが叱咤しながら、また対物ライフルを出現させる。
「そんなものぶっぱなしたらクララまで」
「いいのよ、見せるだけで相手の動きをいくらか制限できるでしょ」
トリーネの言葉通り、少女の動きが一瞬鈍った。クララはその隙を逃さず、少女の右手を左手で弾き、右手の拳銃を少女の額に突きつけた。
「……!?」
引き金が、引けない!?
クララは不意に自由を失った右手の人差し指に動揺する。どう意識しても引き金が引けない。その一瞬の動揺を待っていたかのように、少女は右手の拳銃をクララに向けて撃ち放った。
「うっ!?」
クララの右肩から鮮血が噴き上がった。クララは拳銃を取り落とし、フラフラとよろめいた。少女はクララの上にまたがると、その額に銃口を押し当てた。
「隙だらけ!」
トリーネのライフルから放たれた弾丸が、少女に向けて飛ぶ。少女は壁を立てて防御を試みたが、トリーネのセイレネスの能力が勝ったようだった。何重にも立てられた壁を貫通し、その弾丸はやがて少女の眉間を貫いた。
「論理空間、戦闘シーケンス終了」
エディタは即座にその論理空間を破棄した。四人の意識が物理空間に返ってくる。
「アーメリング提督、こちら片付きました」
『了解です、エディタ。被害は』
「クララが負傷しています」
『申し訳ありません、提督』
クララの悔しそうな声が聞こえてくる。
『でも、大丈夫です。ウェズンの艦体にもダメージが出ていますが』
「まだ戦えますか?」
『お待ち下さい』
十数秒の間を置いて、クララが応じる。
『いけそうです。艦長も問題ないとのこと』
『いいでしょう。戦闘は続いています。対空戦闘の支援に入ってください、エディタ、トリーネ。クララとテレサはC級歌姫たちの指揮統制を』
レベッカの声には感情がなかった。まるでマシンのようだとエディタは感じる。
状況的には圧倒的優勢であるとはいえ、すでに小型砲撃艦三隻と、小型雷撃艦一隻が大破させられている。沈没も時間の問題だった。敵攻撃機たちは今もうるさく飛び回り、損傷艦をしつこく狙い続けている。
『大破艦、セイレネス反応なし……。総員退艦開始しました』
クララの悲痛な声が響く。エディタは舌打ちすると、声を張る。
「アルデバランの火器管制、全て回してください、艦長!」
『了解。全火器管制、レスコ中尉に回します。……ユー・ハヴ』
「アイ・ハヴ!」
エディタは全システムが自身の意識にリンクしたことを認識する。エディタを取り巻く音の圧力が増大し、伴ってBPMも上がっていく。
「全砲門、一斉射!」
エディタの号令とともに、迫ってきていた六機のFA201に向かってアルデバランの対空火器が集中した。攻撃機たちはただちに散開したが、エディタの張り巡らせた不可視の対空防御網から逃げることはできなかった。たちまち三機が中大破し、命からがら空域を離脱しようとする。だが、それはできなかった。レベッカからの砲撃がその三機を粉砕したからだ。
「て、提督……!?」
『徹底的にやりなさい、エディタ。敵を殺し漏らしてはなりません』
「しかし……! 戦闘力を失った敵を狙う必要は」
『今日のあなたの甘さが、明日仲間を殺すかもしれないのですよ』
有無を言わせぬその言葉に、エディタは唾を飲む。
『これは戦争ですよ、エディタ・レスコ中尉。指揮官の甘さは、部下の危機。殺し漏らした敵があなたの友人を殺したとして、あなたは自分を責めずにいられますか』
レベッカは冷徹に現実を突きつける。エディタは爪を手のひらに食い込ませた。
そうこうしているうちに、無傷だった三機も爆散した。クララがやったのだ。
エディタたちが対空戦闘に参加して十五分少々で、戦況は一気に覆った。飛び回っていた敵機はもはやいない。その大半が撤退すら許されずに海に叩き落された。
「敵の捕虜は……」
『クロフォード提督なら救いませんね』
レベッカは冷たく言う。エディタは息を飲み込む。
『ですが、私はそこまで非道にはなれません。敵艦隊も撤退するようです。救える命は救いましょう』
「わ、わかりました。ありがとうございます、提督」
『お礼を言われる筋合いではないわ、エディタ。捕虜は味方を救う交換条件にもなるでしょう』
レベッカの無感情な声に、エディタは怖気を覚える。ヴェーラがあんなことになってしまってから、レベッカは変わってしまったのだ――否が応でもその事実を見せつけられる。生真面目で温和なレベッカは、ヴェーラの事件とともに何処かへと去ってしまったのだ。