11-1-1:わたしのために

歌姫は背明の海に

 二〇九六年一月――年始は、のニュースで埋め尽くされた。そのニュースはヤーグベルテ国内にとどまらず、同盟国のエル・マークヴェリアはもちろん、敵国であるアーシュオンでも大きく取り上げられた。ヤーグベルテの多くの人々はその訃報に接して、悲しみと巨大な不安を覚えた。

 同時に、アーシュオンはこれを好機と捉えて大規模作戦の準備を始めていた。敵味方ともに多くの情報部員たちが暗躍し始め、きな臭い事件も随所で起こり始めていた。ASA反歌姫連盟の動きも顕著に活性化し始める。

 しかし、その二ヶ月後。まだヤーグベルテ統合首都は雪で覆われている頃に、一人のD級歌姫ディーヴァが登場する。イザベラ・ネーミアである。レベッカ一人という危機の最中さなかに突如現れた強大な歌姫セイレーン――マスコミは揃ってそう報じた。

 イザベラが公の場に初めて姿を見せたのは、ヤーグベルテ統合首都にある士官学校であった。

「わたしはイザベラ・ネーミアである」

 レネやマリオン、アルマたち、多くの歌姫セイレーンたちが立ち並ぶ中、演壇にイザベラ・ネーミアが現れた。顔のほとんどを覆う仮面サレットを着けていて、その素顔を窺うことはできない。黒金のマントを翻らせて、イザベラは演壇の前に出て、緊張した面持ちの士官候補生たちを見回した。栗色の髪が揺れる。

「ヴェーラ・グリエール中将の後任として、本日付けで第一艦隊司令官に着任した。わたしはD級歌姫ディーヴァである。レベッカ・アーメリング中将とともに、このヤーグベルテの国防を引き受けることとなった。諸君らのうち、半数はわたしの指揮下に入ることになる。覚悟しろ、わたしは決して甘くはない」

 レネたち、有力な歌姫セイレーンには、仮面サレット越しにも、イザベラの鋭い視線が感じられた。マリオン、そしてアルマもまた、指先に至るまで力が入って硬直していた。

 イザベラはわずかに口角を上げる。

「わたしには諸君の全てがお見通しだ。不信感も疑念も、ありとあらゆる否定的な感情を受け止めている。だが、それは良い。わたしは諸君にと命ずる立場にある。諸君らもこのわたしを見極めるが良い」

 レネはその圧倒的な迫力を前に、喉の乾きを覚えていた。この中でレネだけは唯一を知っていた。しかし、イザベラは完全にヴェーラ。声も、気配も、完全に別人のそれだった。そして何より、その心が見通せない。のだ。それは完全にチャネルが閉ざされているせいなのか、それともそもそも本当に何もないのか――全くわからなかった。

 イザベラはレネを一瞥し、また下級生であるマリオンたちに視線を移す。そして多くのC級歌姫クワイアたちをぐるりと見回した。

戦艦バトルシップ・セイレーンEM-AZイーエムエイズィもまた、わたしと共にある。わたしは味方の犠牲を躊躇ちゅうちょしない。これより永きに渡ってこの国が存続させられることを最優先とし、ゆえに、わたしは諸君に躊躇ためらいなく死ねと命ずるだろう」

 イザベラは腕を組んだ。そして演壇の前を二度往復した。

「国のために命を捧げろ? そんなことは言わぬ。そのようなれ言には吐き気がする。わたしはディーヴァ登場以前の、無策ゆえの無惨な敗戦の歴史を繰り返すつもりはない。わたしは過去に学ばぬ世界をして、良しと言うことは到底できぬ。たとえ軍が、あるいは政治が。がわたしに何と言おうと、わたしは愚かしい過去を繰り返すことはしない。されど!」

 イザベラは両手を大きく広げた。

「諸君の命はわたしが握る! 死にたくなくば、今すぐこの場から去れ! エディタ・レスコらの初陣で示したアーメリング提督のいくさ。あの姿を受けれられぬというのならば、今すぐ、今すぐに、この場を去れ!」

 大音声だいおんじょうだった。誰もが圧倒されるその強い言葉に、士官学校に入学して間もないマリオンたちは完全に飲み込まれていた。レネですら強い喉の乾きを覚えていた。

 イザベラ・ネーミアがヴェーラ・グリエールと同一人物であるということを知っているのは、軍の中でも一握りだった。この円滑なは全てマリアとハーディの根回しによる結果であり、そしてそれは完璧だった。

「我々歌姫セイレーンは国防のかなめである。周知の通り、我々D級歌姫ディーヴァは単独で戦場を支配することができる。諸君らが子どもの頃から、この国はたった二人の歌姫セイレーンによって守られてきた。しかし、わたしは! それを! よしとしない! これより先はS級ソリストV級ヴォーカリストC級クワイア――それぞれに役割ロールまっとうしてもらわねばならぬ。諸君はにはもはやいられぬのだ。なぜなら、諸君は歌姫セイレーンだからである!」

 イザベラの言葉に熱はない。冷徹な圧力だけがある。

「ヴェーラ・グリエールの退場と、このわたしの登壇により、時代はあるべき形に戻った。繰り返すが、諸君らの中から、死ぬ者も多く出るだろう。諸君や諸君の後に続く者たちの幾十幾百もの歌姫セイレーンが海で死ぬだろう」

 誰も何も言わない。ざわめきも、みじろぎもない。

「だがわたしはそれをして、国家国民のいしずえだなどと、欺瞞ぎまんめいた事を言うつもりはない。わたしは諸君に、のために死ねなどとは言わない! 諸君は、に死ぬのだ!」

 イザベラの正式着任を経て、ヤーグベルテはようやく息を吹き返す。諜報合戦は執拗に続けられていたが、アーシュオンによって準備されていた大規模軍事作戦は一旦ペンディングとなった。しかし、それでもアーシュオンではと揶揄されるほどの規模で、M量産型ナイアーラトテップの生産は続けられていたし、通常戦力の増強も確実に続けられていた。

 一方でヤーグベルテは、カティ率いるエウロス飛行隊でさえ損耗に補充が追いついていない状況が続いていた。最新の装備こそ確保できていたが、エウロスの要求を満たせる飛行士パイロットの補充は夢のまた夢のような状態だった。

 レベッカと共に迎撃任務に当たり続けていたカティもまた、疲労はほとんど限界に達していた。だが、たるカティには、広報の任務もあった。何しろ国民からの人気という点では、ヴェーラやレベッカにも全く引けを取らない人物なのである。

 取材の類――というより人前に出ることが好きではないカティにとって、雑誌やテレビの取材は苦痛だった。だが、それでも今回は幾分気が楽だった。というのは、担当の記者が見知った顔だったからだ。それもヴェーラやレベッカの記事を独特の視点から数多く書いて発表しており、それらがヴェーラたちにも好意的に捉えられていたという実績を持っていたからだ。

「サミュエル・ディケンズです。サムと呼んでいただければ」

 撮影用セットのソファを勧めながら、記者が言った。

「ヴェーラたちから色々話は聞いていた。よろしく頼む」

 カティは握手をしてから、やや演技がかった口調で応じた。カティは軍からのイメージを崩すなと厳命されていたので、仕方なく女帝の仮面ペルソナを被っているのだ。

 サムと名乗った記者は、元陸軍の兵士だった。浅黒い肌と相俟あいまって、屈強という表現がしっくり来る体格の持ち主である。中年にさしかかっていると思しき容姿だったが、短く刈り揃えられた黒髪と眼鏡、そして無精髭。なんとも濃いキャラクターだなとカティは感想を抱く。だが同時に、「この男はただものではない」とも感じる。柔和な表情や視線に騙されそうになるが、そこには一分の隙もないのだ。全てを見透かしてくる――そんな警戒感を持たざるを得ない。

 言うならば、クロフォード提督によく似ていた。一言で言えば「胡散うさん臭い」のである。だが、普段から付き合いのあるクロフォードとよく似ていることに気付いてから、カティはむしろリラックスした。この男は――そう判断できたからだ。

「さっそく本題なんですがね、メラルティン大佐」

 砕けた口調でサムが切り出した。

「大佐としては、イザベラ・ネーミア少将のことはどのようにお考えですかね」
「どのように、というのは?」

 二人はそれぞれソファに腰を下ろす。周囲を一人のカメラマンが動き回って写真と動画を同時に撮っている。ネットニュースの記事にするために必要なのだという。

 カティは悠然と足を組む。革のパンツに包まれた長い脚に、サムは遠慮なく視線を送り付け、そしてカティを見据えて目を細めた。カティは気圧けおされることなく、肩をすくめる。

「アタシの意見なんて求めてはいないだろう、サム。形式上の質問はやめにしないか?」
「はは、確かに。戦力が補われ、戦線の負担が減るであろう事実。これで十分ですな」
「そういうことだ」

 カティは少しだけサムに好意を持つ。やはりこの男は。そこらの記者とは頭の回転が違った。そもそも彼は数ヶ月前に話題沸騰となったの作者だ。

「サム、あんたはヴェーラたちのことをよく知っていたはずだ」
「あなたほどではないと思いますがね、有象無象そこいらの記者どもよりは、という自負はありますな」
「じゃぁ、逆に訊くが、イザベラ・ネーミアをどう思う?」
「こりゃ手厳しい」

 サムは両手を上げた。

「彼女の仮面サレットの下は気になりますなぁ」

 眼鏡のレンズ越しのサムの視線は鋭い。カティの心を読み取ろうとするような視線を、カティは右手を振って払った。

「彼女はは見せないだろうさ」

 見せられる顔でもあるまい――カティは未だにヴェーラのを知らない。

「それはそうと、あんたのレポート、『国家主義と代理戦争』というやつを読ませてもらった」
「おっと、その話題大丈夫ですかね」
「必要ならカットされるだろ」

 それこそ例のだった。

「副題は、セルフィッシュ・スタンドだったな」
「軍のおえらいさんがあんなものに言及していいんですかね?」
「アタシはアタシのやりたいようにやるだけだ」

 カティは不敵に笑う。その表情をカメラが捉えている。サムは目を細め、右の口角を吊り上げた。

 『国家主義と代理戦争~セルフィッシュ・スタンド~』は、一度書籍として発売されたのだが、紙媒体は即座に回収されてしまって、電子媒体の方は原型を留めないほど修正を施された上で配信を停止された。当時、圧力をかけたのは軍、あるいは大統領府だという噂がまことしやかに飛び交った。なお、カティは色々なコネクションでその紙媒体の一冊を入手しており、その一冊は今はレベッカの手元にあった。

「さて」

 しばらくその書籍についての話をしてから、サムが時計を見て溜息をついた。

「それじゃぁ、そろそろ義務的な取材でも続けさせてもらいますかね」
「それならアタシは仕事として応じようじゃないか」
として、よろしくお願いしますよ」

 サムは携帯端末モバイルを操作しながら、飄々ひょうひょうとした口調でそう言った。

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