11-1-2:コンダクター・イザベラ

歌姫は背明の海に

 二〇九六年三月――イザベラ・ネーミアが歴史の表舞台に現れてから一ヶ月が経とうかという頃。

 ヤーグベルテ第一艦隊グリームニル、および、第二艦隊グルヴェイグが、アーシュオンの三個艦隊と激突した。第一艦隊旗艦・戦艦セイレーンEM-AZイーエムエイズィと、第二艦隊旗艦・巡洋戦艦エリニュスが並び立つそのさまは、アーシュオンの連合艦隊に対する圧倒的な威容となった。ヤーグベルテの艦隊は、後方に控えているエウロス飛行隊母艦リビュエおよびその護衛艦を含めると七十隻を超えていた。

 アーシュオンによるエッジ諸島奪還作戦に合わせた迎撃作戦である。アーシュオンとしては絶対に負けられない戦いと言え、そのため多数のナイアーラトテップを動員してきていた。ヤーグベルテとしても南東の要衝であるこの地を押さえられるのは避けなければならない。そのため、本土防衛が手薄になるのを覚悟で、歌姫セイレーンを総動員、あまつさえエウロス飛行隊の本隊すら投入しての短期決戦を選択した。

 黄昏の頃、両勢力が距離を取って睨み合うそのさなかでも、レベッカはコア連結室には向かわなかった。エリニュスの艦橋ブリッジにある督戦席の前で、腕を組んで立っていた。未だ明るい東の水平線の彼方を、レベッカの目は見通していた。セイレネスを発動アトラクトしていなくても、レベッカの研ぎ澄まされた感覚はを正確に捉えている。

 レベッカの隣にはマリアが立っていた。マリアはというと、艦橋ブリッジの中央にある巨大なスクリーンを見つめていた。そこには彼我ひがの艦隊の位置情報が正確に表示され、時々刻々と変化している。

「姉様は前に出ないのですか?」
「ええ、よほどのことがない限りは、事前の打ち合わせの通りよ」

 レベッカは頷きながら言った。マリアは少し思案してから言った。

「確かに、それで良いと思います。後から参謀本部や第三課――アダムスに面倒なことを言われないようにするためにも」

 第三課統括アダムス大佐は、マリアにしても実に厄介な男だった。何しろ出世が上手い。世渡りが上手いということでもある。これはマリアの得意とする論理戦術とは相反するものである。結果としてアダムスは、マリアが言動を予測できない唯一の人間となっていた。今はハーディが抑え込んでいるが、彼女一人ではアダムスを相手にするには役不足であると、マリアは考えている。

「しかし姉様、本作戦は損失が多数出ることを覚悟したリスキーな作戦です。いくらネーミア提督が強大なD級歌姫ディーヴァであるとはいえ、C級クワイアたちには少なくない被害が出るでしょう。そのことについて、大統領府は黙っていないでしょう」
「そうね」

 レベッカはまた頷いた。

「しかし、今回はイズーのデビュー戦。いかにわかりやすく華々しくデビューするかが最重要。私の仕事は督戦。彼女の邪魔をするわけにはいきません。艦長、艦隊最後尾へ」
「イエス・マム、本艦は後退を開始します」

 艦長が繰り返すと、すぐにエリニュスは逆進を始めた。第二艦隊の他の艦艇が飛ぶように前に出ていくように見えた。レベッカはエリニュスが最後尾についたのを確認すると、腕を組んで仁王立ちした体勢のまま、その細身からは信じられないほど強い声を発した。

「第二艦隊所属艦艇に告ぐ。現時刻を以て、第二艦隊所属艦艇は本艦を除き、全てが一時的に第一艦隊司令官、ネーミア提督の指揮下に入ることになる。各員の奮闘努力に期待する!」

 その言葉の直後に、第二艦隊所属の歌姫セイレーンたちの顔が次々とメインスクリーンに映し出された。幾度かの戦闘を経験してきた彼女たちの顔には、もはや新人の気配はない。仲間の誰かが死ぬ。自分が死ぬかもしれない。その恐怖を拭うことはできていないにしても。

「哀しいものですね」

 一頻ひとしきりの応答が終わり、彼女らの顔たちが消えていくのを見ながらマリアが呟いた。レベッカは沈黙で応じる。頷くわけにはいかなかった。

 ほどなくして、第一艦隊の哨戒艦が「敵航空機発艦」の報告を上げてくる。それを待っていたイザベラの声が、全艦隊に響き渡る。

『総員、対空戦闘用意! 敵航空戦力、推定百五十! マーナガルム飛行隊の存在も確認されている。油断するな! 制空権そらC級クワイアで確保してみせよ!』

 イザベラ・ネーミア、か。

 レベッカは嘆息たんそくする。ヴェーラより約二音低い、ややハスキーな声。それがヴェーラの演技の一環なのか、あるいは火傷の後遺症によるものなのかはわからない。だが、それでもレベッカにとっては大切なヴェーラの声であることには変わりなかった。

 敵航空機からの対艦ミサイルが飛来してきたが、それは艦艇たちより三十キロも手前で消し飛んだ。

『手助けはこの一回だ』

 それはイザベラの干渉によるものだ。イザベラはなおも鋭い口調で続ける。

『わたしとV級ヴォーカリストはクラゲどもを対処する。C級クワイア、決して制空権そらを奪われるな!』

 とはいえ、今回は敵にマーナガルムがいる。C級クワイアだけでは。

 レベッカは逡巡の末、提案する。

「私がマーナガルムに対処したほうが良さそうだけど」
『いや、ベッキー。きみは後ろで見ていてくれ』
「でも、マーナガルムは強力よ」
『おいおい、アタシを忘れてるぞ』

 割り込んできたのはカティだった。その直後、エリヌスをかすめるようにして赤いF108Pパエトーンプラスが飛んでいった。続いてやってきた十一機の黒塗りの同機体が、カティの機体を追っていく。黄昏時の空の中でも、彼らの姿はやけにはっきりと見えた。

『こちらメラルティン大佐。ネーミア提督、マーナガルムは任せておけ』
『了解、メラルティン大佐。空軍の顔も立てねばならないようだ』
『そういうことだ。主役を食うことはしないさ』
『助かる』
C級クワイアに華を持たせれば良いのか? 旗艦じゃなく?』
『これからの戦いの主役はC級クワイアさ、メラルティン大佐。国家の命運を力ある個人に依存させてはいけない』

 レベッカの視線の先、水平線の彼方が薄緑色オーロラグリーンに輝き始める。セイレネスが次々と発動アトラクトしているのだ。対空砲火の間断のない輝きも雲に反射してまばゆいほどだ。

 あの光の中で何百人も死ぬのだ――レベッカは密かに奥歯を噛みしめる。

『わたしはいつまでも最前線にいるつもりはないんだよ、ベッキー』

 イザベラの声がレベッカの頭の中に響いた。圧力を伴ったその言葉に、レベッカは視線を鋭くする。

『そして、アーシュオンを滅ぼそうとも思わない』
「イズー……」

 レベッカの呟きに気が付いたマリアが、視線をメインスクリーンからレベッカの顔に移動させる。その表情はいつになく険しい。

「姉様、気になることが」
「どうしたの、マリア」

 レベッカが問うと、マリアは敵艦隊の最後尾あたりにある光点をコンソールを使ってマークした。それの動きは不規則であったが、かなりの高速だ。今は後方を彷徨さまよっているだけに見えたが、その動きにしても不気味だった。

「この機動性はE初期型ともM量産型とも違います。しかし海面下にいることは確か。となればナイアーラトテップの新型――」
「セイレネス搭載艦というのは間違いない?」
「ええ。しかも――」

 マリアは眉根を寄せて耳をふさぐような仕草を見せる。レベッカも同時に耳鳴りを覚えた。レベッカは顔をしかめつつ言う。

「こちらのセイレネスに干渉してきていますね」
「ええ。しかもかなり強力です。V級ヴォーカリストをあるいは凌駕りょうがするかもしれません」

 耳鳴りはより酷くなってきている。まるでだ。

「イズー……!」
『気付いているさ。なんだかわからないが、ひどく不吉な気配だ』
「本当に私の支援は要らないの?」
『きみの仕事は督戦だ。後ろにいてくれ』
「……わかった。けど、もし」
『わたしに危険が及びそうなら前に出る、だろ』
「ええ」

 それは参謀部第六課のシナリオにもある。

『無論それはそれで構わないさ。だが、それ以外はきみは後ろだ』

 頑としてレベッカの支援を受け容れないイザベラの言葉に、レベッカは溜息をつく。レベッカとて居ても立っても居られないのだ。

 人の気も知らないで!

 レベッカは唇を噛んで、遠く輝く空を睨みつけた。

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