先陣を切る三機の白い戦闘機――確認するまでもない。マーナガルム飛行隊だ。マーナガルムに率いられた各航空隊の連携も見事だ。艦隊戦力だけでは、航空戦の段階で大損害が出ていたに違いない。歌姫は強力な戦力ではあったが、C級歌姫だけでは到底絶対無敵とは言えなかった。
「カティはやはり頼りになる」
イザベラは呟く。航空戦では艦隊にいくらかの損害が出てはいたが、三十分以上が経過した今でも、全艦が戦闘能力を残していた。カティの率いるエウロス飛行隊がいる以上、敵航空部隊は対空戦に専念せざるを得なかったからだ。マーナガルムが艦隊に攻撃をしてくるような状況だったら、V級でさえある程度の損害を免れなかっただろう。
しかしまだ懸念事項はある。
「エディタ、トリーネ。ナイアーラトテップの新型に気付いているか」
『高速で前線に向かっている一隻ですね』
「そうだ、エディタ。トリーネと二人で対処しろ。油断するな」
『了解です』
エディタとトリーネの声が揃う。この二人なら大丈夫だろう――イザベラは傍らに置かれた仮面を右手で軽く叩いた。人前では決して外すことのない仮面。普段のイザベラの顔は、これによってほとんど隠されている。今の素顔にはヴェーラであった面影はなく、レベッカにさえはっきりとは見せたことはなかった。白金の髪も今は人工毛髪の栗色となっていた。
「クララ、テレサ。ナイアーラトテップM型が十五隻だ。まともに戦っては損害が大きくなりすぎる。さしあたり引きつけ続けるだけでいい」
『クララ了解。ただちに対潜物理攻撃を開始します。駆逐艦四隻お願いします』
「アサインした。敵艦隊からの物理攻撃は私が処理する。きみたちはナイアーラトテップに注力するんだ。いいな?」
『了解』
クララとテレサがほとんど同時に応じた。二人は物理的攻防に於いてはエディタやトリーネに大きく劣ってはいたが、それでもV級である。そして与えられた軽巡洋艦ウェズンとクー・シーも極めて優れている。その機動力だけでも強力な戦力だった。
「さて、気になるのは――」
新型のナイアーラトテップだ。見た目はE型とさして変わらない――要はクラゲだ。だが、その機動性は段違いだった。水中にあるというのに、まるで飛行しているかのような速度と機動を見せつけてくる。その足回りという点に関しては、こちらの駆逐艦たちをも上回る。接近させてはならない敵だ。遠距離攻撃の手段はなさそうだが、それすらも不確定だ。
「情報部も聞いて呆れる」
情報がない相手というのは、それだけでリスクだ。まして新兵器であることは自明。何をしてくるかわかったものではない。
『イズー、私は――』
「きみは見ているだけでいい」
イザベラが見ているモニタには、督戦席の前に立っているレベッカが映っている。レベッカからはイザベラの顔を見ることはできない。
『でも、あの新型もそうだし、そもそもM型十五隻……。被害が大きくなってしまったら』
「わたしの初陣を華麗に飾れない、かい? 考えてくれ、ベッキー。これはあの子たちにとっては演出でも何でもない。リアルに命を賭けた実戦なんだ」
『でも! だからと言って、出さなくても良い犠牲まで出すのは、あなたにとっても私たちにとっても、そしてヤーグベルテにとってもリスクでしかないわ!』
「出さなくても良い犠牲だって?」
イザベラは鼻で嗤う。
「これは戦だ。戦いなんだ。命を賭けた大茶番。だから犠牲が出るというのならそれは然るべき、出るべくして出る犠牲なんだよ、ベッキー。ねぇ、ベッキー。わたしたちが永遠に、あの子たち全てを守り通すことができるとでも思っているのかい? そんなことできないだろう?」
イザベラの言葉にレベッカは言い返すことができない。イザベラは一息置いて、続けた。
「さにあらば、ここで出る犠牲というのはね、遅かれ早かれ出てしまう欠員ということなんだ」
『でもそんな! そんな結果では誰も納得なんて!』
「甘えだって言うんだ、そういうのを」
レベッカの掠れた声を、イザベラは塗り潰す。
「媚びを売るのも下手なくせに、お願いすることもしようともせずに、わたしたちを都合よく頼っているのは誰だい、ベッキー。そんな奴らを納得させるために、わたしたちは戦っているのか?」
『あなたの言いたいことはわかる! だけど、死ぬのは歌姫や乗組員のみんななのよ!?』
「そうさ、犠牲者はわたしたちだ。奴らのためにわたしたちは死なねばならない。ただ一人の例外もないんだ」
そう言い切るイザベラの意識は、新型のナイアーラトテップを上空から追い続けている。あの素質者を乗せていた核弾頭のように、近い。E型、M型など比較にならないくらいに近いのだ。つまり、乗っているのだ。そこにいるのだ。
「そしてそのパワーはエディタを超える……」
強力な素質者――いや、歌姫だ。エディタとトリーネの二人がかりでも、ある程度の損害は覚悟しなければなるまい。だがイザベラはそれを受忍することを決める。我ながら冷徹なことだとイザベラは思う。心のどこを探しても、そこには一切の迷いがないのだ。
そこにカティからの通信が入ってきた。
『こちらエンプレス1。制空権は確保した。エウロスはこれより敵艦隊への攻撃を行うが、構わないか?』
「牽制で十分だ、メラルティン大佐。こちらが一息つければそれで。マーナガルムの様子はどうか」
『あいつらはまだ元気に飛んでいる。だが、アタシの隊が追いかけ回しているから問題はない。艦隊攻撃隊の指揮は、二代目暗黒空域殿にお任せだ』
二代目暗黒空域というのは、エウロス飛行隊副隊長、カルロス・パウエル少佐のことだ。カティよりも若いが、天性の才能という点ではカティに勝るとも劣らない逸材である。
「承知した。油断せず、大佐」
『誰に言ってるんだい』
イザベラの意識の真上を真紅の戦闘機が掠め飛んでいく。三匹の白い猟犬を確実に追い詰めていく赤い女帝。圧倒的という表現がこれほど似合う人はいない――イザベラはその姿に改めて舌を巻く。優雅に、鮮烈に、そして限りなく自由に舞い、怒涛のように追い詰める。無駄も隙もなく放たれる機関砲弾が、マーナガルムの三機を確実に傷付けていく。曳光弾に導かれるようにして、情け容赦のない弾丸の群れが、純白の翼を穿っていく。
こちらは問題なかろう。
イザベラはそう判断し、再び海上に意識を向けた。
『クララよりネーミア提督。敵M型に距離を詰められています』
「何とかしてみせろ、クララ、テレサ。きみたちはV級だ。M型の十五隻ごとき、対処してみせろ。防戦で構わない」
『しかし提督、このままでは』
クララの不満げな声を受けて、イザベラは「やれやれ」と嘆息する。
「いいか諸君」
イザベラは艦隊全艦艇に告げた。
「これは実戦なのだ。訓練ではない。残念ながら、もうすでに死傷者は百名単位で発生している。繰り返すがこれは実戦なのだ。油断したら死ぬ。油断しなくても死ぬ。たった一発の被弾でも、当たりどころが悪ければ沈む。戦とは元来そういうものだ」
イザベラはそう語りながら、セイレーンEM-EM-AZの艦首PPCを展開した。艦の装甲が幾重にも展開し、巨大な三連装誘導砲身が姿を見せる。戦艦のジェネレータ出力の大半がそこに注ぎ込まれ、レーダー以外の電子装備が待機状態に移行した。
「レニー、見えているか」
『は、はい』
レネは士官学校のシミュレータルームにいる。未だ候補生という立場ではあるが、もうすでにレベッカの補助をするべく、連日連夜のごとく索敵支援を行ってもらっている。レネはS級だけあって、遥か離れたヤーグベルテ統合首都からであっても、セイレネス搭載艦を足がかりにすることで長大な索敵範囲を確保することができていた。おかげで歌姫たちは戦闘だけに専念できる。イザベラにとってもレネはありがたい存在だった。
『敵航空戦力はマーナガルム以下二十機。エンプレス隊六機が対応中。敵艦隊にも六機が向かいましたが、一撃して離脱する模様です。他のエウロス飛行隊はすでに母艦に向かっています』
「決したと見たということだな。了解した。引き続きクラゲどもを追ってくれ」
『了解です、提督』
さて、と。
イザベラは艦首を水平線の彼方にいる敵艦隊に向ける。その全ての構成艦はレネからの情報ではっきりと見えていた。イザベラは自身の観測も重ね、その誤差を確認する。
「やるじゃないか」
レネの索敵能力に満足し、イザベラは不敵に笑う。
「反射誘導装置、展開用意。モジュール・エコー発動! 対象捕捉、完了。粒子加速度最大値でトリガーをわたしに」
この一撃で敵艦隊は壊滅し、遁走するだろう。イザベラは、戦艦セイレーンEM-AZの艦首付近に意識座標を動かす。
敵艦隊それぞれの旗艦を捕捉。護衛の重巡級以上すべてをロックオン。
『ネーミア提督、トリガー、ユー・ハヴ』
「アイ・ハヴ、砲術長。反射誘導装置を展開。エネルギー充填率、許容限界到達。予備照射を開始してくれ」
『アイ・マム。予備照射開始します――終了。フィードバック、送ります』
「アイ・ハヴ。予備照射結果良好、ターゲットを残らず捕捉していることを確認した」
水平線はお前たちの盾にはならんのだよ――イザベラはレネから送られてくるリアルタイム補正を確認しながら、反射誘導装置を搭載したドローンを再配置する。
「セイレネス、発動! 最大出力維持! 艦首PPC、射撃開始!」
セイレーンEM-AZの流線型の可変装甲が後ろから前にかけてぬめるように光り、艦首から突き出した三連装誘導砲身が黄昏に落ちた海面を薄緑色に照らし上げた。超高エネルギーの輝きが拡散され、そして一気に収束する。反射誘導装置で乱反射した輝きが、水平線の彼方に落ちていく。水平線の向こうの空が断続的に輝いたかと思えば、黒々とした煙が上がったのが、イザベラの視覚でも捉えられた。闇に落ちかけた空を背景に置いてでさえ、立ち上る黒煙はこれでもかと言わんばかりによく見えた。
イザベラの放ったこの一撃で、敵の艦隊は完全に機能を失った。三個艦隊それぞれの旗艦を一瞬にして喪失したからだ。セイレーンEM-AZの性能に、イザベラ・ネーミアのセイレネス能力が合わさったことによるその威力は、ヴェーラだった時のそれをすら大きく上回っていた。
指揮系統を根こそぎ失った敵艦隊は三々五々退却を始めている。航空戦力も、あまつさえ司令部機能をも失ったのだ、やむを得まい。だがイザベラは、それで終わらせるつもりはなかった。
「その前に――」
新型ナイアーラトテップだ。
イザベラは未だにエディタたちを翻弄している新型に向けて、意識を動かした。