11-2-1:エディタのタクト

歌姫は背明の海に

 イザベラはアーシュオンの残存艦隊に向けての第二射を放つことを決意する。薄緑色オーロラグリーンの輝きが、セイレーンEM-AZイーエムエイズィから同心円状に広がっていき、やがてその海域を覆い尽くす。今度はその輝きが急激に収束し、再び戦艦の艦首PPC粒子ビーム砲に集まっていく。

「一人残らず――!」

 イザベラは目を細め、残存艦艇の全てをロックする。M量産型は歌姫セイレーンたちに任せるとして、その邪魔となる通常艦隊は一網打尽にしておいたほうが盤石ばんじゃくと言えたからだ。

「ジェネレータ出力、可能な限り回して」

 先程よりも大きな力が乗っているのを感じる。

「艦隊全艦、衝撃に備えよ」

 セイレネス発動アトラクト、モジュール・グングニル。

 興奮も高揚もない。同情も悲哀もない。

 ただ、殺す。

 イザベラは自分がもうヴェーラではないのだということを実感する。何の憐憫れんびん呵責かしゃくも感じないのだ。

 かくして放たれた光の束は空を焼き、海を焼く。第一射とは比べ物にならないエネルギーが乗っていた。

「トリーネか」

 そして死んでいったC級歌姫クワイアたちの残り香。それがイザベラの力を増していた。

 水平線の彼方に着弾したエネルギーの塊は、一瞬で当該海域を粉砕した。衝撃波がぐるりと海面を伝ってイザベラたちの艦隊にも届く。海は大荒れとなった。

 その威力を目の当たりにしたエディタは、思わず息を飲んだ。あまりの激甚げきじんな破壊力に思考が停止する。愛するトリーネを眼前で失った衝撃からも立ち直っていないエディタの思考は、あっさりと停止してしまう。

『エディタ、何をボケっとしている。指揮をれ。タクトはきみが持っている』

 鋭い叱責を受け、エディタは額に汗が吹き出したのを感じた。慌てて残存十隻のナイアーラトテップと、味方艦艇の位置関係を確認して愕然とする。

「クララ、テレサ! C級クワイアの進路情報をきちんと設定しろ。双方の邪魔になっている!」

 それでも艦隊が崩壊していないのは、乗組員の練度のおかげだ。第一、第二艦隊の所属搭乗員は幾度もの死線をくぐり抜けてきた猛者で構成されているのだ。未熟な歌姫セイレーンだけに任せてはおけないという軍部の判断だ。

「ええい、私が進路を指示する。みんな落ち着け、C級クワイアの艦艇は足が速い。止まらなければ追いつかれることはない!」

 エディタは瞬時に幾つもの情報を入力して、やがて味方と敵が入り混じった円運動に持っていくことに成功する。エディタの艦は少し離れた所で機会を窺う。重巡アルデバランには強力な対潜兵器がない。接近されるのは悪手だった。

『エディタ、このままでは疲れ知らずな敵にいずれ食われるぞ』
「しかし、提督」
『追いかけっこは不利だ。先に仕掛けさせろ』

 その命令の意味するところは、C級クワイアを食わせろということだ。おとりに食いついている間に仕留めろということだ。

「しかし、そんなことをしたら」
『脱出できれば生き残ることも可能だ。何も十死零生というわけではない。きみが囮艦を決めるんだ、エディタ』

 増援もない。イザベラも、レベッカも、助けてくれそうにはない。

 今この状況を打開できるのは、私だけだ――エディタは唇を噛む。

 トリーネ……君だったらどうする?

 ――C級クワイアのみんなだって無力じゃないよ、エディタ。

 トリーネ!?

 突然耳元に聞こえた愛しい声に、エディタはキョロキョロと首を巡らせた。当然ながら暗黒のコア連結室には他の人影などない。

 ――人を信じるのも、勇気だよ、エディタ。

 間違いない、トリーネがいる。エディタの心拍が跳ね上がる。

「どこにいるんだ、トリーネ」

 ――あなたの心の中に。だから心配しないで。

 いったいぜんたいこれはどういうことなんだ。エディタは混乱したが、何故か安らぎを感じてもいた。

「わかった。信じる」

 エディタはM量産型と最も距離のあった二隻の駆逐艦に停船と総員脱出命令を出す。その後方に付けていた小型砲撃艦フリゲート小型雷撃艦コルベットに救助命令を発令する。時間との戦いだった。全員が脱出する時間は常識的に考えてない。

「クララ、テレサ! 今マークした一隻を最優先で狙え!」
『クララ了解』
『テレサ、了解コピー

 こいつさえ沈められれば猶予時間は少し伸びる。アルデバランからもなけなしの対潜砲撃を行う。さほど効果は上がらないが、進行速度がわずかでも落ちればいい。

 だがM量産型は恐れを知らない獰猛な獣のようだった。クララ、テレサ、二人のV級ヴォーカリストからの攻撃を受けて損害を出しつつも、執拗に囮に向かって突き進む。その間に無事な九隻のナイアーラトテップが逆進を開始する。

「くそ!」
『見くびられても困るわ!』

 不意に回頭してきた一隻と真正面からぶつかる形となったテレサの軽巡クー・シーは速度を落とさなかった。そのままナイアーラトテップに乗り上げるように体当たりを仕掛け、その場でセイレネスをリブートした。

「テレサ! 無茶するな!」
『意地ってものがあるのよ! トリーネを失って哀しいのはあなただけじゃない!』

 次々と叩き込まれるセイレネスの力の乗った対潜魚雷。その爆風にテレサの艦も大きく揺れていたが、それ以上にナイアーラトテップの被害は甚大だった。たまらず潜航して逃げようとする。

『みんな、爆雷!』

 後続のC級クワイアたちに指示を出すテレサ。四隻の小型艦が爆雷の雨を降らせる。

『あとは僕に任せて!』

 追いついてきたクララの軽巡ウェズンが薄緑色オーロラグリーンに輝く。投下された爆雷が海中で共鳴するかのように輝いた。

『セイレネス再起動リブート。モジュール・トライデント!』

 海面が盛り上がり、爆炎を噴き上げる。M量産型ナイアーラトテップの反応が一つ消えた。

「やる……!」

 エディタが思わず声を上げる。だがあと九隻もいる。

『囮に食いついてる奴を仕留める』

 クララの軽巡が増速する。その隣に小破したクー・シーが並ぶ。

「ネーミア提督、私も」
『ああ。わたしたちはトリーネというかけがえのない人材を喪失した。その失態を犯してしまった以上、わたしたちは手ぶらで帰るわけにはいかない。どんな犠牲を払ってでも、M量産型を一挙殲滅しろ』
「提督」
『なんだい?』
「トリーネの仇を討つ。そんな動機でも指揮はれますか」

 エディタの意識は重巡アルデバランの上空にある。ここからならクラゲどもがよく見える。

 そんなエディタのそばに、イザベラの気配が近付いてきた。見えなくても感じるのだ。

『きみは冷静だ、エディタ。だからこそ今、きみが
「囮作戦はもう使えません。正面から当たります。提督は――」
再充填リチャージにあと十五分は必要だ。強力な火砲は使えない』
「アーメリング提督なら……」
『彼女には彼女の役割がある』

 にべもない返答に、エディタは言葉を詰まらせる。つまり支援はないということだ。

「わかりました」

 エディタは首を振った。

「全艦に通告。今マークした艦艇の乗員は直ちに退艦! 艦の代わりなどいくらでもある。が、乗員も歌姫セイレーンも代わりなどない。クラゲが食いつくと同時に自爆させ、間髪入れずに沈めにかかれ!」
『駆逐艦ジュラクのイーシャよ』

 C級歌姫クワイアの一人から通信が入る。駆逐艦ジュラクというのは、今退艦命令を出した一隻だ。イーシャのことはエディタもよく知っている。同期なのだから当たり前だが。

『クラゲを確実に沈めるために、私は残ります』
「いや、待て。それは!」
『通常の自爆ではかすり傷にしかならないわ。それこそ艦を無駄に消費するだけ。私が最後まで残って、クラゲに少しでも損害を与える』
「死ぬんだぞ!?」
『……怖いけど』

 イーシャの沈鬱な声が響く。

『だけど仇を討ってくれると信じてるから』
「だめだ、脱出しろ! 時間がない!」
『さよなら』

 クラゲが駆逐艦ジュラクに触手を絡める。瞬く間に圧潰あっかいし始める駆逐艦。そこにクララたちからの砲撃が突き刺さる。だが致命弾にはならない。

『セイレネス発動アトラクト!』

 それがイーシャの最後の声だった。駆逐艦ジュラクが淡く発光したかと思うと、大爆発した。海域を衝撃波が薙いでいくほどの爆発は、C級クワイアでは到底引き起こせない威力だった。何故そんな威力になったのかはわからない。だが、その爆発によって、M量産型は合計三隻が撃破ないし大破することとなった。猛然と襲いかかるクララ達によって、手負いのクラゲは皆沈む。

「くそっ!」

 私のせいだ。エディタは両手を握りしめる。

「私が殺したようなものだ」
『そうだ』

 イザベラが冷徹に肯定する。

『そして、それが指揮官の仕事なんだ、エディタ』

 なげくエディタの意識に寄り添うように、イザベラは囁いた。夜空が爆炎に彩られ、破壊の音が静寂しじまを引き裂いて、幾重にも折り重ねられていく。歌姫セイレーンは未だに続き、そして新たに生まれていた。その精神こころを犯す重篤な絶唱は、抜けない針となって皆の心臓に突き刺さる。

『全ての恨みはわたしが引き受ける。きみはわたしを憎むといい。だけどね、それは後だ。今は私の命令通り、クラゲどもを殲滅するんだ』
「わかっています、提督」

 エディタは乗艦アルデバランの火器管制を全てひったくるように奪い、全火器を打ち上げた。その弾丸のエネルギーは全てセイレネスによって補足され、不可視の槍となって空中に静止した。

「沈めッ!」

 憎むべきは、敵だ。ネーミア提督ではない。

 エディタのモジュール・ゲイボルグによる一撃が、海面下数十メートルにいるクラゲを穿うがった。今のエディタには、対潜の苦手なアルデバランを使っていてもなお、ナイアーラトテップを撃沈せしめる力があった――そうと

 ナイアーラトテップの対セイレネス防御装置、いわゆる抵抗レジストしてくるが、エディタの放った鋭利な穂先を防ぐことはできなかった。楕円形の基部に突き刺さったエネルギーの槍によって、ナイアーラトテップが内部から崩壊を始める。その能面のような基部が見にくく歪んでぜる。その威力には誰よりもエディタ自身が驚いた。

 エディタは気が付いていなかったが、エディタの能力は今、限界まで高められていた。極限とも言える選択を強いられたことによる、そして何より愛するトリーネを失ったことによる、とも言えた。この高レベルでの能力の安定は、イザベラと同様に、薬物による一時的なそれによく似ていた。

「クララ、テレサ、そのまま押し切れ!」
『論理戦闘の方が早いのでは』
「いや、そうなると君たちが危険に晒される。このまま進むのがベストだ!」

 そう言ってしまってから、エディタは愕然とした。

 私は今、命を天秤にかけた?

『指揮官として正しい判断だよ、エディタ』

 イザベラが心を見透かしてくる。恐ろしい人だとエディタは感じる。イザベラの目からは、何も隠し通すことはできない。

C級クワイアだって死んでも良い生命なんかじゃないのに」
『軍としてはより能力のあるものに傷つかれる方が損害だ。だからきみは正しい』
「それでも……!」
『エディタ、誰にもを守ることなんてできはしない。その場その場の最適解を選び続けるだけで精一杯なんだ』
「私は何人もの同期を殺してしまった」
『きみの責任ではない』

 イザベラはエディタの隣にいた。気配でわかる。

『きみは今のきみにやれることをやった。わたしはそのことに不満を感じていない。めを負うべきはわたしであって、きみではない』
「ですが……」

 釈然となんてしないし、納得もできない。エディタは唇を噛みしめる。下唇の痛みが、いっそ心地よかった。

 気付けば夜の海原は沈黙で満ちていた。ナイアーラトテップM量産型、十五隻の完全な沈黙を確認。水平線の少し上に美しく輝く三日月が見えた。地球照により、影になった部分がうっすらと浮かび上がって見えるほど、空は鮮烈に透き通っていた。

『エディタ』

 セイレネスからログアウトしようとした寸前に、イザベラから呼びかけられる。

『トリーネの仇を討てたかい?』
「いえ」

 即答。

「勝利以外、何一つ得られませんでした」
『そう、だろうね』

 応じたイザベラの声には、憐憫れんびんとも煩悶はんもんとも取れるが、にじんでいた。

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