11-2-3:ヴォーカリスト、三人

歌姫は背明の海に

 ちょうどその頃、エディタ、クララ、テレサのV級歌姫ヴォーカリスト三名は、士官学校のセイレネス・シミュレータルームに集まっていた。隣接するモニタルームではブルクハルト中佐が何やら忙しそうに作業をしていたが、それはいつもの事、もはや風景の一部であった。ブルクハルトの存在については、もはや歌姫セイレーンの誰もが気にしていないし、よしんば会話を聞かれたとしてもブルクハルトがそれを口外することはないということも知っていた。歌姫セイレーンたちにとっては、ブルクハルトは一種の神様的なポジションにあり、そこには絶大な信頼関係があった。

 エディタが他の歌姫セイレーンと顔を合わせるのは実に二週間ぶりだった。査問会が長期化してしまったおかげで、エディタは半ば軟禁状態に置かれてしまっていたからだ。今日になってようやく調査が一段落し、その身柄も完全に解放されたので、その足でシミュレータルームを訪れていた。いつもならブルクハルトが軽く挨拶しに出てくるものだが、今日は視線を送ってきた以外の何のリアクションもみせなかった。エディタの背負っている空気の重たさに気付いたからだろうと、待っていたクララとテレサは囁きあった。

 エディタはクララたちが驚くほどげっそりとやつれていた。寝不足もあるのだろう。頬はこけ、目の下には濃い隈ができていて、いつもの美貌が台無しになっていた。その藍色の目にも生気がない。

「トリーネがいないことを、私はまだ受け容れられていないんだ」

 三十分が経過した頃になってようやく、エディタはぽつりぽつりと吐き出した。その目は潤んでいるようにも見える。信じられないくらいに弱々しいその口調に、クララとテレサは顔を見合わせる。しかし、かけられる慰めの言葉など、二人の中にはなかった。

 二人は黙ってそれぞれの筐体きょうたいから離れ、エディタの近くに移動した。筐体に寄りかかったままのエディタの目から涙がこぼれる。

 クララはエディタの背中をさすってやりながら、テレサを見る。

「どうしてネーミア提督は、僕たちを助けようとしなかったんだろう」
「そうよね、クララ。余力は十分にあったはず……」

 テレサは眉をひそめて応じた。エディタは首を振る。

「あのくらいの敵、ネーミア提督お一人ででも対処できたはずなんだ」
「じゃ、じゃぁ!」

 テレサの声が大きくなる。

「だったら敢えて、トリーネやC級クワイアの子たちを見殺しにしたっていうの!?」
「そう見えるけど、そうじゃないと思う」

 エディタは涙を拭きながら、少し強い口調で言った。テレサが「どういうことよ?」と口を尖らせる。

「提督は示したんだと思う。先の海戦でアーメリング提督が示したのと同様に。いや、それ以上に苛烈に」
「その結果がトリーネの喪失? なにそれ!」
「テレサ、君は落ち着いて。今一番悲しいのはエディタだよ」

 クララの穏やかな口調に、テレサは不貞腐れたかのように黙る。

「でもね、エディタ。僕にはわからないんだ、提督たちの考え方が。どうしてこんなに被害が大きくなる戦い方を選ぶのか。この前の戦いではアーメリング提督は何もしてくださらなかった。ただそこにいただけで。僕らがやられるならそれまでだ――お二人はそうおっしゃっているようにも感じた。これは事実だ」
「それはきっと……」

 エディタは鼻を啜る。

「それはきっと、正しい」
「そんなイデオロギーのために私たちの仲間が大勢死んだのよ? それはいいの?」
「よくない!」

 エディタは首を振った。その反動で涙がまた落ちる。

「よくないけど、私はこの二週間ずっと考えていた。なぜ、なぜ、なぜ!?」
「……答えは、見つかったのかい?」
「私たちは頼りすぎていた」

 エディタはぽつりと答えた。

「そして状況に甘えすぎていた。アーメリング提督が既に示していたというのに、私たちはなおもD級ディーヴァの傘の下でぬくぬくとしていられると勘違いしていた。あの絶対的に堅牢な傘の下で。私たちはそんな小さくて安全な舞台でセイレネスで輪舞ロンドを踊っていた。踊り続けていいんだって錯覚してた。今となっては本当にそうだったと思う」
「で、でも、トリーネは死んだのよ!」

 テレサが拳を握りしめながら訴える。その口調は鋭く尖っていた。

「あのI改良型という名前のISMTインスマウス。あんなヤツ、そもそもネーミア提督が引き受けてくれていれば! トリーネは死なずに済んだ!」
「たらればに意味なんてないんだ」

 エディタが疲労を隠さずに吐き出した。

「采配自体は誤りではなかったと、参謀本部も認めている。ハーディ中佐もそれを記者会見で正式に認めている。損害は認めつつも、大勝利であったことに違いはないとね」
「でもエディタ! トリーネは帰ってこない!」
「わかってるさ!」

 エディタの口調も強くなる。テレサは息を飲んで硬直する。

「ネーミア提督は、査問会の席で仰ったそうだ。わたしは永遠ではない、とね。いつまでもみんなを守ってやれるわけではない――あの方はそういう意味で言ったのだと私は解釈している」
「それでも! 守れたはずの命じゃない!?」
「トリーネを失ったのは、つらい。本当につらい。朝起きて隣に彼女がいないのがこんなにつらいなんて思いもしなかった。どうしてトリーネが死ななければならなかったのか、私は毎日ずっと考えた。必死に考えた。納得できる理由を探そうとした。その結果辿り着いたのが」
「なるほど」

 クララは神妙な顔をして頷いた。黒髪が目にかかる。

 しかしテレサは納得できなかったようだ。

「でも、でも、やっぱり守れるはずの人が死ぬのを黙って見てられるのはおかしい!」
「テレサ」

 エディタが静かに呼びかける。

「テレサ、君はネーミア提督やアーメリング提督に、未来永劫戦い続けろというのか? たった二人で、この先何年も何十年も、ヤーグベルテを守れって? 力があるというただそれだけの理由のために、死ぬまで戦い続けるのが当然なんだとか、そんなことを思ってはいないか?」

 鋭く詰問されたテレサは、唇を強く噛んだ。エディタはテレサをじっと見て、かすれた声で言う。

「私たちは先の一戦を超えて強くなったはずだ。実際にC級歌姫クワイアたちのセイレネス適性も目に見えて向上しているというデータも参謀本部で見せられた。それは私たちも同様だ。ネーミア提督の、おそらくは目論見もくろみ通りに」
「だとしても! トリーネは帰ってこない!」
「結果論だよ、テレサ」

 クララがエディタの右の拳を押さえながら言った。その表情は暗い。

「僕はエディタの話を聞いて納得した。いや、しなきゃいけないと思った。ネーミア提督は司令官に徹した。自分が出ていけば戦いは終わるとわかっていながら、敢えて僕たちに戦場を任せた。安易に自分が前に出るのではなくて、僕らぞれぞれが役割を果たせるようになることを期待した」
「私には納得できない、そんなの」

 テレサはそう言い捨てると、肩で風を切るようにして出て行ってしまった。クララの呼びかけにも応えようとせず――。

「ああ、もう!」

 イライラと髪に手をやるクララを見て、エディタは小さく頭を下げた。

「ありがとう、クララ」
「礼には及ばないさ」

 クララはエディタと並んで筐体により掛かる。

「僕は、ネーミア提督の思いも、エディタの気持ちも、テレサのやるせなさも、多分きっとだいたい理解できているつもりでいるんだ」

 クララはエディタの右手をそっと握る。エディタは驚いたように目を見開く。

「他意はないよ、エディタ。ただ君にはいま、人の温もりが必要だと思ってさ」
「……うん」

 エディタは小さく鼻を啜る。 

「エディタ、一つ訊いていいかい?」
「う、うん?」

 声を顰めたクララの顔を見つめるエディタ。クララはその黒い瞳でじっとエディタを見つめた。

「イザベラ・ネーミア。彼女、グリエール提督だよね」
「……嘘はつけない、か」
「君が一人で溜め込んでおくには、ちょっと大きすぎる秘密じゃない?」
「はぁ……」

 エディタは首を振る。クララはエディタを軽く抱いてから、身体を離した。そして静かに息を吐きながら言った。

「いたたまれないよ。グリエール提督が焼身自殺を図った理由を考えるとね」
「ああ。だけど、であるなら、私たちに今できることは――」
「イザベラ・ネーミア提督の期待に応え続けること、くらいだろうね」

 クララはそう言って、またエディタを見つめた。

「エディタ、君はだいじょうぶかい?」
「正直言えば、まだ全然」
「だよね」

 クララはエディタの髪に触れた。

「僕もテレサを失ったら、なんて考えると胸が締め付けられる」
「え? 二人は」
「鈍いなぁ、君は」

 クララはようやく微笑んだ。思わぬことに驚いたエディタは、なぜか髪をかきあげる。

「僕もテレサも、常に君に寄り添いたいんだ。同情とかじゃないよ、仲間だから、だよ」
「クララ……」

 エディタの両目にたちまち涙が浮かぶ。

「おいで」
「クララ……」

 クララはエディタを胸に抱きしめ、その頭を撫でた。

「笑っても怒ってもいいんだよ、エディタ。トリーネに対する罪悪感なんて要らないんだよ。君が君らしさを取り戻すことこそ、トリーネに対する供養だ。あの子もそれを望んでる、絶対に」
「うん……うん……」

 エディタは何度も頷いた。

「弱音吐いてもいいから。君は歌姫セイレーンである以前に、エディタ・レスコなんだ」

 クララの追い打ちに、エディタは嗚咽を止められなくなる。

「二週間、よく一人で我慢したね」

 クララは穏やかな口調で、エディタをねぎらった。

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