あなたは……なぜ私にこんな役割を与えたのですか。
バルムンクが生成した闇の中で、マリアはベルリオーズに詰め寄った。ベルリオーズは背中でゆるく手を組みながら、「なぜだって?」ととぼけるように応じた。
「簡単だよ、マリア。君が君であるために、ということさ。マリア・カワセも、アーマイア・ローゼンストックも、君が君であるために必要な舞台装置というわけさ」
「舞台、装置……」
「そう、今、君がそうしているようにね」
二人の間の距離は、見た目には二メートルとない。マリアの目には強い殺気があり、ベルリオーズの表情は柔和ではあるがあらゆるものを弾き返してしまうのではないかと言うほど凍て付いていた。
マリアはぐっと息を飲む。それはレベッカたちの前では見せない表情だった。
「私は、私はただ姉様方をお守りしたいだけです。それは私の、ARMIAとしての本然、いえ、本能のようなもの。そしてこのマリアとしての理性のようなもの」
「本能と理性ときたか」
ベルリオーズは冷たく微笑む。
「それら君の思考によって弾き出された答えもまた、ジークフリートの導き出したそれに過ぎないんだよ、マリア」
「たとえそうであったとしても、私は私です。私が考え、私が悩んだ末の――」
「神は賽を振らない」
穏やかな口調で割り込むベルリオーズ。マリアは言葉に詰まり、きつく唇を噛んだ。
「ARMIAとしての、つまり、今の君は、マリア・カワセなどではない。もちろん、アーマイア・ローゼンストックでもない。二つの現象が重ね合わされた事象であるに過ぎない。重ね合わせの状態があって、初めて君という本然が存在するし、そうでなければ原理的に都合が悪いんだ」
「誰にとって都合が悪いのですか」
「君の存在意義にとって、さ。そうだ、君の、いや、マリアの存在意義について、君はいったいどういうものだと理解しているんだい?」
「姉様方をお守りすることだと、私は――」
「本当に?」
がっかりした、とベルリオーズは露骨に態度に表す。その所作がマリアを一層苛立たせる。
「君のマリアとしての仕事は、そんなことよりもずっと先のことなんだ。ヴェーラとレベッカの事情なんて、僕にとっては実にどうでもいい、些末な事象の一つに過ぎない」
「ヴェーラ姉様は!」
「ああ」
ベルリオーズは首を振る。
「あの子はもうイザベラだったね。僕の与えた名前を棄てて、それで自分の手で未来を掴んだ気になっている愚かな子だよ、あの子は」
「そんな言い方……ッ!」
マリアは思わずベルリオーズに掴みかかろうとした。が、ベルリオーズに一睨みされて動けなくなってしまう。
「君はね、マリア。あの二人のフェイルセイフなんだ。コーディネイターにしてファシリテイター。そして、最終的な安全装置、それが君さ。そうであり続けてくれさえすればそれでいい。アーマイアにしても同じさ。君たち二つの現象は、常にARMIAを中心として重ね合わされる。善と悪のように。その成立規則から逃れることは、絶対にできない。君たちはそういうふうにデザインされているんだ」
「私は……!」
「ふふ。そこまで言うのなら、アーマイアの意見も聞いておくとしようじゃないか?」
ベルリオーズは身動きできないマリアの喉に右手を伸ばす。
「ぐっ、うっ……」
抵抗できないまま首を締められ、苦しげに顔を歪めるマリアだったが、やがて全身の力を失って崩れ落ちた。その身体を冷たい瞳で見下ろしたベルリオーズが呟く。
「再起動」
その途端、マリアが身じろぎし、やがて起き上がった。
「乱暴な呼び出しですね」
「やぁ、久しぶりだね、アーマイア」
ベルリオーズはマリアの身体に入り込んだアーマイアを助け起こす。
「ご無沙汰しております、ベルリオーズ様」
アーマイアは恭しく一礼した。
「君のもう一つの仮想人格がうるさくてね。君の意見も聞きたいと思って、こうして来てもらった」
「それは失礼致しました。マリアはとても良い子なのですけれど、良い子すぎてしまうのが難点ですわね」
「それに比べると、君はとても悪い子だ」
ベルリオーズは目を細める。その左目が仄かに赤く輝いている。アーマイアはそれに応えるように、ククッと喉の奥で笑った。
「私たちは共に相反スピンの関係ですもの。スカラは同じですが、ヴェクタは真逆。ご存知でしょう?」
「そりゃぁね」
ベルリオーズはおどけたように肩を竦めた。アーマイアも全く同じ仕草をしてみせる。
「さて、と。マリアの話はもういいかな」
「まだ何もお話ししておりませんけれど?」
「僕が関心を失った。だからどうでもいいのさ」
前髪を軽くつまみながら、ベルリオーズは息を吐く。
「ところで、アーマイア。アーシュオンの技術レベルはヤーグベルテにほぼ並んだ。あとは生産体制の問題だったっけ?」
「いかにもですわ。ナイアーラトテップにセイレーンEM-AZと同様のシステムを搭載することにも成功致しましたし」
「でも、自爆させてしまった」
「いいのです、あれで」
アーマイアは腕を組みつつベルリオーズを直視する。
「ISMT改にして、I型ナイアーラトテップ。ショゴス搭載弾頭システムのフィードバックで創られた、真のインスマウス。しかしながら現時点であれを量産すると、アーシュオンとヤーグベルテのパワーバランスが修復不能なほどに崩れてしまいますね」
「確かにね」
ベルリオーズはあっさりと同意する。
「あれは将来への投資、と。貴重なV級を消費してしまったのは少々痛い」
「申し訳有りません」
「いいさ。でも、アーシュオンにあるセラフの卵は数が限られているんだ。あまり粗末にはして欲しくないね」
「そういえば」
アーマイアは頬に手を当てた。
「セイレーンとショゴス。発現数に圧倒的な差異がありますが」
「それはそうさ」
ベルリオーズは「なんだそんなことか」と言わんばかりの口調で応じた。
「ヤーグベルテの血。それが発現のトリガーなんだからさ」
「なぜそんな偏りを?」
「そりゃ、君がタチの悪いいたずらをするかもしれなかったからさ」
そう言われたアーマイアは、マリアの顔で昏く微笑んだ。
「マリアが嘆くのもわかるよ。君は本当に、マリアとは正反対だ」
「あの子が白ければ白いほど、私は黒く染まる。必然です。私の役割からして、致し方のないこと」
その暗黒の目を細めて、アーマイアはベルリオーズと睨み合った。ベルリオーズの左目が強く赤く燃え上がる。
「黒き歌姫、か」
ベルリオーズは口角を上げた。全く温度のない微笑だ。
「君の出番はまだまだ先だろう」
「それはアーマイアの方ですか? それとも、マリアの方ですか?」
「ふふふ、どうだろうね」
その昏い含み笑いを聞いて、アーマイアは大袈裟に頭を振った。
「悪魔のようなお方ですね、あなたは」
「ははは! 僕はもっと邪悪さ。君たちの基準に照らすならば、ね」
豈図らんや――僕の有り様はさしずめ魔王といったところだ。
世界の照明が落ちる。