12-3-1:インサイド・ザ・プリズン

歌姫は背明の海に

 シルビアの執務室から出た直後に、ミツザキはふわりと姿を消した。もっとも、誰かがその瞬間を見ていたとしても、その現象を知覚することはできなかっただろう。

 その一瞬後には、ミツザキは闇の中にいた。何処を見ても自分自身以外、何一つ存在しない一切の闇である。それはまるで創世記(ゲネシス)の前日譚であるかのごとく、だ。ミツザキは銀の髪を揺らしながら、目の前の闇を睥睨(へいげい)した。すると、そこに光が射(さ)した。

 スポットライトのような光の中に、一人の青年が腕を組んで立っていた。不遜なその表情を見て、ミツザキは剃刀(カミソリ)のような鋭い微笑を浮かべた。

「貴様に汚名を雪(すす)ぐ機会をくれてやろう。ヴァシリー・ジュバイル」
「汚名、ときたか」

 ヴァシリーは荒んだ口調で応じた。

「汚名とは言うがな、悪魔。全て貴様らの思ったとおりに進んでいるのではないか。斯(か)くあるべし、とな」

 しかしミツザキは傲然(ごうぜん)とした表情を崩すことなく、じっとヴァシリーを、哀れな精神を見つめた。

「神は賽(サイ)を振らぬ。だが悪魔は気まぐれだ。運命に抗うというのなら、悪魔に縋(すが)るしかなかろう? 違うか、ヴァシリー」
「それがお前たち悪魔の誘惑というヤツか。なるほど、説得力がある」

 皮肉たっぷりにヴァシリーは言った。その目は鋭く眼前の悪魔を射抜いている。ミツザキは臆する事なく喉の奥で嗤う。

「貴様はミスティルテインの確保に失敗した。そのおかげで、彼女は遠からずエキドナとなるだろうよ」
「エキドナ?」
「そうだ」

 ミツザキの視線には感情はない。ただ、鋭い。

「彼女はセイレネスに干渉し続ける能力者。セイレネスはセイレネスの相互干渉により、歌姫(セイレーン)を発現(エマージェンス)させる。ゆえに、母(エキドナ)、だ」
「そのエマージェンスをおこさせないために、ヤツを殺せと?」

 その問いに、ミツザキは頷く。ヴァシリーは妙な表情を見せて首を傾げる。

「それは、お前に何のメリットがある? 俺がヤツを殺してしまえば、歌姫(セイレーン)とやらが生まれることもなくなってしまうのではないか? 確か、お前の目的は、論理と物理を隔てる門(ゲート)を開くことだったな。それによって、お前たちはこんな闇(プロトコル)を介さなくても、物理層へ干渉が――」
「そんなところだ。同時に、貴様らのような存在を使う必要もなくなる。今の状況というのは、我々にとっては迂遠にして面倒なのだよ」
「そこがわからん」

 ヴァシリーは腕を組んだ姿勢を崩すことなく首を振る。

「悪魔よ、俺がヤツを殺してしえば、門(ゲート)は遠くなるだろう。だとしたら――」
「勘違いするなよ、ヴァシリー。私は貴様が彼女を殺せるとは思っていない」

 その冷然とした言葉に、ヴァシリーは口角を上げる。

「悪魔は賽を振るんじゃなかったのか」 
「都合が悪くなければ、という注釈がつくな」
「はは! なるほど、悪魔らしい」

 ヴァシリーは目を細めた。

「ならばなぜ、貴重なハードウェアを俺に渡す」
「ハードウェア? ああ、新型戦闘機(ドローミ)のことか。あんなものはどうというものでもない。たまたまあったから使った、それだけだ。特別な意味はないが、そうだな、強いていえば悪魔が賽を振ったのだろうさ」
「なるほどね」

 ヴァシリーは肩を竦(すく)める。ミツザキはなおも追い打ちをかけるように言った。

「貴様はただの条件分岐に過ぎなかったのだよ、ヴァシリー・ジュバイル。あの子をミスティルテインにするか、エキドナにするか。どちらの目が出るかを決めるために振られた賽に過ぎぬ。今の貴様は、責任をもってあの子をエキドナに至らしめる、そのために存在している」
「やれやれ、人を道具みたいに」

 ヴァシリーは腕を組み直し、首の骨を鳴らした。

「だが、まぁ、いいだろう。物理世界の命運は、この俺が握っているということだな」
「ふっ、ふふふふっ! ふっはははははっ! あはははは!」

 たまらずにミツザキは声を上げて笑った。それはまるで嬌声のようで、ヴァシリーの脳内に直接響いているかのようだった。

「物理世界の命運! それはいい! いいな!」
「何がそんなにおかしい、悪魔め」
「分不相応だというのだよ、ヴァシリー。あまりに身の丈に合わぬことを言うものだからな。実に面白い!」

 ミツザキらしからぬ破顔に、ヴァシリーは確かに圧倒された。感情の薄い顔が、いっそ凍りついている。

「ヴァシリー、貴様はいったい何をそこまで驕っているのか。貴様はな、歴史という名を持った道を転がる一つの駒のようなものに過ぎん。世界に於いて点にすら成り得ない、ただの要素。いわばただの拘束形態素(バウンドモーフィーム)だ」

 ミツザキは顎を上げてヴァシリーを見下ろす。そのあからさまな挑発行為に、ヴァシリーは舌打ちする。ミツザキはそれを聞いてなお可笑しそうに口角をツイと上げた。

「いいか、貴様はただの試金石(タッチストーン)に過ぎんのだ、ヴァシリー・ジュバイル。この時代のあの子がエキドナに相応(ふさわ)しいか否かを見極めるためだけの存在なのだ。分を弁(わきま)えろ」
「……俺であいつの、女帝の意志を――力への意志を験(ため)す、というわけか」
「そうだ。そして、ただ、それだけのための貴様だ。貴様の初任務以来のな」
「悪魔め」

 ヴァシリーはまた舌打ちした。未だ幼かった少女は、今や空の女帝として君臨している。ヴァシリーは彼女をそこまで持ち上げるためだけに、存在していたということになる。

「もっとも――」

 ミツザキはゆっくりと腕を組んだ。

「悪魔も気まぐれだ。存外、賽を振る気持ちになるやもわからんよ。貴様の生き汚さ、執着、そしてその力への意志には、私は期待していなくもないのだ。見世物として、な」
「言われるまでもない」
 
 ヴァシリーは首を振った。その鋭い視線で悪魔を捉える。ミツザキは凄絶(せいぜつ)に微笑む。

「今度は悪魔の目を欺(あざむ)いてみせるさ」
「ははははは! 楽しみだ! 実に、楽しみだ!」

 ミツザキは天使のように邪気のない笑みを見せた。天使を真似ることなど、悪魔には造作もないことだった。

 その直後、世界は闇に塗りつぶされた。

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