15-2-1:第七艦隊、戦闘準備

歌姫は背明の海に

 第七艦隊司令官、リチャード・クロフォード准将は苛々とした表情で髪の毛を掻き回した。艦橋ブリッジ中央にある巨大なモニタには、第七艦隊及び第八艦隊の位置関係が詳細に映し出されていた。艦隊から四百キロほど南の方向に、アーシュオンおよびベオリアスの連合艦隊四個艦隊相当の影が見える。戦力詳細に関してはクロフォードの独自ネットワークによってもたらされており、参謀部第三課から説明を受けるまでもなかった。

「バーザック提督、第八艦隊はどうします?」

 クロフォードは受話器を上げて、西に三十キロ程のところにいる第八艦隊の司令官に呼びかけた。モニタの片隅に、浅黒い肌のいかつい男が姿を見せる。

『どうもこうもないだろう、クロフォード提督。第三課の指示通り、距離を保って後退する。敵の戦力が分からなすぎて、今の段階では何もできん』
「ですなぁ」

 クロフォードは肩をすくめ、腕を組み、片眉を上げた。

I改良型がいたら、我々のどちらかはジ・エンドですな」
『縁起でもない』 

 無骨な顔をしかめるバーザック。

手筈てはず通りネーミア提督とアーメリング提督は出てくるのだろうな。ここに来て温存などされてはかなわん』
「さぁ、ねぇ」

 クロフォードはとぼけてみせる。バーザックはきつく腕を組んで大袈裟に鼻息を吐く。クロフォードは「しかし」と何かを言おうとしたバーザックを制する。

「第六課としても動かぬワケにはまいりますまいなぁ」
『そうだ、クロフォード提督。第六課だ。第六課といえば、あのカワセ大佐というのはいったい何者なのだ。厳密には第六課に所属しているわけではない、ようだが?』
「カワセ・マリア大佐の立ち位置は、参謀部第六課と歌姫ディーヴァとの間に立つ調整役と聞いています。ホメロス社からの出向だとか」
『出向の件は俺の耳にも入っている。つまりは、セイレネス・システムのお目付け役といったところか?』

 意外と鋭いな、バーザック――クロフォードは口角を上げる。

「まぁ、そんなところでしょうなぁ」

 そこでふと、ある技術将校の顔を思い出す。

「ブルクハルト中佐という技術将校がいるのですが、ご存知ですか」
『無論だ。稀代の天才とも言われる男だ』
「その天才の彼が、カワセ大佐の力がなくてはセイレネスを完全には制御できない、そう言ってましてね」
『なるほど。カワセ大佐は必要不可欠ということか』

 そこで索敵班が「敵機発艦の兆候あり」と伝えてくる。

「おっと、バーザック提督、敵さん来るみたいですな。ノトス飛行隊は?」
『待機命令中のようだ。第三課は動かす気はなさそうだな』
「やれやれ……」

 クロフォードは投げやりに艦載機の出撃待機と、対空警戒レベルの最大化を命令する。アーシュオンにせよ、べオリアスにせよ、万が一にも自殺覚悟で突っ込んでこられては、クロフォードの指揮する旗艦・空母ヘスティアでも無傷では済まされない。

「敵を引き付けながら後退する。距離を維持せよ。忍耐力の試験だ、気合いれろ」

 そう言ってから、参謀部第六課に通信を繋げさせる。

「ハーディ中佐、クロフォードだ」
『どうなされましたか、准将』

 さっきまでバーザック提督が映っていた場所にハーディ中佐の仏頂面が現れる。カメラの方に視線を向けようともせず、機械的に両手を動かして何かの作業を行っていた。

「こっちは持って二日半だ。それ以上逃げたら、絶対防衛圏内に入るだろう」
『問題ありません。第七艦隊および第八艦隊は、防衛圏内に入ってから反転する形となります』
「第一、第二艦隊は? 進水式は中止になったか?」
『進水式は滞りなく終了しましたよ、准将』

 ハーディは両手を動かしながら冷たい声で応じる。

「我々が餌になっているにも関わらず、のんきにか?」
『さぁ……。我々第六課としても、このような状況を知らされたのはつい先程。第三課が故意に隠していたのかもしれませんね』
「アダムスの野郎か」
『ええ、アダムスの野郎です』

 ハーディはようやくカメラを見た。眼鏡のレンズがギラリと光る。

『第一および第二艦隊はすでに動き始めています。防衛ライン上で会敵するプランのようですね、第三課的には』
「随分と他人事ヒトゴトだな、中佐」
『ええ』

 ハーディは表情を変えない。さながら凍て付いた鉄仮面のようだ。

『我々第六課は、第七および第八艦隊の指揮統括権を持っておりません。アダムス大佐の指揮に従ってください』
「作戦プラン的には、距離を維持しつつ後退、か」
『左様です』

 こともなげに言い放つハーディに、クロフォードは思わず舌打ちしそうになる。ルフェーブル相手の方がまだやりやすかったかもしれない、などとも思う。

「新型の有無は?」
『情報部のと言いますか、第三課の情報によれば、新型は複数いる可能性が高いです』
「俺もそんな予感がしている、ピリピリとな。せめてもう少し情報が欲しい」
『第三課に問い合わせてはいますが』
「奴らからは精度の高い情報は得られないだろうな。ならなんとしてでもまともな情報を手に入れてきてくれていたぞ、ハーディ中佐」

 その言葉はハーディに少なからぬダメージを与えた。思わず言葉に詰まったハーディは、その表情をますます鋭いものにした。

『我々にできることは、一刻も早く増援を送ることだけです。今回の敵軍の狙いは第七艦隊。正確には、准将と空母ヘスティアです』

 そこでハーディの横に若い参謀が現れて、ハーディに何事かを告げた。

『なるほど。参謀本部より通達が来ました、クロフォード提督。第七艦隊を守るためであれば、を用いても良い、とのこと』
「いかなる手段も、か」

 それはつまり、第八艦隊をまるごと囮にしても良いということだ。

 悪いなぁ、バーザック提督。

 クロフォードは心の中で謝罪し、それをもって罪の償いを前払いで終わらせた。

「そもそも、戦わずに逃げることは許されない、か」

 敵を発見して逃げるのは難しくはない。だが、そうなると国民に示しがつかない。予算確保にも深刻な影響を与えるだろう。海軍の予算は、ただでさえ歌姫セイレーンのために使われ、今や通常艦隊は青色吐息の状態にあった。を出してでも国土防衛の実績を作り上げられなければ、予算はますます削られる。通常艦隊の解体などという噂すら出始めているが、それももはや一笑に付すことのできない状態であった。議会ももはや通常艦隊にとってみれば味方ではなかった。

 だが、新型マイノグーラI改良型ナイアーラトテップは、どうやっても通常艦隊の手に余る。いや、それどころかM量産型相手でさえ、足止めが限界なのだ。つまり、それらをようしたアーシュオン艦隊との戦いというのは即ち、少なくない数の死傷者を覚悟しなければならないという事でもあった。

『なぁ、クロフォード提督よ』

 ハーディとの会話を終えた後で、バーザック提督が音声通信を入れてきた。

『アダムスの野郎を一発ぶん殴っておいてもらってもいいか』
「ご自分でどうぞ」

 バーザックの言葉の意図を理解した上で、クロフォードはそう応じる。バーザックが鼻で笑う。

『部下たちに死ねと言っておきながら、司令官がのうのうと生きて帰ろうだなどという算段はできんよ』
「しかし、貴官が生きていれば、迅速な戦力回復もできるでしょう」
『なぁに、俺など数合わせの凡庸な提督に過ぎんよ。俺に貴官くらいの才能があったなら、とは思うがな』

 自嘲気味なその発言を受けて、クロフォードは溜息を吐く。

「こんな才能、クソの役にも立ちませんなぁ。良くない予感を現実にする才能です」
『主観的な未来予報の的中率がやたらと高いのも悩ましい、と』
「その通りですな」

 そこでクロフォードは提督席に座り直す。

「ともかくバーザック提督。たかだか第三課のクソ野郎の命令で、大勢死ぬのも死なせるのも、小官としては御免被りたい。どうです、せいぜいあがきませんか? 増援は来るのです」
『指揮命令違反は罪に問われるぞ』
「なぁに、そこは第六課が何とかしてくれますよ」

 あの、マリア・カワセという魔女がね。

 クロフォードは口角を上げる。悪童のような笑みだった。

「敵は我々がさっさと逃げると思っている。間違いなく。であるならば、一泡吹かせるくらいはできるでしょうよ。どうです、乗りませんか」

 クロフォードの外連味けれんみたっぷりの物言いに、バーザックは「ははっ」と笑う。

『アダムスの野郎の慌てた顔を拝む、良い機会かもしれんな。どうせこのまま行けばうちの艦隊は全滅だ。貴官に任せる。それでどのような』
「我がヘスティアがナイアーラトテップどもの囮となります。第八艦隊はうちの艦艇を率いて、速やかに海域を離脱してください」
『なんだと? それではこっちは敵前逃亡、貴官は単身孤立ではないか』
「いえいえ、これは私のですよ。参謀部と連絡が取れなくなったため、やむなく現場で判断して動いただけ、というわけです」
『相変わらず曲者だな、貴官は』
「お褒めにあずかり光栄」

 クロフォードは指を組み合わせてリズミカルに動かしながら、艦長にヘスティアの針路を指示する。艦長は愉快そうな表情で操舵班に針路の変更を命ずる。

『了解したぞ、クロフォード提督。ただ忘れるな。貴官は我が海軍にとって重要な人材だ。その空母ヘスティア諸共にな。決して沈められるなよ』
「わかっておりますよ、バーザック提督。私が死ぬなどというような国家にとっての大損失を招くようなことはしませんて。ご安心ください」
『さすがだな、貴官は。こっちは任せておけ』

 バーザックは力強くそう言って、通信を切った。

「さて」

 クロフォードはまた指をパタパタと動かしながら首を回した。

「三日間の逃避行の開始といくか」

 指をバキバキと鳴らす。

「待ち伏せの方が楽しいのだが、この際仕方がない」

 せいぜい派手にダンスするとしようじゃないか――。

 クロフォードは空母ヘスティアを単艦で北東方面――アーシュオン・ベオリアス連合艦隊の方向――へと進出させた。

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