15-2-2:軋轢という名のもの。

歌姫は背明の海に

 それから約五十時間が経過した。クロフォードの搭乗する第七艦隊旗艦ヘスティアは、ノトス飛行隊の支援を受けつつ対空戦闘に突入していた。航空機で足止めしておいて、真打ちのM量産型ナイアーラトテップで仕留めにかかるつもりであることは明白だった。未だ距離はあるが、四隻ものM量産型ナイアーラトテップがヘスティアに接近中だった。

 アーシュオン・ベオリアスの連合艦隊は一時期完全にヘスティアを見失っていた。ヘスティアの強力な隠蔽能力にまんまとしてやられていたというわけだ。艦隊全体を防御できるほどの隠蔽フィールドを展開できるヘスティアは、その能力を最大限に生かすために単艦航行という賭けに出た。そして頃合いを見て隠蔽能力を解除した。

 最大の破壊目標であるヘスティアを発見した艦隊たちは、急遽攻撃目標をヘスティアに切り替えた。敵艦隊はヘスティアを追わないわけにはいかなくなったのだ。

 そして今に至る。幸いにして艦隊もM量産型ナイアーラトテップもまだかなりの距離がある。航空戦力には、第八艦隊の方から飛来したノトス飛行隊が対応してくれている。エウロス飛行隊ほど圧倒的という風ではなかったが、それでも敵のナイトゴーントをばたばたと叩き落している。非常に心強い味方だった。

 そして幸いにも敵方にはI改良型ナイアーラトテップの姿は見えない。その一点に於いて、クロフォードは神様とやらに感謝した。

 クロフォードは戦局を冷静に見定めると、参謀部第六課との回線を開いた。すぐにハーディ中佐の姿がメインモニタに現れる。相変わらず肉食昆虫――とりわけスズメバチみたいな人間だなとクロフォードは思う。

『どう致しましたか、クロフォード提督』
「戦況が落ち着いたのでね」
『こちらのモニタではそうは見えないのですが』
「なに、こっちは逃げ回っているだけさ。ノトスもうまくやってくれている」
『それは何より、ですが』

 ハーディは怪訝な表情を見せる。クロフォードは提督席に深く腰をかけ直し、足を組む。

「今や四風飛行隊は艦隊随伴戦力として不可欠なのは自明。海軍だ空軍だとやっている場合ではないだろう」
『四風飛行隊と艦隊を一運用単位として統合することをお考えですか、提督は』

 ハーディは紅茶かコーヒーの入っていると思しきカップに口をつける。

「参謀本部長にも海軍司令部にも進言はしているのだがな。結局は組織の都合ってやつで有耶無耶だ」
『参謀本部長がノーだとおっしゃられるのなら、私にできることは限られています。私も組織人ですから』
「ふむ」

 クロフォードは小さく唸る。

「さしあたり、うちの艦隊の近くには、常にエウロスを配備しておいてほしいのだが」
『どの提督もそう仰ります。陸軍でさえ』

 ハーディは眼鏡に軽く手を触れつつ、平坦に応じる。

「ハーディ中佐、貴官個人の意見を聞きたい。六課としては空軍と海軍がこんな形で意地を張り合うことに意味があると思うか」
『私個人の意見に意味はありません。それはそうと、提督。アダムス大佐が随分と荒れておいでですが。参謀部の命令を無視されたとかなんとか』
「はははは! 命令無視とはそれまた誤解だな、ハーディ中佐」

 クロフォードは飄々とした口調で応じた。

「しかし放置も賢くはないな。では釈明のためにもアダムスの野郎に連絡を取ろう」
『はい。を』

 ハーディはやや疲れた表情で敬礼を送り、モニタから姿を消した。間髪を入れずに第三課と回線を繋いだクロフォードは、アダムス大佐がカメラの前に座るのを待った。少しして現れたのは、髪をオールバックにした病的に痩せた男だった。アダムスである。その表情はまさに怒り心頭であり、唇に至っては戦慄わなないてさえいた。

『クロフォード提督。現状について説明願いたい』 

 アダムスは震える声で開口一番そう切り出した。クロフォードは腕と足を組んだ姿勢で、目を細める。

「被害軽微にて状況を打開するために、ヘスティアの能力を使わせてもらった。現状、第七艦隊は第八艦隊司令官バーザック提督の指揮で動いている」
『そんなことは分かっている! 冗談も――』

 アダムスがヒステリックな声を上げる。クロフォードは唇を歪めて、大袈裟に肩をすくめてみせた。

「冗談などではないぞ、アダムス大佐。貴官の指示は、俺の部下たちに順番に死ねといっているようにしか聞こえなかった。そして俺には、貴官のポンコツな指示よりはまだマシに戦える算段があった。再三提案したのに、貴官は貴官の信念を曲げなかった」
『何を! 提督は故意に参謀部からの指示を無視したということか! 軍法会議にはかるぞ!』
「軍法会議もなにも、俺が死んだら意味もあるまい。それに俺が死ぬということは、とりもなおさずヘスティアも沈むという意味だぞ」

 クロフォードの平然とした表情と口調と反比例するように、アダムスの表情が歪む。その顔色は青白いを通り越してほとんど白だ。

『前線部隊が参謀部の指揮に従わないのでは作戦が立てられん! ありえない! ありえないことだ!』
「見苦しいぞ、アダムス大佐。貴官は俺の部下たちと第八艦隊を生贄にしようとした。それもこれもTテラブレイク計画ゆえだろう。空軍からあれこれ指図があったのだろうが」
『何を証拠に!』

 アダムスは一層にいきりたった。一方でクロフォードは泰然としてじっとアダムスの病的な顔を見つめていた。

「アーシュオンに本艦の位置情報をリークしておびき寄せた――ここまではまぁ、戦略の範囲として良しとしよう。だがな、貴官程度の小物の指図で部下たちが死んでいくのはまかりならぬと言っている。貴官は我が艦隊に何と指示した。順番に死ねと言ったのだぞ」
『そんなことは言ってな――』
「黙れ、アダムス!」

 クロフォードの雷鳴のような声が艦橋ブリッジに響き渡る。モニタに映るアダムスは口を開いたまま言葉を失った。

「アダムスよ。もう貴官の詭弁はたくさんだ。軍法会議と言うなら上等だ。俺に喧嘩を売ると言うなら言い値で買ってやる。貴官の大好きな空軍様が助けてくれるかどうかは知らんがな」

 クロフォードは起伏のない声でそう告げた。ちなみにヘスティアの外では、ノトス飛行隊が八面六臂の活躍中である。四風飛行隊は伊達ではない。

 クロフォードは戦況を一瞥してから、またアダムスの顔を見た。

「ここ何年かで、我々海軍は貴官の立てる無茶な作戦により大きな損害を甘受せざるをえなかった。海軍力はもはや、立ち行かん。第一艦隊および第二艦隊――歌姫セイレーン抜きには、我々はまともに戦えもしないのだ」
『それはそもそも第六課が――』

 言いかけたアダムスを睨むクロフォード。それだけでアダムスは押し黙った。

「わからんか。今は海軍だの空軍だのと言っていられる場合ではない。歌姫セイレーンばかりに頼っているわけにはいかない。いつか大きな破綻をみることになるぞ」
『な、なればこそのテラブレイカーですが』
「……よくわかった、アダムス」

 クロフォードは腕を組み直して首を振った。

『クロフォード提督。私の権限があれば、あなたを更迭することなど――』
「容易いというのなら是非どうぞ、だ」

 俺は別にこの椅子に拘っているわけでもないしな――クロフォードは悠然とした表情を崩さない。

「それでは失礼する」
『待て、まだ話が――』
「忙しいんでね」

 クロフォードは通信を強制終了させた。

 そして今度はバーザック提督と回線を開く。映像は激しく乱れていて使い物にならなかった。だが、情報によれば第八艦隊旗艦・レイアは未だ無傷だ。

「バーザック提督、暗礁地帯の居心地はいかがですか」
『なかなか良いな。我々と違って敵さんはこの辺りでは機動的には動けない』
「敵は三個艦隊。叩けますか」
『敵は三個といえどもまだ分散している。この海域にはクラゲどもも入っては来られまい』

 だからこその暗礁地帯なのだ。クロフォードはメインモニタに映し出されている彼我の損害レポートを眺めながら何度か頷く。

『君から借りた戦力を無駄に減らすわけにもいかんからな。無駄に損耗させたら後が怖い』
「貴官の手腕で無理なら無理ということでしょう。とにかく持ちこたえて頂きたい」
『了解した。あの娘たちとの合流を急いでくれ』
「ええ、計画通りです。諸々の請求書はアダムス個人宛てに送ってください」
『はは、それはいいな。トイレットペーパー代も請求してやろう』

 バーザックならこの難局を切り抜けられるだろうとクロフォードは判断する。今や数少ない勇将だ。数合わせとか繰り上がりとか言われることもある男だが、その手腕は確かだ。ただ、時期が悪すぎた。クラゲの類がいなければ、バーザックは間違いなくヤーグベルテ海軍のトップに上り詰められる人材だ。それゆえに、失うわけにもいかない。

「バーザック提督、必ず救援に向かいます」
『疑う余地もない。では、こちらはこれからダンスパーティだ。ワルツを踊って待っているぞ』

 バーザックは通信を切る。クロフォードは立ち上がると、艦橋ブリッジ内に声を張る。

「敵に揺さぶりをかける。第一および第二艦隊との合流は後回しだ! バーザック提督の救援に向かう!」

 その宣言に、騒がしかった艦橋ブリッジが静まり返った。スキンヘッドに口髭の男――艦長がクロフォードを振り返って尋ねた。

「救援、この一隻で、ですか?」
「殴り合いに参加するわけじゃないぞ、大佐。分散している三個艦隊の脇をかすめるように通り過ぎる。隠蔽機能を駆使しながらな。それだけだ。こっちは単艦、身は軽いぞ」
「相変わらず奇天烈キテレツなことを」

 艦長は呆れたように天井を仰いだ。艦長ことキルフィス大佐はクロフォードとは十年来の付き合いのある男だ。今や誰よりもクロフォードの頭脳を信頼してもいる。

「君だってそうするだろう、大佐」
「後出しジャンケンは好きじゃありませんよ、提督」
「君らしいな」

 クロフォードは提督席に座り直すと、再び戦況レポートに視線を送った。

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