バーザック提督率いる第八・第七連合艦隊は大いに奮戦していた。暗礁地帯で巧みな艦隊運動を見せつつ、着実に時間を稼いでいる。その堅実にして堅牢な戦いぶりには、さすがのクロフォードも舌を巻いた。だが、それでも空襲や艦対艦ミサイルの前に、その戦力を漸減させられている。
「もう少し耐えてくれればいい」
クロフォードは暗礁地帯を反時計回りにして逃げ回る。敵の二個艦隊を引き付けるのに成功したのを確認すると、クロフォードは増援艦隊――つまりイザベラとレベッカの艦隊――の方へと舵を切った。今やヘスティアの後方には八隻ものM型ナイアーラトテップが連なっている。どんな手段を使ってでも、あと二時間もすれば追いつかれる。そんなギリギリの距離感である。
『こちらノトス飛行隊。当空域にエウロス飛行隊が接近中。持ち場を交代する』
「ご苦労、ピアフ大佐」
クロフォードは上空を飛び去っていくノトス飛行隊の数十機を見送った。搭載燃料もギリギリだったはずだ。それにもかかわらず、まして敵はあのナイトゴーントであったのに、被撃墜はゼロ。さすがは四風飛行隊――恐るべき練度だった。
「提督、メラルティン大佐から通信が」
「繋げ」
通信班がメインモニタの映像を切り替える。
「来たか、メラルティン大佐」
『お待たせ』
バイザーを上げたカティが何かを操作しながら口を開く。
『アタシたちは、ヘスティアの後ろの二個艦隊を叩けばいいってことだね?』
「一撃してくれればいい。その後、速やかに第八艦隊、バーザック提督の救援に。本艦は全速力で第一および第二艦隊と合流する」
『了解した』
カティはバイザーを下ろす。
『エウロス、戦闘行動を開始する。全機、アタシのスキュラに続け!』
メインモニタが切り替わり、接近してきている赤い大型戦闘機・スキュラを映し出す。その後ろには数十機の黒塗りのF108が続いている。壮観な眺めだった。
「エウロス飛行隊、敵艦隊への攻撃を開始しました」
「うむ」
情報処理班の報告を聞き、クロフォードは頬杖をつく。艦隊は完全に足止めできたが、M型ナイアーラトテップは未だ健在だ。追いつかれるのが先か、イザベラ、あるいはレベッカが有効射程に捉えるのが先か。
「敵艦隊、艦首反転! 本艦から離れていきます。敵主力艦の大半が損傷を受けた模様」
「もうか!」
速すぎるだろ――クロフォードは苦笑する。空の女帝カティ・メラルティンはもちろん、部隊全体の練度が化け物過ぎる。艦隊の防空網など、エウロスの前には無いに等しいのだ。敵でなくてよかったとクロフォードは心から思う。
『クロフォード提督』
カティからの音声通信が入ってくる。
『別の艦隊がそっちに行っているようだけど。べオリアスかな』
「ああ、確認している。アレはネーミア提督への手土産にする予定だから、無視して構わない」
『了解した。迂回する』
それから二時間が経とうとする頃、ヘスティアはいよいよM型の射程距離に入ろうとしていた。また、敵の高速艦艇が突出して接近し、対艦ミサイルを雨霰と降らせてきた。だがヘスティアの防空システムは強力だ。まず隠蔽システムの力によって誘導システムがほぼ無効化されてしまう。対空砲火は防空巡洋艦もかくやと言わんばかりの装備状態だった。ミサイル駆逐艦を十隻以上動員して、ようやく飽和攻撃が成立するか否かという防御力だった。
「ノトスが艦載機をやってくれていなければ危なかったな、艦長」
「そう悠長なことも言ってられませんよ、M型に捕まります」
キルフィス大佐が言っている間にも、対潜ヘリ部隊がM型の先頭艦に向けて猛然とした火力を集中している。撃沈はできないだろうが、足止めにはなる。ヘスティアの艦載機も出撃し、敵の高速艦への牽制を開始する。
「M型、距離千五百まで接近!」
「慌てるな」
情報処理班に向けて、キルフィスが落ち着いた声で言った。クロフォードは頷いて尋ねる。
「第一艦隊との距離は」
「第一艦隊、二百キロ圏内に入りました。第二艦隊も続いています」
「よしきた」
クロフォードは立ち上がって腕を組む。そしてイザベラとレベッカを呼び出す。
『お待たせしました、クロフォード提督』
真っ先に発言したレベッカは、おそらくはコア連結室にいるのだろう。メインモニタに映るその姿は殆ど闇に塗りつぶされていた。表情もよく見えない。
『提督、第七艦隊の他の艦艇は? まさか』
「冗談だろ、アーメリング提督。うちの部下たちはバーザック提督にレンタル中だ」
その時、「お待たせ」とイザベラの姿がレベッカのフレームの隣に表示された。イザベラにしては少し珍しく慌てた様子だ。その表情は例の仮面に隠されていたので窺いようもなかったのだが。
『一隻で逃げ回っていたっていうの、提督』
「まぁな」
クロフォードは戦況レポートにちらりと視線を走らせる。
「ところで、M型八隻と一個艦隊に追われているのだが、どうにかならないか」
『オーケー、全艦捕捉した。ベッキー、行ける?』
『ギリギリな感じはするけど、たぶん』
「おいおい、まさかだろ。地球は丸いんだぜ?」
クロフォードは提督席に腰をおろしてレーダーを確認する。M型とヘスティアがほとんど重なっている。もう猶予はない。最新鋭航空母艦といえども、捕まったらおしまいだ。
『提督、対ショック! 十五秒で着弾するよ!』
「了解。総員、衝撃に備え!」
イザベラの警告からきっちり十五秒後、ヘスティアの背後に巨大な水柱が上がった。それはまるで連鎖反応を起こすかのように周囲に波及し、そして一斉に爆発した。その爆風をもろに受け、ヘスティアの巨体も大きく傾ぐ。椅子にしがみつきながら、クロフォードは「損害報告!」と怒鳴る。
結果として艦体そのものには大きなダメージはなかった。艦載機も危うく転落しかけたものが何機かあったが、ギリギリで踏みとどまった。転倒による負傷者は出たが、いずれも軽症だと報告が上がってくる。
すかさずキルフィス大佐が各所に追加の指示を出す。
「ダメコン班は念のため各所の点検。情報処理班、M型はどうなっている」
「M型、反応消失! 一隻もいません!」
「なんだと!?」
クロフォードは戦況レポートとレーダーに交互に視線を走らせる。確かに、いない。メインモニタの片隅に映るレベッカとイザベラの様子に変化はない。ほとんど無表情のようにも見えた。イザベラが唇を動かす。
『クロフォード提督、わたしたちは一番近い艦隊を潰せばいい?』
「そうだ、手土産のつもりで連れてきた」
『余計な気遣いに感謝するよ』
イザベラはこれみよがしに溜息をつき、肩を竦めた。
『クララ、テレサ、きみたちが指揮して敵艦隊撃滅に当たれ。通常艦隊ごときに手間取るなよ!』
『イズー、私の艦隊はこのまま第八艦隊の救援に向かうわ。ハーディの承認ももらった』
『オーケー、ベッキー。あっちにはまだ四隻のM型がいるから、コーラスに気を付けて』
クロフォードは聞き慣れない単語に、思わず「コーラス?」と口を挟んだ。レベッカが反応する。
『我々歌姫による連携攻撃のようなものです。同調することで本来の能力を超えた力を引き出せるようになる、主にC級歌姫たちの戦力増大を目論んだ攻撃方法ですね』
「なるほど、よくわからんが、数がいれば強くなるということか」
『ざっとそんな感じです』
レベッカはやや不機嫌そうに応じた。雑なサマライズに気分を害したようだった。
『ただこの技術はまだまだ研究途上です。ですから――』
レベッカの言葉に、通信班の班長が割り込んだ。
「提督、メラルティン大佐より緊急入電!」
「回せ!」
クロフォードは何故か心臓が冷たくなるのを感じながら、厳しい声で命じた。すぐにメインモニタの画像が暗礁地帯のそれに切り替わる。艦隊に穴が開いていた。輪形陣を敷いた第七・第八艦隊の艦艇群の真ん中、ちょうど旗艦レイアがいるはずの場所が、同心円状に切り取られていた。
『こちらメラルティン。クロフォード提督、見えているか』
「どういうことだ、これは。レイアは何処に消えた」
クロフォードであっても動揺を隠せない。艦橋が静まり返る。
『海が碧く光ったと思ったら、消えてしまった。爆発等の確認はできていない』
「消えた、だと?」
『今も断続的に艦が消えている。被害は大きいぞ!』
カティの声も緊迫感を帯びている。
『ちょっと待って、カティ! これって……!』
イザベラが前のめりになっている。同じ映像を見ているのだろう。レベッカが息を飲む音が聞こえてくる。
『コーラスだ! ナイアーラトテップがコーラスを使っている!』
『しかも、C級たちのものとは出力が段違い……』
レベッカの声が上ずっている。
『待って、イズー。何か変よ。これって、まさか』
『あっちの四隻、M型なんかじゃない! ちくしょう、してやられたね!』
「なんだと!?」
さすがのクロフォードも、心拍が跳ね上がるのを感じた。こめかみのあたりに汗が浮かんだのを生々しく実感する。
「こっちが囮だったのか!」
まんまと敵の術中に嵌ってしまったということか!
アーシュオンの真の狙いは、俺ではなく――。