16-1-2:レネの剣舞

歌姫は背明の海に

 その翌日には、Sソリスト歌姫セイレーン、レネ・グリーグが第一艦隊に配属された。V級ヴォーカリストの二人、パトリシア・ルクレルクはレネとの艦船共用の都合で第一艦隊、ロラ・ロレンソは第二艦隊へと配備されることとなった。

 秋の終わりから冬にかけて、アーシュオンの潜水艦隊による沿岸部への攻撃は断続的に続いた。第一艦隊、第二艦隊がカバーできる範囲は限られている。アーシュオンはそれを嘲笑うかのごとく、広範囲に渡って軽微な攻撃を繰り返したのだ。それにより出撃せざるを得ない四風飛行隊は確実に損耗させられていたし、国民のフラストレーションも急激な上昇を見せていた。

 しかし、アーシュオンとて戦力が潤沢なわけではなかった。超兵器オーパーツの拡充こそ進められていたが、そのしわ寄せはとりも直さず通常艦隊や航空部隊に向かっていたからだ。人的な損耗、疲弊も進んでいた。

 そして、彼我の状況は互いに筒抜けであった。

 ゆえに、双方ともに厭戦ムードには向かわなかった。むしろ主戦派が力を持ち、「敵を滅ぼせ」という論調が強くなりつつあった。ヤーグベルテは歌姫セイレーンを、アーシュオンは素質者ショゴスを、絶対的な力、相手を屈服させ得る力として認識していたからである。

「パティ、すまないな。今回は出番はナシだ」

 イザベラは督戦席の横に直立不動で立っているV級歌姫ヴォーカリスト、パトリシア・ルクレルクに話しかけた。パトリシアはメディアには「妖精」と形容されている、小柄で可憐な少女だ。赤みがかった金のショートボブに縁取られた白い顔の中に、鮮烈な輝きを放つ緑色の瞳がある。パトリシアは同期のロラ・ロレンソの後ろにいつも隠れているような内気な少女だったが、いざ戦いの場に出ると一人の戦女神ヴァルキリーと化すことは、早々に二度の実戦を経た結果、軍部にも広く認知されることとなった。

 パトリシアの乗艦、重巡洋艦ポルックスは、現在旗艦セイレーンEMイーエム-AZエイズィと並走している。搭乗しているのはレネ・グリーグだった。それはレネ専用戦艦ヒュペルノルが完成するまでの暫定措置だ。

「いえ」 

 パトリシアはややしばらく間を置いてからそう答えた。イザベラは苦笑する。

「クララやテレサの軽巡を充てるという手もあったが」
「いえ、先輩の顔は立てておかないと」
「そうか」

 イザベラは頬杖をつき「うん」と息を吐く。

「きみも我が艦隊に於いては巨大な戦力だ。そういう意味でわたしは今、大きなリソース配分の無駄を犯していることにあんる。だが、ここで学べることは少なくはないと思っている」

 そう言いながら、イザベラは腕を組んでメインモニタを見上げた。唯一見える口元は薄く笑っている。その時、索敵班班長が声を上げた。

「提督、敵を最大射程に捕捉しました!」
「わたしの最大射程か?」
「肯定です!」

 元気の良い反応に、イザベラは頷く。

「ソリストの最大射程に入ってから改めて報告してくれ」
「イエス・マム。レネ・グリーグ中尉の探査界センサと同期します」
「そうしてくれ」

 イザベラには自ら動く様子はなかった。パトリシアが首をかしげる。

「司令官は攻撃には参加されないのですか? 友軍艦隊が交戦中ですが」
「第三哨戒艦隊、第四補給艦隊か」
「はい」

 パトリシアが頷くと、イザベラは右手の人差し指で唇の端を軽く引っ掻いた。

「いいんだ。そもそも敵艦隊も第三、第四艦隊を撃滅する気はない。我々をおびき出したいだけだからね」
「であればなおのこと、射程外攻撃アウトレンジで叩くのが最良かと」
「その通り。百点だ」

 イザベラは指を鳴らす。パトリシアは怪訝けげんそうな目を向ける。

「その通りだ。でも、しない。この戦いはエディタが指揮して、レニーが戦う。理想的な形さ」

 イザベラの声は明瞭で落ち着いていた。哨戒機が送り込んでくる情報で構築された戦術情報から、第三、第四艦隊はアーシュオンの一個艦隊によって断続的な追撃を受けていた。今は姿が見えないが、ナイアーラトテップも潜んでいるに違いなかった。

「いいかい、パティ。戦争は一人や二人の人間に頼ってするもんじゃないんだ」
「しかし――」

 パトリシアは言いかけて、言葉を飲み込んだ。きっとこれは司令官の中では片付いた問題なのだろう――そう悟ったからだ。その様子を横目で見やり、イザベラは悠然と足を組んだ。

「レニー、戦闘準備。エディタ、以後指揮を任せる。第六課も承認済みだ」

 そう言った途端に、艦橋ブリッジメインモニタの右端にレネとエディタの顔が映し出された。とはいえ、暗黒のコア連結室からの映像だ。顔らしきものが見えているだけで表情の類は全くうかがえない。

『承知しました、提督。レニーは有効射程になるまで待機。レニーのセイレネス発動アトラクトを合図として、全艦隊は戦闘シーケンスを開始します』
「うん、そうしてくれ」

 イザベラはエディタの行動指針を承認する。エディタももう慣れたもので、このあたりの手順で手間取るようなことはない。エディタは今や優れた指揮官だった。

『戦闘開始の後、全艦突撃を実施します。海域封鎖を厳にし、コーラスによる攻撃に備えます』
「敵の編成は把握できているかい、エディタ」
『はい、E初期型が一隻、I改良型が二隻、M量産型が一ダース。マイノグーラにいたってはレニーの走査スキャニングでも発見できていません』
「よろしい」

 イザベラは頷く。敵の戦力は少なくはない。今一番警戒すべきは二隻のI改良型だ。マイノグーラがゼロというのも俄には信じられなかったが。

I改良型はどうする、エディタ」
『二隻ともレニーに任せます』
「いけると思うか?」
『レニーは強力です。いけます』
「シミュレーションとは違うぞ」
『差し引いても、いけます』

 エディタの声には過度な興奮はない。この状況にあっても、エディタは冷静だった。その声には不安も興奮も含まれていないのだ。

「ならばよし。やってみせろ」
『承知致しました。レニー、射程は』
『まもなく……!』
『捕え次第、攻撃を開始しろ』
『了解。有効射程に入りました。レネ・グリーグ、重巡ポルックス、戦闘行動を開始します』

 重巡ポルックスが薄緑色オーロラグリーンの閃光を放った。主砲や電磁投射砲レールガンによる攻撃が水平線の彼方に突き刺さる。海の彼方から津波のように光が戻ってくる。

「……司令官は本気でセイレネスをお使いにならないつもりですか」
「さぁてね。わたしはでいたいんだよ、パティ」
「ジョーカー……」

 イザベラの声の冷たさに、パトリシアは寒気すら覚えた。そんなパトリシアを一瞥して、イザベラは口角を上げた。レネが冷静に報告してくる。

I改良型一隻の撃沈を確認しました。続いて二隻目を仕留めます』
「やる」

 たったの一撃であのI改良型を轟沈せしめるとは。

 感心するイザベラを横目に、重巡ポルックスは二撃目を放った。先程よりもさらに強力な輝きが戦艦の艦橋ブリッジをモノクロに沈める。

「パティ。レニーはシミュレータでもこうだったか?」
「いえ、もう少し控えめでした」
「うん。ブルクハルト中佐からの報告書より、今の方が圧倒的だ」

 I改良型、二隻目の撃沈を確認――索敵班から報告が入る。イザベラは立ち上がって腕を組んだ。

「提督」

 通信班班長が振り返る。

「提督、エウロス飛行隊が現着です。通信開きます」
「うん」
『メラルティンだ。司令官はいるかい?』

 音声のみの通信だった。水平線近傍で断続的に爆発の閃光が散っているのが見える。
エウロス飛行隊が早速戦闘に突入したようだ。戦闘中であるにも関わらず、カティの声には微塵も不安なゆらぎがない。

「怠け者の司令官は督戦席で見物中。やることがなくてね」
『それはけっこう』

 カティのマイクが機関砲の発射音を拾っている。

『アタシたちの主目的は敵の艦載機だけでいいのか?』
「ナイトゴーントもいる。可能な限り動きを封じて欲しい」
『可能ならば撃墜するさ』

 カティ率いるエウロス飛行隊は、今や全機に対生レネスシステム、オルペウスを搭載していた。ナイトゴーントの圧倒的優位性はもはやない。その上、カティの乗機スキュラに搭載されているオルペウスはさらに改良を施されたもので、相手のセイレネス論理装甲を完全に無効化する。ナイトゴーントが高度なAI制御で機動するとはいえ、今のカティの相手にはなりえなかった。

 その時、パトリシアが青めた顔で鋭い声を発した。

「提督、海面の色が変わりました!」
「来たか」

 M量産型のうちの少なくとも四隻がマイノグーラの偽装艦だったということだ。以前と同じ戦術だった。

C級クワイア!』

 エディタが鋭く声を張る。

『旗艦周辺海域の封鎖を急げ!』

 その間にもイザベラ、そしてパトリシアの頭の中に完璧に調律されたがねじ込まれてきている。圧倒的に正確な和音が、一部のリズムの狂いもなく脳を犯そうとしてくる。

「これは……!?」
PTC完全調律コーラス。ブルクハルト中佐はそう表現していたな。ああ、シミュレータにはまだ実装インプリされてないのか」

 まるで他人事のようにイザベラは言った。そのどこかとぼけた口調が、パトリシアを不安にさせる。

「司令官、しかしこのまま、では!」
C級クワイアのみんなを信じるしかないよ、今はね」

 飄々とした口調で言ってから、イザベラは肩をすくめた。

「運命を他人に委ねるっていうのは、こういうことなんだよ、パティ」
「怖くはないのですか?」
「怖いさ」

 イザベラは喉の奥で笑った。パトリシアは首をかしげる。

「ならば、なぜですか」
「パティ。今のヤーグベルテはこんな状態なんだよ、まさにね」

 話題が突然変わったように感じ、パトリシアはイザベラを凝視する。イザベラは背中で手を組んで、メインモニタの方に一歩踏み出した。

「他人に運命を委ねるなんていうのは、自分の生死すら他人に任せるということ。こんな具合に、無責任にね。わたしはいま、このふねにのっている皆の命を危険に晒した。まるで他人事のように、自らは何もせずにね。この姿勢、ありようこそ、今のヤーグベルテを支配している病魔なのさ」
「しかし、司令官には力が!」
「チカラ、かい」

 イザベラは赤く美しい形の唇をついと歪めた。

「チカラがある者は、運命を他人に委ねてはならない。きみはそう言うのかい?」
「理不尽な状況を変えられる力があるのだというのなら、それを行使しないまま他人に運命を任せるなんて、それはその――」
「傲慢だ――かい?」

 パトリシアは硬い表情で沈黙する。イザベラはまた薄く笑う。パトリシアの背筋を緊張が塗り固めた。

 そうこうしている間に、海の色がすっかり元に戻っていた。ねじ込まれ続けていた完璧な和音もいつの間にか消えていた。

『エディタより、ネーミア提督』
「うん」
『マイノグーラ四隻撃沈を確認。レニーが二隻沈めています』
「承知した。まだ戦闘は終わっていないから気を抜かないように。引き続ききみの好きなようにやるといい、副司令官殿」
『……承知致しました、提督』

 エディタがそう応じたその直後、イザベラは激しい頭痛を覚えた。鈍器で何度も殴られたかのような痛みだ。耳鳴りと吐き気すらともなった。

「何か来るぞ!」

 イザベラが呻くと同時に、カティから緊急通信が入った。

『ヤツが出たぞ! F108+ISインターセプタだ!』
「ここで出てくるっていうのか!」
『そっちの艦隊に被害が出ているな。くそっ、完全に不意打ちを決められた!』

 カティの声に悔しさが滲む。カティの機体に搭載されたカメラからの映像が送られてくる。薄緑色オーロラグリーンの輝きを放つ戦闘機、かつてエイドゥル・イスランシオ大佐が操っていたものと同じシルエットの機体がいた。

「エディタ、被害報告急げ!」
『はっ。コルベット四号、フリゲート、アリシアおよびメイユン、駆逐艦ミルドーおよびテレジア、通信途絶しました。一班まるごとやられました』
「五隻が一瞬……!?」

 パトリシアが上ずった声をあげる。イザベラは爪先で床を三度叩いて、右手を握りしめて振るった。

「これはわたしの失策だ、エディタ。空はメラルティン大佐に任せておけ」
『対空砲での支援等は――』
『要らんよ、レスコ少佐』

 カティが割り込んだ。

『イスランシオはアタシが片付ける。一切手を出すな、かえって邪魔になる』
「了解した、カティ。というわけだからエディタは海上の連中の殲滅に注力しろ」
『承知いたしました、提督』

 エディタの重巡アルデバランとレネの重巡ポルックスは水平線の彼方にあり、クララの軽巡ウェズンとテレサの軽巡クー・シーはかろうじて目視範囲に入っていた。

 そしてイザベラには見えている。水平線の向こうに広がる薄緑色オーロラグリーンの輝きが。その強力で高濃度の輝きは、通常戦闘時の比ではなかった。明らかな異常値だ。

『エリオット中佐、ナルキッソス隊全機でF108+ISインターセプタの随伴機をどうにかしろ! 艦艇への被害をこれ以上出させるな!』
『ナルキッソス1、了解……してるんスけどね。なんかナイトゴーント連中手強くなってませんか、これ』
『学習しているんだろう。とにかく今はそいつらをどうにかしろ。分析はブルクハルト中佐がやってくれる。データも取れ』
『へいへい、了解アイ・コピーっす』

 メインモニタを見ると、カティの機体スキュラに向かって一機の――つまりF108+ISインターセプタが突っ込んできていた。

 カティが声を張る。

『エンプレス1、F108+ISインターセプタとの交戦を開始する!』

 彼我の中心で多弾頭ミサイルの爆炎が上がり、戦いの始まりが告げられた。

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