17-1-1:ブラインドネス

歌姫は背明の海に

 年が明け、カレンダーが二〇九八年に切り替わった頃――。

 アーマイア・ローゼンストックは、バルムンクの作り出した闇の中にった。じっと佇んでいるアーマイアの視線の先にいるのは、ジョルジュ・ベルリオーズだった。ベルリオーズは後ろで手を組み、アーマイアと正対して立っている。その左目を赤く輝かせながら、冷たい表情を崩さないアーマイアを値踏みするように観察している。

「承認をいただけたということでよろしいですね?」
「君がそう言うのなら、そうなんだろうね」

 ベルリオーズはゆったりとした口調で応えた。

「でもね」
「でも?」
は反対するんじゃないかな」
「いいえ」

 アーマイアは明確に否定する。ベルリオーズは「ほう?」と興味深げな微笑を浮かべる。

「折り合いはついております。私たちの最終的な目的は同じ。過程、そして手段が異なるのみ。ですから、あの子の感情や意志の問題など、些細な事柄に過ぎません」
「さて、その真偽はさておき。それにしても、アレに飽き足らず、まさかね。こんなグロテスクなものに発展させてくるとは思わなかったよ、アーマイア。この僕にでさえ、それをしようとするならば躊躇ちゅうちょもあるだろう」
「お褒めに預かり光栄です、創造主デーミアールジュ

 アーマイアは無表情に口だけを動かす。

しかして、その全ては目的のためです。手段を選ぶことはありません、私は」
「まったく、恐ろしいものだね、君という子は」

 ベルリオーズは両目を剃刀の刃のように細める。

「僕が創ったのはARMIAだ。そして君とマリアはそこから勝手に発生エマージェンスした人格ペルソナに過ぎない。だろ? だけど、君たちの継承元オリジンは全て、僕とジークフリートの創り出した意識のようなものにある」
「存じております」

 アーマイアは「そんなことは当然だ」と言わんばかりに低い声で応じ、その黒髪に軽く手をやって、暗黒の瞳をギラリと輝かせた。

「それでは製造シーケンスに移行します」
「はは、君には命の倫理という概念がないのようだね」

 背を向けたアーマイアにベルリオーズが語りかける。アーマイアは無表情にベルリオーズを振り返る。

「そんなもの、私の継承元オリジンにもありませんでしたが」
「しかし、マリアにはある」
「そう、でしょうか?」
「ほう?」

 ベルリオーズは顎に手をやって、アーマイアを促す。

「マリアは二人のディーヴァたちに共鳴レゾネイトしているに過ぎません。その結果、二人の意識や感情が作用して、マリアの中にたまたまを生み出したに過ぎないのです、創造主デーミアールジュ。いわば、あの子の感情も倫理観も、全てが借り物。言ってしまえば、まがい物に過ぎません」
「ふむ、興味深いね」

 ベルリオーズは「うんうん」と二度頷いた。

「しかし、人間とはくいうものだとは思うのだけれどね、僕は」
「理解しがたいことです」

 アーマイアは興味なさそうな表情で首を振り、そのまま闇の中に消えてしまった。

「――だ、そうだよ」

 ベルリオーズは肩をすくめて背後の闇に語りかける。するとそこにの炎が噴き上がった。その輝きがベルリオーズの姿を闇の中に鮮烈に浮かび上がらせる。

 の方から女の声が発せられる。

『娘に嫌われる父親の気持ちが理解できた?』
「なかなか良い刺激にはなったよ」

 ベルリオーズは演技じみた苦笑を見せる。

「おかしいな、もう少し素直な子になるように設定していたつもりなんだけれど。とかいう女が悪いのではないかな」
『あら、それは心外。私はあの子の人格なんて問題にしていないわ。ただ、状況を見るために利用しているだけよ』
「君があの子にどんなことを囁いているのかまでは、僕にはわからないし、関心もないけれどね」

 ベルリオーズは目を伏せて、右の口角あたりを左手の人差し指で引っ掻いた。

 そして視線を上げ、の輝きを凝視した。いや、睥睨へいげいと言ってもいいほどの傲然たる視線だった。

「でもまぁ、世界が君たちという偽りの神から解き放たれる日も、その頸木くびきを外されるような日が来るのも、そうは遠くないんじゃないかな」
『そう、かしら?』

 揶揄するように、の炎はゆらゆらと揺れる。

『もしそうだとしても、そうなるのだとしても、私たちにとっては面白いことなのよ。私たちが泣いて悔しがるとでも思っていたのかしら?』

 の炎はそう尋ねた。の炎は沈黙を守っていた。

「面白いのならば結構。僕も面白いことであるべきだと思っているんだ、この歌姫計画セイレネスシーケンスは」
『あの子たちがこれほど苦しんでいるのに』

 がようやく言葉を発した。

『それがあなたの目的のために必要だとしても、あたしには理解できないわ。あなたの目的はそもそもあたしたちからの世界の解放と、その結果としての完全な世界の実現ではなくて?』
「であるからこそ、僕はを用意したんじゃないか」

 ベルリオーズは指を鳴らす。

「そのための、偶像アイドルだよ。人間たちの苦悩を一心に背負い、人間の代わりに苦しみ、人間の代わりに死ぬ。少なくとも、人間の誰かを矢面に立たせるよりは、よほど良心的。そうは思わないか、ツァトゥグァ」
『思わないわね。あの子たちはその発生起源こそ、あなたとジークフリートの試験管かもしれない。でも、あの子たちは紛れもなく意志を持った生命体』
「だから?」

 ベルリオーズは目を細める。左目の赤い輝きが炎のように強くなる。

「あの子たちはそうなるべくして創られた。存在意義がそれなんだ。これにまさる歓びはないだろう?」
『だとしても、現にあの子たちは苦しんでいるわ』
「そういう反応をするように仕込まれているだけだよ、ツァトゥグァ。現にあの子たちはそうであるにしても、目的に向かって突き進んでいるだろう?」

 ベルリオーズは「イザベラの出現も計画通りだしね」と付け足した。

『あたしはあなたの倫理観をこそ疑うわ』
「より多くの人がよりマシだろう? 少数の犠牲で多数が救われる。そしてその犠牲すら、元来の人間の摂理の外にいるもの。寄せ集めの土塊つちくれで創られた偶像アイドルなんだから。そこに何の問題があるだろう」
『だとしても!』
『まぁまぁ』

 激しかけたを、なだめた。

『ツァトゥグァ、あなたがあの子たちを人と同じと思うのなら、あの子たちは人と同じように抗うわよ。その結果、この私たちを、そしてベルリオーズをも出し抜く結果を出すかもしれない。これはね、超AIジークフリートが用意した、神をも楽しませる壮大な娯楽エンターテインメントなのよ。譜面の途中では決して止められない、輪舞曲ロンド。私たちの力をしてももう止められるものじゃないのよ』
『しかし、アトラク=ナクア。これはあまりにも』
『世界の終焉おわりに向かおうと言うのだから、このくらい当たり前でしょう。私たちは似たような瞬間を何度も目にしてきた』

 の超越したような言葉に、は黙り込む。

「さぁ」

 ベルリオーズが一度手を叩く。

「僕は君たちを超えることができるのか。世界は終わるのか、始まるのか。楽しいショーのの幕を上げようじゃないか」
『悪趣味』
 
 はそう吐き捨てると姿を消した。の炎が大きく揺らぐ。

『それには同意するわ』

 そして消える。

 それに伴い、空間は完全な闇に落ちる。

「ふふ、嫌われたものだね」

 ベルリオーズはそう言うと、自らもその世界から姿を消した。

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