コーラス……だって……!?
その不意打ちには、イザベラの力をもってしても対処できなかった。第一艦隊の約半数がその効果範囲内に入っていた。エディタやレネを中心にした、幾重にも重なるコーラスだった。
影響下にあった小型砲撃艦、小型雷撃艦が、前触れもなく爆発四散した。津波のような断末魔がイザベラたちの意識を抉り抜くように響き渡る。駆逐艦はいくらかは耐えたが、それでも二隻が轟沈してしまった。被害は合計十八隻にも及び、海に投げ出された海軍兵あちも、誰一人として人体の体を為していなかった。そのあまりにも酷い光景に、イザベラも思わず目を逸した。
歌姫たちが絶命した後も、その断末魔は続いた。恐怖や苦痛が増幅されて、延々と反響し続ける。十八人の歌姫による断末魔の大合唱は、生き残った歌姫たちの意識に深刻なダメージを与えた――イザベラにしても例外ではなく。
セイレネスによる歌がもたらすものは、麻薬的高揚感だけではない。このような事態が起きた場合には、断末魔によるトランス状態を突き抜けて、圧倒的な絶望感、無力感、喪失感を聞いている者に与えるのである。こちらの負の効用については、国民には明らかにされていない。しかし今まさに、戦闘の生中継を見て楽しんでいた者たちは、おしなべてそう言った負の精神状態に陥っていることだろう。
『レニー!』
エディタの鋭い声が飛ぶ。
『コーラスの発信源を探れ! クララ、テレサはC級たちを率いて海域封鎖を大至急! パトリシア、被害状況をまとめろ!』
「エディタ」
目が回るほど忙しいエディタの指示の合間を縫って、イザベラが呼びかける。
「海域封鎖はわたしが行う。きみたちは全員で発信源を探せ」
『はっ、承知致しました。お願い致します、司令官』
明瞭に応えるエディタだったが、その声には限界まで高まった緊張感が伺えた。エディタもまた断末魔による影響で苦しんでいるのが伝わってくる。イザベラは暗闇の中で両手を握りしめる。
まるで酩酊状態だとイザベラは思う。断末魔によって、完全に酔わされていた――それもとびきりの悪酔いだ。
「そうも言っていられない」
イザベラは息を一つ吐くと、艦隊全体を覆うように海域封鎖を実行した。範囲が広すぎるため、コーラスの影響をゼロにはできない。だが、一撃大破を回避することはできるはずだ。イザベラは残った集中力で海域を捜索する。
「どこだ……っ!」
セイレーンEM-AZの上空に意識を飛ばして、海域を広く見渡す。確かにおかしな気配は感じられる。マイノグーラたちのそれと同じ、完全に正確な和音で構成される音だ。揺らぎも何もないその音は、完璧すぎて気味が悪い。聞こえてくる度に、粗いヤスリで心臓を撫で回されているような、そんな不快感が強くなる。
ゲテモノ――。
マリアがアーマイアから聞かされていた言葉を思い出す。そう、確かにこの感触はゲテモノ以外の何物でもない。
セイレーンEM-AZを中心に海が碧く光る。旗艦を一撃で沈めようという算段か。
舐めた真似を――!
イザベラは冷たく口角を上げる。
『司令官! コーラスが!』
「案ずるな、エディタ」
何事もなく光は消える。イザベラの力で強引に打ち消したのだ。しかしそこでイザベラは悟る。そのセイレネスの威力はV級に匹敵する。それも異常に安定した威力だ。
イザベラは水平線近傍にぼんやりと見えるアーシュオンの艦隊を眺めやる。
「まさか……」
いや、そのまさかか。
イザベラはその意識を数十キロ移動させ、アーシュオン艦隊を見下ろすポジションにつく。やろうと思えば半数は一撃で沈められるだろうとイザベラは思う。
「通常艦隊……ではないのか?」
一見するとなんの変哲もないただの艦隊だ。だが、あまりにも落ち着きすぎている。駆逐艦を最前列に立て、微速で前進し続けるその姿は、いっそ葬列のようでもあり、異様な雰囲気を醸し出していた。
どういうことだ?
イザベラは艦隊の先陣を切っている駆逐艦の舳先に降り立とうとした。その途端、『来るな!』という鋭い声とともに、イザベラの意識に火花が散った。まるでノーモーションで平手打ちを食らったかのような衝撃を受け、イザベラは反射的にその駆逐艦から離れた。
ばかな、駆逐艦にセイレネス、だと?
ここまでの小型化はいまだ実現できていないはずだ。マリアの所属するホメロス社では、セイレネス・システムの小型化を行うための「イリアス計画」が進んでいる最中だ。だが、まだ実現には遠いという。セイレネスに関してはホメロス社のほうに一日の長があると思っていたが、いつの間にかアイスキュロス重工に抜かれていたのか?
イザベラは自分が少なからず混乱していることに気がついた。思わずポケットを探ろうとして、自分が今は実体ではなかったことを思い出す。
「安定剤は多めに使っておいた方がいいかもしれないな」
イザベラは意識の目を駆逐艦の上空で固定して、観察を続け、そして、言った。
「エディタ、緊急事態だ」
『……と、おっしゃいますと?』
「セイレネス搭載駆逐艦、十隻」
『え……?』
エディタが絶句したのが聞き取れた。
「すまないがエディタ、指揮権を返してもらうよ。きみはバックアップに回ってくれ」
『承知しました!』
肩の荷が下りたと言わんばかりにエディタは応じる。イザベラは小さく笑い、意識の中で肩を竦めた。
「V級全員で、わたしが今から指定するターゲットを一撃してくれ」
『了解です』
全員の声が揃う。
『司令官、私は!』
「レニー、きみは温存だ。然るべき時に合図を出す」
『かしこまりました』
レネの返事を待たずに、イザベラは全員に攻撃目標を割り振った。
一斉に双方から砲撃が開始される。セイレネスによって伸長された射程距離と威力で弾丸が飛び交う。純粋な艦艇の火力だけならエディタたちのほうが上を行く。しかし、アーシュオンは完全に同調した攻撃を繰り出してきており、それは鉄壁の防御力と一撃必殺の攻撃力を有していた。
「ほとんど互角か」
イザベラは舌打ちすると、意識を実体に戻した。暗黒の部屋の中で目を開けたイザベラは、すぐに艦橋を呼び出した。
「艦長、FCS!」
『イエス・マム。ファイアコントロール、ユー・ハヴ』
「アイ・ハヴ!」
イザベラの意識が、戦艦の火器管制システムと同調する。すべての火器が、あらゆる火力が、自らの身体の一部となったような感覚になる。
「艦首PPC、展開!」
戦艦・セイレーンEM-AZの前面装甲が展開し、そこから巨大な三連装の砲身が姿を見せる。艦が出力するエネルギーの大半が、その基部へと集中していく。艦内の電力の殆どが最小出力に落とされる。
「反射誘導装置、展開用意! モジュール・エコー発動 ! 対象捕捉完了。粒子加速度――最大値到達確認」
その間に、セイレーンEM-AZの超巨体は艦隊の先頭に躍り出ていた。海を引き裂く白銀の戦艦が重く低く唸り始める。空間が歪み、薄緑色に輝き始める。
「反射誘導装置、展開。エネルギー充填率許容限界到達。予備照射開始」
目標への誘導確認――完了。
イザベラは闇の中で目を細める。
「セイレネス最大出力維持! 反射誘導装置再設置……完了!』
イザベラは目を閉じ、一つ深呼吸をする。
そして、目を開く。
「艦首PPC、射撃開始!」
空と海を打ち破るような閃光が海域を薙いだ。雷鳴のような音を立てて放たれた光は、途中で無数に枝分かれした。左右に、あるいは上方に。そして、鋭角的に反射したかと思うと、水平線上の敵艦隊に向かって吸い込まれていった。