それからしばらく、ただ沈黙の時間が過ぎた。イザベラが最後に言葉を発してから、三十分近くが経過した頃になってようやく、イザベラが腕組みを解いた。
「ところでさ、新人D級の二人は元気にやってるのかな?」
「え、ええ。そう聞いてる。レニーからも聞いてるでしょ。あと、表向きはS級よ、イズー」
「うん、まぁね」
イザベラは頷く。
「アルマとマリオンだっけ。レニーと三人で仲良し、良いことだ。確かそうだ、アルマはレニーと付き合ってるんだっけ」
「そうね。本人たちは隠してるみたいだけど」
レベッカはややぎこちない苦笑を見せる。
「マリオンにも恋人がいるそうだし」
「羨ましいわ」
レベッカは肩を竦めた。
「きみにはマリアがいるじゃないか」
「そう、だけど、でも私は」
「いいさ、わかってるよ」
イザベラは微笑み、「ともかく」と言ってから、グラスの中の温い液体を飲み干した。
「次の時代を創るのは、あの子たちなんだよ、ベッキー」
「次の時代?」
「そ。いつまでも私たちが頂上にいるってわけにもいかないじゃないか」
イザベラはじっとレベッカの目を見つめた。仮面越しでもその眼力の強力さくらいは伝わってくる。
「今年、あの子たちは軍に編入される。このタイミングでD級二人。わたしはこれに運命じみたものを感じているんだ。わたしたちの時代が終わった。そんな感じの、予感みたいなものかな」
「それってどういう、意味?」
「そのままの意味さ」
イザベラは空になってしまったウィスキーのボトルに目をやってから、おもむろに立ち上がった。
「老兵は死なず。ただ、消え去るのみ」
「辞めるっていうの? 歌姫を? この大変な時に?」
「大変な時っていうけど、わたしたちが戦い始めてから大変じゃなかった時なんてないよ」
イザベラは冷蔵庫の中から開封済みのスパークリングワインを取り出した。
「あと一杯だけさ」
「もう……!」
レベッカは一応は不満を表明したが、止めるつもりにはなれなかった。イザベラは新しいグラスと共に戻ってくると、そのワインを注いで不満そうに息を漏らした。
「気が抜けてる」
「開けたの三日も前だもの」
「そうだったっけ?」
イザベラは「味見」と称してその一杯を飲み干し、間髪入れずに二杯目を注いだ。もはやコメントする気にもならないと、レベッカは肩を竦める。
「わたしたちは、ただ消え去るのみ、とは言ったけど」
イザベラは足を組む。
「そんなんで良いのかなって。わたしは思い始めているんだ」
「……どういう意味?」
「せっかちだね、きみは」
「こんな話だもの、そうともなるわ」
レベッカの言葉を受け、イザベラはしばらく沈黙する。
「わたしたちの時代は、終わるんだよ、確実に」
「終わる……?」
「新たなD級の登場と共にね。イリアス計画も軌道に乗ったし、制海掃討駆逐艦だっけ? あの二隻も完成までもう少しだ」
「でもそれで私たちがお役御免になんてなるはずがないじゃない」
「うん、ならないだろうね」
イザベラは歯切れ悪く応えた。
「最悪、逆侵攻だって参謀部の頭にはあるだろう。前例もあるし」
前例とは、参謀部第三課の手動で、アーシュオン本土に弾道ミサイルの雨を降らせたということだ。あれが専守防衛の時代が終わった瞬間であり、他国への攻撃能力を有することを国際的にも証明した瞬間だった。
「戦力が大幅に増えるってほくそ笑んでる連中が大半だと思うけど、わたしにはそれがどうしても許せない」
「でも、それだからって、どうするっていうの? 変よ、イズー」
「変? うん、ま、そうと言うのならそうだろうね」
イザベラは二杯目のワインを一口飲む。
「なにせわたしは過去も顔も焼き捨てた女だから。だからさ、死生観がズレてるのは自覚してる。わかってるさ」
そして足を組み替える。
「わたしはね、わたしの時代のけじめをつけたいと考えた」
「時代のけじめ……?」
「わたしの時代のけじめだ」
その言葉を受けて、レベッカは総毛立った。思わず自分の身体を抱いたレベッカを見遣り、イザベラは目を細めた。
「ベッキーはさ、いつまでこのポジションで、この仕事をし続けるの?」
「それは、必要とされている限りは――」
「ほんとうに?」
食い気味にイザベラが尋ねる。仮面越しでもその義眼の――空色がわかるようだった。レベッカはたまらず視線を逸した。
その時、玄関のドアが開いて、マリアが帰ってきた。一応マリアにも自分の家があるのだが、最近では当たり前のようにレベッカの家に帰ってくる。宿泊頻度はイザベラよりも圧倒的に高い。
「ただいま戻りました、姉様方」
「おかえり、マリア」
「おかえりなさい」
どこかぎこちのない「おかえり」に、マリアは緊張を覚える。この場の空気が張り詰めていたことに気付けなかったのは迂闊だった。
「レベッカ姉様、いったい……?」
「な、なんでもないのよ」
「嘘が下手ですよ」
マリアはこの時点でもうすでにあらかたの事情を察していた。テーブルの上に乱立するアルコール飲料の空き瓶の数々、その一方でレベッカ用のジュースはあまり減っていない。そのレベッカの顔は疲れていて、イザベラはいつも以上に冷徹な空気を発していた。ただならぬ雰囲気であることは一目瞭然だった。
「よし、役者も揃ったところで」
イザベラは立ち上がる。マリアは所在なさげに立ったままだったが、イザベラに促されてレベッカの隣に腰をおろした。
「わたしの演説でも聞いてもらおうか」
「演説……?」
レベッカとマリアが顔を見合わせる。
「そう、演説だ」
イザベラは言うと、小さく咳払いをした。
「わたしは」
アルコールが入っているとは思えないほどに、安定した、威圧感のある声が発される。イザベラを見上げるレベッカもマリアも、呼吸を止めて目を見開いた。
イザベラは腕を組んで二人を見下ろした。
「遠くない未来に、わたしは反乱する」
その宣言に、二人の聴衆は同時に青褪めた。