イザベラの宣言が、レベッカとマリアの頭の中を跳ね回る。
遠くない未来に、わたしは反乱する――。
「な、何を言ってるの」
「酔っているのですか、姉様」
レベッカとマリアはほとんど同じ反応を見せた。イザベラは「ふふ……」と小さく笑う。
「なぁに、いますぐ、とは言っていないでしょ。このまま行ったら、わたしは遠くない未来にキレるだろうよっていう話。そういうことだよ」
何か言いたそうな二人を見遣りつつ、イザベラはソファに座リ直す。そして優雅な動作で足を組んだ。
「だからこれは、わたしがキレてしまったらという話になるだろう。だから、そのつもりで聞いてよ」
話の深刻さとは裏腹に、イザベラの口調はどこか楽しそうだった。
「わたしはね、この時代が気に入らない。憎んでいると言っても良いかもしれないね。人々の考え方も、わたしたちに対する扱いも、わたしたち自身の行動も決断も結果も、とにかく全てだ」
イザベラは一息でそう言い切ると、ウィスキーの入ったグラスを持ち上げて、レベッカに向けて掲げた。
「この責任は、わたしたちにある。そう、わたしと、ベッキー――きみだ」
「……言いたいことはなんとなくわかるわ」
レベッカの表情は沈鬱だった。
「言われるがままにやって来た結果が、今のこのありさまなのよね」
「そうだよ、ベッキー。嫌がったり背いたりはしてきた。でも、最終的にはわたしたちは彼らに従ってしまった。国民によって選ばれた人々が軍を動かし、軍がわたしたちを動かした。つまり、わたしたちは国民の総意で動き、守り、殺してきた。そして彼らはそうあることが当然だと信じ始め、やがてわたし達のことを同じヒトとしてはカウントしなくなった」
イザベラの口調は至って穏やかだったが、レベッカにもマリアにも、イザベラの中で吹き荒れる灼熱の暴風のような感情がはっきりと読み取れていた。
「わたしたちは戦争の手段ではある、確かに。でも、それと同時に一人の人間だ。罪悪感を覚える咎人なんだ。罪なき敵を殺し続ける執行人なんだ。そして、いや、しかし、この苦しみは彼らには伝わらない。彼らは理解しようとすらしない。思考を放棄して惰性で生きる。だから」
イザベラの唇が凄絶な笑みを作る。
「わたしは彼らに理解させる」
「イズー、でも、どうやって? 今までだって私たちはありとあらゆるチャネルで訴えてきたじゃない?」
そうだね、と、イザベラは首を振る。
「でも、結論ありきの偏向報道下で何を言ったって無駄だっただろう? 経験的にさ。わたしたちのアウトプットを使って二次創作した彼らの創作物の乖離は、それはそれは酷いものだったじゃないか。あまつさえ言ってもいないことを故意に拡散させ続け、多くの人はそれを真実と思い込んだ――なんてことは枚挙に暇がない、ちがう?」
「確かに、そう、だけど」
「第三課の連中は特に酷いね。わたしたちの言葉の原型を無くすどころか、音声の吹き替えさえ行って誤情報を、いわばプロパガンダを広めた。でも最悪なのは、国民さ。誰も疑うこともせず、それをまるっと信じ込んだ。わたしたちの釈明に対して聞く耳を持ったりなんかしなかった」
イザベラはテーブルの上に放置されたままの週刊誌を指さした。
「見てごらんよ。わたしたちは断末魔特集なんていう屈辱をも甘受させられている。その一方で、この週刊誌は飛ぶように売れてる。それだけのニーズがあるってことなんだ、わたしたちが殺害されるという事実に対して。彼らはわたしたちに守ってもらいながら、同時に適度に殺されることを求めている。一人の人間が死ぬということの意味に、想いを馳せる善意なんて、大衆の総意という民主的な正義の前には何の意味もない」
「それは」
レベッカは隣に座るマリアの右手を握りしめながら言った。
「……そうかもしれない。でも、諦めてしまったらおしまいよ、イズー」
「悠長」
イザベラは腕を組む。
「悠長だよ、きみは。次世代のディーヴァは、もう間もなくデビューするんだ。きみはあの子たちにわたしたちと同じ轍を踏ませるっていうの?」
「ちょ、ちょっと待ってよ、イズー。遠くない未来の話から、直近の未来の話にすり替わってる。あなたはもう諦めてしまっているように聞こえる!」
「はははっ!」
道化師のようにイザベラは笑う。
「わからないさ。実際にわたしが何をするかなんて、わたし自身にも! でもね、いざその時に迷わないで済むように、いま、わたしは、こうして話をしているんだよ」
「ダメよ、イズー。そんなことしたって何も変わらない!」
「変わらないなら!」
イザベラは一呼吸おき、グラスにウィスキーを注いだ。
「変わらないなら、わたしはなおのこと絶望するだろう。何もしなければ何も変わらない。でも、何かをすれば変わるものもあるだろう? 現状を受け入れて漫然と生きるべきか、現状に抗って死ぬ覚悟で戦うべきか、そういう話さ」
イザベラは冷たい口調で言う。
「わたしは何もしないではいられない。なぜならば、わたしには力があるから。だから、わたしは何かをすることができる。結果として全てが露と消えるとしても、その行為には意味が生まれる。今のわたしは、何も知らなかった十年前とは違う」
「でも、だからといって、そんな」
レベッカはなおも「ノー」を突きつける。しかしイザベラはそのカードを受け取らなかった。が、レベッカは引き下がらない。
「でもイズー! そんなことしたら、遺されるあの子たちがどうなると思う!? 結局同じ、変わらない、変えられないのよ。もしかしたらもっと」
「悪くなるかもしれない?」
イザベラは口角を上げる。
「捨てる勇気だって必要なんだよ、ベッキー。わたしたちは今まで捨てることを極度に恐れてきた。でもわたしは確信したんだ。エディタたちは上手くやるさ。やってくれる。わたしが何をやらかそうが、その後に起きてしまうことに対して自分たちで対処できないというのなら、わたしが何をしようが同じこと。でもわたしがこの病める凪の海をかき回すことで、あるいは何かのチャンスが生まれるかもしれない。だとしたら、わたしは力あるものの責任として、それをするしかないだろう」
イザベラはウィスキーに口をつけつつ、レベッカとマリアをゆっくりと見回した。
「わたしはわたしの決断で、わたしの時代の責任を取る。けじめをつける。ベッキー、きみはどうするんだい?」
「わ、私は……」
「わたしを軍警にでも突き出すかい?」
「しない、そんなこと!」
レベッカは鋭い視線をイザベラに向ける。馬鹿にするな、という意志が強く表れていた。
「ベッキー、それもまた捨てる勇気と言えるんだよ。きみはきみの正義に――」
「それ以上言ったら、思いっきりひっぱたくわよ、ヴェーラ」
レベッカの両手は震えていた。マリアはレベッカの左手をそっと握る。
「あなたは私が愛している人なの、ヴェーラ。だからどうあったとしても、その命運を他人に委ねさせたりはしない」
「そう、か」
イザベラは幾分弾んだ声で応じた。
「それならそれでいいんだ。ごめんね、ベッキー」
「キスさせて」
「え?」
「あなたがもし何かをやらかすのだとしたら、その最後にキスさせて」
レベッカの声は震えていた。イザベラは驚いたように沈黙したが、やがて小さく頷いた。
「わかった。約束する」
「絶対よ?」
「うん」
イザベラはそう言って、マリアに視線を送った。マリアはレベッカの手を握りしめたまま、肩を竦めた。
「私は何も聞いてませんよ、姉様。イザベラ・ネーミア中将閣下が酔っ払って呂律の回らない口調で何かおっしゃっていましたが、聞き取れませんでした」
マリアはイザベラを正視する。数秒間の沈黙の末に、イザベラは「うん」と頷いた。
「それがきみの答えということで良いのかな?」
「いいえ」
マリアはまたもや明瞭な口調で否定する。
「私は姉様の考え方には同調しますが、姉様方を時代の生贄になどしたくはありません。献身と自己犠牲は同一であってはなりません」
「じゃぁ、どうすれば良いって?」
「わからない」
マリアは首を振る。
「だから、困っています」
マリアは肩にレベッカの頭を感じながら、その暗黒色の瞳でイザベラを見つめた。イザベラはそれに臆した様子もなく、両手を打った。
「きみの意志は理解した。マリアはマリアであれこれやってみせてよ。ベッキーもだ。わたしはこの件については、今後きみたちに相談することはないよ。ここからは、わたしたちそれぞれの考えの下で、自分が正しいと信じたことをやっていこう」
レベッカは唇を噛みしめる。
――はいそうですかなんて、言えるわけがないじゃない。
カラカラの目から、涙が溢れた。