その一時間後には、レベッカの姿は制海掃討駆逐艦の艦橋にあった。戦艦や空母のそれとは違い、艦橋の造りは驚くほどコンパクトだった。レベッカの戦艦・ウラニアは艦橋要員だけで百名近い。だが、アキレウスは艦長を含めてわずか十名だった。
その手狭な艦橋の片隅に、歌姫――すなわちマリオンのための席が設けられている。レベッカとマリオンは並んで窓のそばに立っていた。
「この艦の乗員数って何名でしたっけ、マリー」
レベッカは緊張しきりのマリオンに尋ねた。マリオンは長い黒髪が印象的な少女で、そのためイザベラは「黒髪ちゃん」と呼んでいたりもする。内気でおどおどしたところもある歌姫ではあったが、そのポテンシャルはイザベラやレベッカに比肩すると言われている。参謀部の打ったメディア対策により表向きはS級ではあったが、真のところはD級である。
マリオンは一瞬天井に視線を送ってから、レベッカに顔を向けた。
「現在は自分を含めて六十四名です、提督。戦闘出撃時には百名体制になります」
「ウラニアの五分の一以下、ですか」
レベッカは窓に背を向けて、艦橋を埋め尽くす最新鋭の機器を興味深げに眺め回す。レベッカのウラニアとてそこまで古い艦ではない。だが、このイリアス計画の申し子であるアキレウスには、それを圧倒的に凌ぐほどの技術的資産が投入されていた。
システム構築の責任者は、ハード、ソフトともにウラニアやセイレーンEM-AZと同様、ブルクハルト中佐である。故に、その性能は間違いなくカタログスペック以上のものが保証されている。
「本艦は歌姫専用戦闘艦の先行試作艦という性質上、詰め込めるだけの試作兵器やシステムが搭載されています。ですが、その分不安定で、メンテナンスコストが非常に嵩んでいる……ようです」
「でしょうね」
レベッカは頷いた。
「セイレネスのシステムをあのサイズにすること自体無茶ですから」
レベッカの中では、セイレネスというものを取り扱う設備というのは恐ろしく巨大になるという認識だった。機器の巨大さは勿論、その異常とも言えるほどの電力消費量を賄うための発電施設もまた、大規模にならざるを得ないからだ。
「でも、ブルクハルト中佐が責任者ですものね」
「はい」
それだけで信頼性が保証される。
マリオンはレベッカの横顔をうっとりと見つめる。マリオンにとって、レベッカは幼少期からの憧れの存在だ。戦災孤児施設にいた頃に、一度だけライヴを見たことがあった。その時から、マリオンは歌姫という存在に強く憧れを持っていたのだ。とりわけ、レベッカ・アーメリングという存在に。
「マリー、どうしましたか?」
「はっ、あ、いえ、何も」
「思えばずいぶん時間が経ちましたね」
レベッカは目を細める。マリオンは何を言われているのかと目をぱちぱちと瞬かせた。
「ライヴ。何年前でしたっけね。まだ小さかったあなたとアルマが最前列にいました」
「お、覚えていらっしゃったんですか!?」
「ええ、もちろん」
レベッカは柔らかく微笑む。
「あなたたちに、私とヴェーラは自分たちと同じものを見たのよ。良いか悪いかはわからないけど、あなたたちがきっと私たちの後継者になるだろうって」
「後継者ですか……!?」
マリオンの声が裏返る。レベッカはその動揺を受けて、思わず声を上げて笑う。
「私たちは永遠ではありません。しかしどういうわけか、戦争はまだまだ続きます。残念ながら、この状況を打破するためには、前線の責任者は受け継がれていかなければなりません」
「は、はい。しかし、私やアルマで、提督の後継になれるのでしょうか」
「そのための、訓練です。あなたたちには才能はある。それは私が保証します」
レベッカは幾分硬めの声でそう伝えた。
「それで、マリー。この訓練航海で、歌姫としての戦い方はわかってきましたか?」
「ど、どうでしょうか。課題は全てクリアしたはずですが……」
「そうでしたね」
レベッカは頷いた。
「あなたはシミュレータから実機に乗り換えても、その性能の差異はほぼありませんでした。通常、完熟に数ヶ月を要しますが、それを数日でやり遂げたのはさすがです、マリー」
レベッカはまた窓の外を見た。黄昏を経た今、そこには暗黒の海と空が広がっている。
「しかし、命を賭ける戦いとなると、セイレネスというのは全く別の顔を見せます。セイレネスでは嘘をつけない。すなわち、迷いや苦悩の全てがセイレネスに反映されます。揺らぐのです。ですから、一度セイレネスを発動してしまえば、迷うことも躊躇することも許されません」
「き、肝に命じます」
姿勢を正したマリオンの肩に軽く触れて、レベッカは「ところで」と話題を変え、小声で尋ねた。
「プライベートな話でごめんなさい。レオナとの関係は良好ですか?」
「え、は、はい!」
「お付き合いして三年になるって聞いています」
「士官学校一年のときからなので、そうです」
「良いことです」
レベッカは目を細める。
「私たち最上位の歌姫は、絶対に孤立してはいけません。レオナだけじゃなく、レニーやアルマともいい関係を維持してください」
「アルマとはしょっちゅう喧嘩はしますが……」
「あなた、喧嘩なんてするの?」
「え、はい。アルマとはその、喧嘩するほど仲が良いみたいな関係で」
そう聞いて、レベッカは「なるほど」と顎に手をやる。
「何でも言い合える関係ってことですよね?」
「そうです。アルマやレオンには何でも言えます」
「良いことです。安心しました」
レベッカはマリオンの吸い込まれるほど深い、宇宙の色の瞳を見た。
「私たちは……」
レベッカは張り詰めた声で言った。
「WMDなのです、マリー」
「WMD……」
「ええ。石と棍棒で武装した人々を戦車で轢き殺しているようなものです。それほどまでに、歌姫とそうではない人々の戦力差は大きいのです。私たちはアーシュオンの民間人を何百万と殺したことすらあるのですよ」
「し、しかし、それは命令で……」
「そうです」
レベッカは頷いた。
「しかし、その経緯は何であれ、殺すのは私たちのこの力です。セイレネスの力。人を殺すとき、その人の顔も、記憶も、恐怖も、苦痛も、私たちに返ってきます。セイレネスとは呪いのようなもの。圧倒的な力と引き換えに、その呪詛は必ず自分に返ってくるのです」
そこまで告げたまさに時、レベッカの携帯端末が無愛想に緊急入電を報せた。
「……わかりました」
レベッカは携帯端末をポケットに入れたまま呟いた。
「ただちに迎撃に向かいます」
その直後には艦橋はにわかに慌ただしくなった。
「艦長、レスコ中佐を呼び出してください」
「了解」
二分後には艦橋メインスクリーンにエディタの上半身が映し出された。髪が少し塗れているように見える。
『お待たせしました、提督。今しがた、カワセ大佐からも連絡いただきました』
「さすがマリアね。これはいつもの挑発行動だとは思いますが、アーシュオンは我々がこの海域にいることに気付いていないようです」
『一撃しますか?』
「そうしましょう」
レベッカは一瞬間を置いてから、続けた。
「それで敵方が退却するならそれでよし」
『さもなくば殲滅、ですね』
「無理はしたくありません。こちらは半数が新人です。まずは生還してもらわなければ」
『了解です』
エディタは手元で何かを操作して、少し唸る。
『提督、戦闘行動の開始は夜明けの頃になると思います。各艦の艦長には状況を報せますが、歌姫たちへの周知は七時間後に行う、でもよろしいですか』
「お任せします、エディタ。あなたの判断を信頼しています」
『恐縮です、司令官』
「ああ、それと」
レベッカは長い灰色の髪をさらりと後ろに流して腕を組んだ。
「今回は私も前に出ます」
『承知いたしました、ありがとうございます』
エディタは頷いてから敬礼し、通信を切った。
あれ?
隣で話を聞いていたマリオンは、右の耳に手を当てて、何度か首を振った。
「マリー、どうかしましたか?」
「あ、いえ、何か、音が」
「音?」
怪訝な顔をするレベッカだったが、すぐにその意味に思い至る。
「もうセイレネスが反応しているっていうの?」
「わ、わかりません」
マリオンは首を振った。しかし、マリオンの中の音は確実に明確な形を取り始めていた。
「怖い」
「大丈夫です」
レベッカはマリオンの黒髪に触れた。
「あ……」
触れられたマリオンが目を丸くする。レベッカはマリオンの頬にも軽く触れ、言った。
「あなたは私が守ります」