正規空母を二隻!?
指定攻撃目標を確認して、マリオンは絶句する。シミュレータでも単艦撃沈はしたことがある。だが、二隻を同一の戦場で仕留めたことはなかった。正規空母は艦隊旗艦級であり、それゆえに恐ろしく堅牢だ。対セイレネス・システムも標準で搭載されているらしい。そのため、セイレネスで叩くよりも、空襲の方が効率的にダメージを与えられるのだという言説もあるくらいだ。
そんな大物二隻を最優先で叩けという指示が送られてきたのだ。いくら何でも無茶だとは思ったが、マリオンの立場からは「ノー」ということはできない。しかしどうすれば先制攻撃、すなわち初撃の段階で二隻を沈黙させられるのか、わからない。
コア連結室の暗黒の空間から、マリオンの意識は飛び出す。制海掃討駆逐艦アキレウスの上空に移動する。敵艦隊はまだまだ視認距離ではない。
「敵はまだ私たちに気が付いていない、か」
ならばまだチャンスはあるかもしれない。
マリオンの中で音が鋭く鳴り始める。その音は一瞬ごとに音圧を上げていく。ノイズまみれだったその音が徐々にクリアになっていく。マリオンは意識の高度を上げる。夜明け前の闇の海が、音もなく揺れている。
一つ息を吸う。ゆっくりと吐く。両手が震えている。
――今から私、人を殺すんだ。
そう思わざるを得ない。その思いが頭の中を駆け回っている。
マリオンの意識は敵艦隊の上空にあった。目標の正規空母も、セイレネスによるマーカー貼付により、すぐに分かった。
『マリー、三十秒後に仕掛けてください。戦闘行動を開始します』
「は、はい、司令官」
レベッカの言葉に反射的に反応してしまう。敵空母に動きがあった。露天駐機されていた哨戒機が動き始めていた。
『敵がこちらに気付きました。エディタ、ハンナ、ロラ。火器管制をマリーに移譲してください』
『了解です、提督。ハンナ、ロラ、いいな?』
私の手の届かないところで、状況だけが進行していく――マリーはぼんやりとそう考えた。重巡アルデバラン、アルネプ、カストルの全主砲のトリガーが、マリオンの意識に連結されていく。
「火器管制、アイハヴ。先輩方、お借りします」
マリオンは意識を集中する。もちろん、四百キロも離れた敵艦船に、通常の砲撃が届くなんてことはない。
『マリー、攻撃を開始してください』
レベッカの淡々とした指示が飛んでくる。マリオンは自動的に頷き、全てのトリガーを引き絞った直後に呟いた。
「モジュール・グングニール……発動!」
三隻の重巡とマリオンの制海掃討駆逐艦アキレウスから放たれた火線は、加速しながら瞬く間に水平線の彼方に消えた。
『いまのは……何ですか、マリー』
「わかりません」
マリオンは首を振る。
「ただ、そうしろって言われた気がして……」
使ったマリオン自身にもよくわかっていなかった。そもそもモジュール・グングニールというものの存在さえ、今システムによって提案されて初めて知った。
マリオンは再び敵の艦隊の上空に意識を移動させる。そして絶句する。そこには惨憺たる光景が広がっていた。正規空母四隻のうち、三隻までが黒煙を噴き上げていた。三隻とも復元不能なほどに傾斜しており、沈没は時間の問題であるように思えた。
『艦隊、輪形陣に移行。対空戦闘に備え!』
レベッカの号令一下、それぞれの艦が予め決められていたポジションに移動する。その流れるような美しい艦隊運動は、厳しい訓練の成果と言えた。
『エディタ、ハンナ、ロラは麾下の駆逐艦とともに突撃用意。レオナはマリーの直衛を任せます』
アルデバラン、アルネプ、カストルがいち早く最前衛に進み出る。それぞれの配下にある駆逐艦がそれに続く。電撃的な指揮にも、誰一人として落伍しない。
『マリー、残り一隻もあなたに任せます』
「え……っ!?」
『敵の発艦は一機でも防ぎたい。やってください』
有無を言わせぬ口調に、マリオンは息を呑む。
最初の一撃で集中力を使い果たしてしまったのか、視界がぶれている。さっきまではあれほど澄んでいた音が、今はノイズにまみれている。意識の中でハウリングが起きている。
敵の空母はどこだ。ノイズに塗り潰された視界で懸命に探す。
「いた……!」
攻撃機が多数発艦してしまっている。ざらざらとしたコマ送りの画像を、マリオンは呆然と眺めていた。攻撃機の先陣が輪形陣の対空砲火をかいくぐって接近しつつあった。
『マリー!』
レベッカの鋭い声。その途端、マリオンの視界を覆っていた霧が晴れた。消滅しつつあった音が戻ってくる。電子的な音が絡まり合う。夜明けの空に薄緑色の無機的な塔のようなものを作り上げていく。
「セイレネス発動! モジュール・タワー・オブ・バベル、起動!」
バベルの塔? なんだそれ!?
自分の口から出た言葉に、マリオンは驚いた。シウテムが提案してくる前に、マリオンはそう発していたのだ。
動揺しながらも、マリオンは意識を一度コア連結室の闇の中に引き戻す。指を組み合わせて、思い切り腕を伸ばす。首を一度回し、目を開け、閉じる。揺蕩う音に意識を同化させていく。
意識の中の音と、セイレネスから聞こえる音が、完全に同調する。
マリオンの意識がアキレウスの上空に飛ぶ。
艦隊を覆い隠すような形で、塔が在った。
『これは……』
エディタの掠れた声がマリオンに届く。セイレネスの素質者であれば誰にでも見ることができる、薄緑色の幻影。歌姫たちの尽くが呆気に取られていた。無論、レベッカもだ。
マリオンは呼吸を整えて、さながら呪文を詠唱するかのように、口にした。
「タワー・オブ・バベル、崩倒……!」
音と光でできたその幻影の塔は、倒れながら海を割った。穏やかな海はたちまちのうちに荒れ狂い、噴き上げた海水は一瞬で蒸気に変わった。数千平方キロメートルに渡って同時に発生した激烈な上昇気流は、晴れ渡っていた空の表情さえも一変させた。時空震が敵も味方もなく翻弄した。
私、何かとんでもないことをしちゃったんじゃ……。
マリオンは乾ききって痛む喉に、強引に唾を流し込む。
引き裂かれた海の先にいた敵艦隊は、この一撃で壊滅状態に陥っていた。健在だった空母に至っては、もはや影も形もなかった。
「一撃で……」
護衛の駆逐艦も巡洋艦も、大破以上の損害を受けていた。沈んだ艦も少なくない。
「わ、私は……」
何をしてしまったの……!?