20-2-1:メランコリック・ダイアログ

歌姫は背明の海に

 第二艦隊旗艦ウラニアの艦橋ブリッジの窓際にて、レベッカは物思いにふけっていた。照明すらほとんど落とされてしまっているその空間は、深夜一時という時間もあいまって、まるで夜空に浮かんでいるかのようだった。そんな時間であるにも関わらず、視線を眼下に落とせば、まるで昼間であるかのように明るい港の景色を見ることができた。幾人かの歌姫セイレーンの姿も見ることができたが、その影はどれもこれも覇気がなく、疲労困憊のていだった。出撃前の溌剌はつらつとした様子はもはや微塵も感じられない。

「たまらないわね」

 無人の艦橋ブリッジでレベッカは大きな声で呟いた。久しぶりに自宅のベッドで眠れるはずの今夜だが、新人の歌姫セイレーンたちは誰一人熟睡などできないだろう。目の前で同期が四人も死んだのだ。そして多くの敵を殺した。

 敵も味方も、いとも容易たやすく死ぬ。歌姫セイレーンの力があろうとも、簡単に死ぬのだ。そして、歌姫セイレーンの力があるから、簡単に敵を死なせることができるのだ。

 歌姫セイレーンたちは、C級歌姫クワイアたちも全て含めて、殺戮兵器である――レベッカは改めてその事実を痛感する。

 軍のみならず、国民に至るまで、私たち歌姫セイレーンには圧倒的なであり続けることを願っている。歌姫セイレーンなどという可愛らしい言葉を象嵌されていようと、彼らが求めるのはそういうことだ。生きることも、戦うことも、あまつさえ命を落とすことさえも、何もかもを国家国民に利用される――一方的にだ。

 レベッカは嘆息する。

 その瞬間、艦橋ブリッジの扉が静かな擦過音と共に開いた。あまりに不意なことに、レベッカは思わず肩を大きくびくつかせた。

「やぁ、やっぱりここにいた」
「ヴェ……じゃなかった、イズー。来るなら連絡くらいしてよ」
「散歩ついでさ。とにかく、おつかれ」

 イザベラはレベッカに缶コーヒーを手渡した。

「戦闘の一部始終は、六課の面子といっしょに見させてもらったよ。戦術的には問題があったけど、戦略的には正しい選択だったと思うよ」
「そう……」

 レベッカはコーヒーに口をつけた。イザベラは持参していた自分用のタンブラーに口を付ける。が何かはわからないが、レベッカは追求しようとはしなかった。その気力が湧かなかったからだ。

「ってことを、レニーが言ってた」
「レニーが?」
「うん。あの子は聡明だし、言うことは言うし。おかげでわたしはとても楽をさせてもらってる。有能な子だよ」
「私も」

 レベッカは少し口角を上げた。

「私もエディタに運用はお任せ状態。セイレネスの能力云々はさておくとしても、あの子たちの情報処理能力のすごさには舌を巻くわ」
「だねぇ」

 イザベラはレベッカと並び立ち、眼下に広がる景色を眺める。港には昼も夜もない。統合首都の港は決して眠らない。

「でもさ、ベッキー。わたしたちはさ」

 イザベラの右腕がレベッカの肩を抱き寄せる。レベッカは抵抗せずに身を任せた。

「あの子たちに、わたしたちと同じ道を歩かせちゃいけない」
「……ええ」

 レベッカは曖昧に頷き、「でも」と、サレットに覆われたイザベラの顔を見た。唯一見える口元からは、何の感情も伺うことができない。

「私は、どうしたらいいのか」
「わからない?」
「正直に言うと、そういうこと」

 レベッカは大きく息を吐いた。イザベラはレベッカの髪に軽くキスをするとその身体を離した。

「きみはね、言葉が足りないんだよ」
「言葉、が?」
「そう、言葉」

 イザベラはそう言うと、レベッカの左手を握って歩き始めた。

「つきあってよ、ベッキー」
「え、今から? どこに?」
「今だからだよ。とにかく、ついてきて」

 イザベラはレベッカを引っ張り、レベッカもそれに抵抗せずについていく。

「きみはね、我慢強すぎるんだ、ベッキー」
「そんなこと」
「きみがどう思ってるかなんてことは問題じゃないんだよ。きみが我慢強く見えること、それが問題なんだ。あ、言っておくけど、褒めてないよ」

 艦橋ブリッジを出てエレベータに乗りながらイザベラは言った。

「もちろん、わたしはきみの苦しみを理解しているつもりではある。だけどね、他の人に、たとえばそれがレニーやエディタみたいに、すごく賢い子にであっても、理解してもらえるだろうとか思っちゃうのは、言ってしまえばただの驕り、なんだよ」
「驕り……」
「うん」

 イザベラはエレベータの壁に寄りかかって腕を組む。

「想いは言葉にしなくちゃ伝わらないんだ。きみは賢すぎるからもしかしたら理解できないかもしれない。でもね、人間ってさ、言葉を与えられてようやく安心できる、そんな生き物だってわたしは思ってる」

 イザベラはレベッカの俯いた目元を見る。疲労の色濃く滲んだ顔を見て、イザベラは思わず抱きしめてやりたいという衝動にも駆られた。

「わたしたちみたいな、不思議な相互理解能力はこの際置いておくけど、でもね、それでも。わたしはきみの言葉を聞きたい。その愛しい口からね」
「私の……。でも、言葉は中途半端だわ」
「それだよ」

 イザベラは言う。

というものは、想いの一割も形にできやしないものさ。だけど、その一割にも満たないものにこそ、想いの本質がある。だからみんな、一生懸命にを使うんだ」
「言葉は誤解やすれ違いも生むわ」
「であってもさ。言葉による軋轢は悲しいけどある。だけどそれはわたしたちの間にだってあるじゃない? 結局わたしたちが別人、別の意識である以上、齟齬そごはなくならない」
「でも、イズー」
「ベッキー。きみの立場はなんだい?」

 イザベラの瞳が、仮面サレットの奥でギラリと光った。

「きみは艦隊の司令官だ。三万人以上の将兵を従える中将閣下だ。望む望まざるとに関わらず、きみは一国一城の主なんだ。だからこそ、きみは、それが如何いかなる内容であったとしても、三万人全員が理解できるで伝えなくっちゃならないっていう責任がある」

 階数表示を眺めつつ、イザベラは平坦な調子で言った。レベッカは俯いて唇を噛む。

「ともあれさ!」

 イザベラはレベッカの両肩に手を置いた。

「まずは二人の女の子に、きみの言葉を伝えてごらんよ」
「二人の?」
「そうさ」

 イザベラは頷く。

「未来を担う二人だ。あの子たちにきみの言葉が響かないとするなら、わたしは本当に、全ての事象ことにがっかりしてしまうと思うよ」

 イザベラはエレベータを降り、勝手知ったる様子で小さな会議室の手前で立ち止まった。

「いいかい、あの子たちは賢い。賢いけれど、きみはそれに甘えちゃいけない」
「私は、でも、何を話せば……」
「想いだよ、だから。どんな言葉でもいい。どんな内容でもいい。きみの言葉を聞いた結果、あの子たちがどう思うかなんて。そんなことはきみは考えなくっていいんだ。きみは、きみの、想いを。ただそれだけを伝えれば良い」

 ドアを開ける前に、イザベラはレベッカを抱き寄せた。

つたない言葉でいい。綺麗な言葉じゃなくてもいい。体裁とか世間体とか、そんなこと、ほんとうにどうだって良いことなんだ。きみはあの子たちと不器用に、真正面から向き合わなくちゃだめなんだ」
「イズー、でも、私……」
「さぁ、入った入った」

 イザベラはドアを開けて、レベッカを強引に押し込んだ。

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