20-2-3:補う言葉

歌姫は背明の海に

 まったく、きみってやつはさぁ――イザベラも手近な椅子に腰を下ろして足を組み、頬杖をついた。

「ベッキー、きみはどうしてそうやって、相手にもカラがあると思い込むんだい?」

 イザベラが言い終わるのと同時に、再びドアが開いた。そこにいたのはアルマとレネだ。親友たちの思わぬ登場に、マリオンは腰を浮かせる。

「わたしが呼んだんだ。レニーもそのままいてよ」
「了解しました」

 やや緊張した面持ちのレニーが頷く。

「イズー、これは……どういうこと?」
「まぁまぁ。頃合いだと思ってさ」

 イザベラはレネとアルマに座るように促すと、ゆっくりと足を組み替えた。

「ベッキーがマリーに何を言ったのかは、実はわたしは全部把握している。セイレネスで聞こえていたからね」
「え?」

 レベッカは息を飲む。そんなことができるのはマリアくらいだったはずだ。

「わたしにも訳が分からないけど、でもま、セイレネスだし? 何があってもおかしいことはないさ」

 そして机を挟んだ向かい側、ちょうどマリオンの真正面に座っているアルマの方に顔を向けた。

「そこのは、マリーの帰還をずっと待ち侘びてた。だろ?」
「は、はい」

 硬い声で肯定すること、アルマ。青と黒のメッシュを入れられた前髪が大きく揺れた。

「さて、ベッキーの言葉足らずっぷりを補完するのが、喫緊きっきんのわたしの仕事だね」

 仮面サレットのこめかみのあたりをコツコツと叩きながら、イザベラは言う。そしてマリオン、アルマ、そしてレニーを順に見回した。

「これはきみたちには大切な話になるかもしれない。だから、眠たいのを我慢して聞いてほしい」

 イザベラはゆっくりと立ち上がった。その長身が全員を睥睨する。

「わたしも、ヴェーラ・グリエールも、結局なにひとつ変えることはできなかった」

 その言葉を受け、レベッカが露骨に肩を強張らせた。

「ヴェーラは文字通りに死ぬほどに絶望した。自分の願いが何一つ叶えられないという現実にね。そして、自分の力が世界を変えるために使われているという現実にね」

 望まない力。誰かを殺せる力。それは呪いだ。殺した人の呪詛を一身に受ける呪いだ。歌声で沈めた船乗りたちの魂を、一生背負い続ける業なのだ――望む望まぬに関わらず。

「ヴェーラはあれだけの力を持ちながら、初めて愛した人ひとりすら救えなかった。何十万人を一夜で焼き殺せる力を持ちながら、そのたった一人を救うこともできなかった」

 もちろん、この場の全員がその背景にある事件を知っていた。アーシュオンの超エースとヴェーラの悲恋については――その詳細はともかく――今や多くの人々が知るところとなっていた。

「それにね、マリー。わたしたちにはこの愚劣な戦争状態をどうこうできる力なんてものはないんだよ。セイレネスは万能魔法じゃない。空母を一撃で沈める力を持っていたって、弾道ミサイルでの狙撃を成功させる技術があったって、そんなものはただの外交カードの一枚でしかないんだ。わたしたちの歌は、ね」

 イザベラのその低い女声アルトが、狭い会議室を満たしていく。

「わたしたちの歌はね、勝鬨かちどきの前座でしかないんだ。何を訴えようが、歌おうが、語ろうが、わたしたちは国家やメディアにとってみれば、にすぎないんだ。安寧パン娯楽サーカスを無条件に提供してくれる、ただそれだけの兵器でしかないのさ」
「イズー……」

 レベッカは何かを言おうとしたが、イザベラは右手を上げてそれを止めた。

「ヴェーラ・グリエールもね、怒り、悲しみ、絶望した。殺戮の手段でしかない自分に対してだ。
良かれと思って戦えば戦うほどに、戦線は拡大する。あまつさえ、その守るた目の力は反攻カウンターの能力と見された。殺さなければならない敵は、雪だるま式に増えていく。わたしたちは何百回も歌ってきたけれど、たたえられるのは、求められるのは、ただひとつ。勝利の歌だ」

 イザベラは一つ息を吐いた。

「一人の女の、人間の、想い。誰もそれを理解しようとせず、それどころか耳さえ塞いだ。わたしたちの歌はね、結局はセイレネスのためのコマンドラインとしてしか認知されなかったんだ」
「そして――」

 レベッカが後を継ぐ。

「セイレネスの発する特殊な音波は、とりわけに放たれるそれは、人々に大きな影響を与えます。大半は快楽物質の分泌過剰状態に。私たちの戦闘時に放たれる音もまたその効果を持ちますが、の威力はそれとは比べ物にならない――いわばオーガズムすら与えるものなのです」

 無表情に語るレベッカの頬は、しかし、少し震えている。イザベラは立ち上がると、レベッカの両肩に手を置いた。

「気付きもするよね、そりゃ。ね、マリー?」
「人々が私たちに求めているのは……断末魔ということですか」

 マリオンの抑揚のない反応を受けて、イザベラは小さく笑った。

「そう。人々が私たちに求めているのは、なんだ。世界が求めている。わたしたちの最期の慟哭をね。呪詛の叫びをね」

 そして今度はマリオンの右肩を軽く叩く。

「あの頃から、ヴェーラにはわかっていたんだ。そしていろんな要素がないまぜになって、結果、ヴェーラの心は壊れてしまった。セルフィッシュ・スタンドを遺作としてね。でも」

 イザベラはマリオンの肩に手を置いたまま、レネとアルマを見った。

「でもね、軍は変わらなかった。ヴェーラの命でさえその程度だったってこと。どころか、歌姫セイレーンの素養のある子たちをごっそり集めてきては、きみたちみたいな立派な兵器に育て上げてしまった。セイレネスを使った戦闘はより大規模になり、必然……死ぬ子も多く出るようになった。その責任はわたしたちにある――当然、そのそしりは受けるよ。でも、わたしたちが永遠に最前線にあり続けることはできない以上、仕方のない過程プロセスだとわたしは信じている」

 イザベラはそう言って回れ右をして自席に戻った。

「でもね」

 座りながら、イザベラは言う。

「それもこれも含めて、全部計画通り――国策だったんだ。アーシュオンとは永遠に戦争を続ける。ヤーグベルテとアーシュオンは、戦力拮抗状態のまま永遠に血を流し続ける。セイレネスを使い続けてさえいれば、政府は戦争と同時に娯楽を国民に供与し続ける事ができるし、国民はこの何十年と続いている戦争状態に慣れ切ってしまっている。隣町が消し飛んだとしても、そんなものは彼らの多くにとっては他人事ひとごとでしかない。わたしたちは最強の矛にして、最強の盾なんだ。国民を守り、安寧パン娯楽サーカスを与え、そして最後に断末魔大きなプレゼントのこして去る――実に都合の良いものなんだよ、

 イザベラは仮面サレットの奥から、アルマとマリオンを凝視していた。二人はその視線には気付いていないようだったが、指先すら動かさなかった。

「わたしは、イザベラ・ネーミアという歌姫セイレーンはね、死に損ないなんだ。わたしはかつてヴェーラとして、己にまつわる全てを燃やし尽くしたはずだった」

 マリオンが息を飲んだのがわかった。

 イザベラは続ける。

「でもね、世界への憎しみは、今もわたしの内側にくすぶっている。わたしはこの顔面の一部以外、肉体の全てを人工物に置き換えた。この手も、首も、足も、唇も、何もかもが代替だいたい品だ。口の周り以外は全てオリジナルだけど、それらは全てんだ。毎晩毎晩、この焼けただれた顔を見て懺悔するのさ」
「懺悔、ですか……?」

 おずおずとマリオンが口を開いた。イザベラはゆっくりと頷き、腕を組んだ。

「そうだよ、マリー。懺悔するんだ。世界をこんなふうにしてごめんなさい。わたしだけ逃げようとしてごめんなさい。を救えなくてごめんなさい。そうやって、この顔を供物にしているのさ」

 それをだと言うのか――マリオンは唇を噛む。

 そしてハッとしたようにアルマを見た。アルマはマリオンを見つめ、頷いた。

 マリオンは悟る。今、自分の思考は完全にアルマと同調していたのだと。

「マリー、アルマ、レニー。きみたちの世代に負債を遺すことになるわたしたちをゆるしてほしい」

 イザベラはそう言うと、レベッカのところへ歩み寄って立ち上がらせた。レベッカは力なく立ち上がると、イザベラの胸に倒れ込む。イザベラは落ち着いてレベッカを受け止めると、その灰色の髪を軽く撫でた。

「わたしたちの罪は、このわたしが背負う。きみたちの背負う呪詛も、苦悩も、わたしが全て受け入れる」
「ちょっと待って、イズー。そこは、わたしたちが、でしょ」

 その言葉を受けて、イザベラは二秒ばかり口を閉じた。そしてまたレベッカの髪を撫でて、頷いた。

「そうだね、ベッキー。わたしたちが、だ」

 その声はいつもにも増して、低かった。

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