イザベラが人間弾頭を処理した戦いから三日後、十一月も中旬に差し掛かり冬の前触れのような寒風がヤーグベルテ統合首都に吹いていた。そんな中、カティは新型機エキドナを受領するために、統合首都空軍本部へとやってきた。
指定された会議室に入ると、そこにはマリアがいた。
「マリア?」
「お久しぶりです」
マリアは微笑み、椅子を勧める。
「新型機をリビュエまで移送する手段がなくて。申し訳ありません」
「それはいいんだけどさ。こっちに帰って来る理由ができて嬉しいくらいさ」
「レベッカ姉様もお会いできるのを心待ちにしていますよ」
「うん」
カティはマリアの隣のデスクチェアに腰を下ろすと、用意されていたタブレット端末に触れた。横からマリアがいくつかの操作をすると、一機の戦闘機のフォルムが空中に投影された。
「これが新型か。数値的にはだいぶ大きく見えるが」
「はい、エキドナは大型機です。スキュラのデータをフィードバックして建造された完全上位互換機です」
「へぇ」
カティは画面上の情報を次々と頭に叩き込んでいく。
「このエキドナは、あのパウエル中佐にですら扱えません。空の女帝専用機です」
「そりゃまた剛毅な話だ。アタシ専用機に何億UCも?」
「あなたにはそれだけの実績がありますし。というのは実は建前で。これ、本当のところは試作機なんですよ」
「だろうね」
カティは苦笑する。
「アタシにしか動かせない機体なら結合テストもできないはずだ。オルペウスは?」
「もちろん実装されています。精度は従来型のものよりも上です。ブルクハルト中佐が調整に調整を重ねたものですから」
「なるほど、中佐か。それは信頼できる」
カティはあの飄々とした技術将校を思い浮かべる。しばらく会っていないが、彼はそんなことを気にすることもなく、ひたすらに自分の趣味のような仕事に没頭していることだろう。
「あと、この機体にはセイレネスも搭載されています」
「セイ……って、え?」
「セイレネスです」
念を押すようにマリアは言った。カティは剣呑な目をマリアに向けた。
「もちろん、戦艦とは比較にならない、ごくごく低出力のものなのですが、まぎれもなくセイレネスです。機体そのものがコア連結室となっています」
「ちょっと待てよマリア。C級級のものでも艦船にやっと乗る程度のものだろ? まして戦闘機になんて」
「イリアス計画の一端ですよ、カティ」
「セイレネス関連技術の小型化計画、だっけ? たしかマリオンやアルマの駆逐艦もその計画で作られたんだっけ?」
「よくご存知ですね」
マリアは鷹揚に頷いた。
「二人の制海掃討駆逐艦、アキレウスとパトロクロスは、ディーヴァ専用にチューニングされた、いわば小型のセイレーンEM-AZです」
「そう……ん? ディーヴァ?」
「イエス、ディーヴァ。二人は表向きS級ですが、実態はD級です」
マリアの暗黒の瞳がカティを見据える。カティは難しい表情を見せる。
「確かにマリオンの戦績から判断するに、ヴェーラレベルと言われれば納得ではある。しかしなぜ、参謀本部はS級を名乗らせているんだ?」
「政治の都合ですね」
マリアは遠くを見るような目をしつつ嘆息する。カティは肩を竦め「ならいいや」と首を振る。
「その辺の話はアタシにはわからないから置いておくとして。セイレネスのシステムが小型化できるようになったってのはいいよ。イリアス計画とかそういうのも仔細は扠置く。でも、なんで? なんでアタシの機体にセイレネスなんて積んでるんだ?」
「航空機への搭載という要件もイリアス計画にありますから」
「そうじゃなくてさ」
カティは炎のような赤毛をかき回した。
「アタシは歌姫じゃないぞ?」
「どなたがそう告げました?」
「は?」
カティは首を大きく傾げる。
「そりゃ、アタシが歌姫ではない、なんて誰も言ってないけど」
「それなんですが、興味深いレポートがブルクハルト中佐から出ていまして」
「ほう?」
カティは再びエキドナの三次元モデルを見た。大型の可変翼機で、機種や翼の付け根に大型の砲がついているように見える。武装情報はこのモデルでは見ることはできないが、固定武装が豊富なのは間違いなさそうだった。
「ブルクハルト中佐いわく、ヤーグベルテ系の女性の多くには、能力の多少こそありさえすれども、歌姫の素養がある可能性がある、とのこと」
「確かにアタシは知る限り生粋のヤーグベルテ人だが、そんなことがあるのか?」
「ある遺伝子情報が歌姫発現の契機となるようです」
「それがヤーグベルテ系の中にあると」
「肯定です」
マリアは頷く。そして空中投影ディスプレイを切ると、端末にブルクハルトのレポートを表示させてカティに手渡した。
「この歌姫発現の一連のシーケンスについて、レメゲトン現象と命名することにした?」
「はい、レメゲトン現象です。原典をたどれば、レメゲトンというのは悪魔を呼び出すための手順書のようなものです」
「悪趣味だなぁ」
カティは端末を目の前に置くと腕を組んだ。
「それでアレか。アタシにセイレネスを使わせてみたらどうかっていう話になったと」
「あなたは世界一の飛行士です。遺伝子についても適合していますし、スキュラでの戦闘データも文句のつけようがありません。エキドナ搭載モジュールの試験を行っていただく上で、あなたほどの適任者はおりません」
「なるほどね」
カティは顎を摘んで息を吐いた。
「マリアが良いと判断したっていうなら良いよ、従おう。ただ、セイレネス、空戦の邪魔はしないんだろうな?」
「慣熟訓練は必要です。基本的には以前より反応が鋭くなります。ですが、あなたなら問題ないでしょう」
「それは必要経費だ」
カティは頷いた。そこでマリアが立ち上がる。
「移送は明日ですが、さっそく見に行きますか」
「そうしよう。で、セイレネスってどうやって使うんだ?」
カティの問いに、マリアはタブレット端末を操作してから、それをカティに手渡す。カティは一瞬立ち止まってそれにざっくりと目を通す。
「自律的に起動と停止をして戦闘のサポートを行う? ずいぶん都合が良いシステムだな」
「そんなものです。エキドナのセイレネスはあくまでオルペウスの付属物なので。なので純粋に機体性能を向上させるシステムのようなものだと思っていただいて構わないです」
「チートっぽいな」
「必要な性能です、これからは」
「ん?」
「ともかく」
マリアは小さく咳払いをして端末を受け取った。そして再び歩き始める。
「でもこれで、エキドナはセイレネスへの攻撃能力を得ます」
「セイレネスへの攻撃能力?」
「はい。ナイアーラトテップやISMTと互角に戦える力です。ブルクハルト中佐曰く、ですが」
「中佐が言うなら間違いないだろう」
彼は一度もアタシたちの期待を裏切ったことがない。カティは士官学校時代から、ブルクハルトには絶大な信頼を置いていた――ヴェーラやレベッカがそうであったから、なのだが。
「あのISMTとやりあえる手段ができたのは純粋に嬉しいな。今まではほとんど一方的にやられていたから」
「はい。エキドナ級が量産化できれば、集団戦で戦えるようにもなります」
「それでか」
カティは手を打った。
「最近、うちに配属される飛行士の女性比率が上がっていたのは、もしや?」
「ご明察です」
実際、カティが率いるエンプレス隊十二名のうち、カティを含めて八名が女性だ。エウロス全体でも生物学的女性の比率は上昇しており、今や半数を超えていた。
格納庫に入ってから幾らか歩いたところに、その巨大な赤い戦闘機は鎮座していた。
「これは……大きい」
まるで「待っていたぞ」と言わんばかりの荘厳な佇まいに、カティは圧倒される。隣で整備されているF108と比較して、全長・全幅ともに五割増の巨大さだ。機体各所には目視できるだけでも十数か所の姿勢制御噴射器があり、左右の翼上部にあるのは五十七ミリ級の速射砲だろうとカティは見抜いた。何より目を引くのは、機首から槍のように突き出した長砲身だ。砲口径は決して大きくはない。
「これは? PPCか? 電磁誘導砲か?」
「いえ、大出力パルスレーザー砲です。試作品ですよ」
「レーザー!? このご時世に!?」
カティが驚くのも無理はない。レーザー兵器はとっくに実用化されており、実際二十年前までは弾道ミサイル迎撃の手段、あるいは防空戦では使われていた。だが、その消費電力と使用可能時間の短さ、そして何よりその膨大なメンテナンスコストを考慮した結果、現在はレーザーによる打撃兵器は産業廃棄物とすら呼ばれていた。
「技術部がどうしても搭載したいと押し切ったんです。消費電力に関しては論理演算方程式の技術が確立することで解決できると。また砲身は出撃のたびに交換できるようにしてあります。リサイクルも可能のようです」
「環境に優しいパルスレーザーってわけか。その論理演算方程式ってのは、なんかで読んだな。電力の数式転送だっけ?」
「簡単に言えば、発生させたエネルギーを方程式に変換して、それを遠隔地で観測、復号することでそのエネルギーを手に入れる仕組み、ですね」
「機体の発電装備は最小限でいいってわけだ。蓄電器さえあればいいのか」
カティはそう言いながらエキドナを一周する。
「でも、そんなにうまくいくかねぇ」
「正直に言いますと、私も現状では懐疑的です」
マリアは肩を竦めた。機体の翼の上に上がって、カティはマリアを見下ろした。
「ブルクハルト中佐はなんて?」
「論理演算方程式の技術次第とのこと。とはいえ、パルスレーザーなしでもスキュラよりは圧倒的に性能は高い、とのことです」
「そっか」
そもそも、固定装備になってしまっていることだし。今さら何を言っても無駄か。
カティは首を振って、今度はコックピットを覗く。
「明日の昼、こいつに乗ってリビュエに帰ると。マリア、シミュレータは?」
「用意してあります。さっそく行きますか?」
「うん。離着陸だけ練習したら、ベッキーに会いに行きたい」
機体から飛び降りてから、カティはまたそのエキドナの真紅の威容を見上げた。ため息が出るほどに美しいフォルムだった。