翌日正午過ぎ、カティはさっそくエキドナに搭乗していた。移送と慣熟飛行を兼ねた無茶なプランだったが、カティには特に不満はなかった。それよりも一刻も早くこの新型機に触りたいという思いが強かったからだ。
「確かにスキュラの上位互換だな」
カティは呟きながら計器類をチェックする。飛び立ってから早ニ時間、間もなく母艦リビュエの防空圏内に入る。
スキュラとの大きな違いと言えば、操縦装置だ。従来の操縦桿が副次的装置になっていて、基本的には右手のトラックボールで三次元的に機体を操ることになっている。
最初の数分間は操縦桿を使っていたのだが、一度トラックボールに触れるとそっちの方が直感的で簡単だと理解できた。機体の追従性能もほんの僅かに操縦桿よりも上であるように感じられた。
左手側に投影されている仮想キーボードも実に優れもので、多少指の位置がずれてしまったとしても、システムが自動的に補正する。脳波や手の位置情報、機体の姿勢や加速度などを総合的に計算して、キーの位置そのものを動的に変える――ということが仕様書に書かれていた。
その他のペダルや膨大な数のシステムスイッチについては覚えるまでも無かった。ほとんど全てがスキュラのものと同じだったからだ。また、その全てのUIは直感的に理解できる。もしかするとこのエキドナは、新兵にでもある程度乗りこなせるのではないかとさえ思えた。
「あとはセイレネス、か」
唯一の不安材料が、それだ。ここまでのニ時間では特に異変は起きておらず、システムログにもセイレネス関係は何も記録されていない。セイレネスを起動するようなスイッチの類も見つけられないでいる。
そして確認できる全てのシステムが、セイレネス発動を前提としたようなコードになっていた。理論値で言えばスキュラを大幅に上回る性能だったが、セイレネスがない状態で考えると、その戦闘力はせいぜいがスキュラと同等くらいかもしれなかった。
『メラルティン大佐、リビュエの防空圏内に入ります。自分たちはこれで』
四機の護衛機のうちの一機がエキドナの隣に並ぶ。
「護衛、助かった」
背後に黄昏の気配を感じながら、カティは右手を上げる。護衛機側も手を上げたのが確認できた。
『お気をつけて』
「あぁ」
護衛機たちが夕日を反射させながら、鮮やかに機首を反転させる。
「リビュエ、こちらは見えているな?」
『こちらリビュエ、予定通りです。そのまま着艦体勢に――ってちょっと待ってください』
「どうした」
『参謀部第三課より至急電。第九哨戒艦隊がべオリアスのニ個艦隊と遭遇戦に突入したとのこと。大至急造園を派遣すべしとのこと』
「第三課か」
アダムスの野郎の顔が脳裏に浮かび、カティは思わず渋面になった。だがカティは首を振る。今は個人的な感情は捨てて動くべきだ。
『超兵器に関してはナイトゴーントが十二機確認されています』
「なるほど。ジギタリス隊の出撃準備は」
『こちらマクラレン。五分で出られます』
ジギタリス1、マクラレン中佐が落ち着いた声で割り込んでくる。
「さすが。ジギタリス隊は第一部隊全機」
『心得ております、大佐』
「言うことがないな」
カティは一瞬空に視線を送り、「よし」と手を打ち合わせた。
「アタシもこのまま出る」
『えっ、大佐は慣熟飛行中じゃないですか』
艦橋の通信班長が驚いた口調で指摘した。
「誰に言っているんだ。もうこの機体には慣れた。十分いける」
『またアダムスの野郎にネチネチ言われますよ』
「知ったことか」
どうせ面倒なところはマリアがなんとかしてくれる。
『そういう向こう見ずな所にヒヤヒヤするんですけどね、我々。まぁ、知りませんよ、何言われても』
「そういうところが好きなんだろ?」
『ええ。好きですよ、大佐』
通信班長の軽口の応対に、カティは笑う。
『今、戦闘海域情報をお送りしました。一時間ちょっとで到着できます。本土からも増援が出ています』
「ナイトゴーントが十二もいるなら首都防空隊では歯が立たないだろう。到着前にナイトゴーントだけでも撃滅する必要がある。リビュエは対潜警戒を最大に。アタシの留守は引き続きパウエル中佐に任せる」
『承知致しました』
薄暗くなってきた空を駆け上がる。薄い雲を突き破る。燦然たる夜空。この地域の星座には詳しくはないが、たとえそれらの名前がわからなくても、美しいものは美しかった。
秒速七百メートルで飛び続け、まもなく一時間になろうかという頃だった。
「ん?」
音が聞こえてきた。いや、音というよりは歌に近い。スキャットのような、何か心地よい音の集合体だ。どこから聞こえているのか。そもそも耳で聞いているのかすら疑問だ。頭の中に直接流れ込んできているようにも感じる。
「なんだこれ……?」
『セイレネスが発動したんです』
カティの呟きに被せるように、聞き慣れた声が脳内に響いた。錯覚とかそういう次元のものではなかった。それはあまりにも明瞭だった。
「マリア? マリアが話しかけているのか?」
『やはり、聞こえるのですね、カティ』
「聞こえるも何も。ていうか、どういう仕組みの通信なんだ、これ」
『これがセイレネスを通した通信です』
マリアの答えに、カティはますます混乱する。
「テ、テレパシーみたいなものか?」
『テレ……。ええ、そうですね。そんなところです』
「マリア、今、めんどくさくなっただろ」
なぜかその感情が、カティにはダイレクトに伝わってきていた。それは「気のせい」では片付けられない、確信だった。
『そうです。セイレネスでは嘘はつけません。言葉でも、感情でも』
「……そうなのか」
『ええ』
ところで――カティは声に出さずに頭の中だけで語りかける。なぜ今、セイレネスが発動したのか、と。
『やる気の問題です』
声には出さなくても、あっさりと通じた。だが、その答えに対し、カティは「えっ?」という素っ頓狂な声を上げた。てっきり科学的かつ論理的な回答が得られるかと思っていたのに、まさか「やる気」の一言で片付けられようとは。
『疑われるのも仕方ないのですが、ともかくも、とりもなおさず、セイレネスの発動は、やる気の問題なんです』
は、はぁ……?
カティはからかわれているのではないのかと訝しむ。マリアの小さな笑い声が聞こえる。
『具体的なところまでお話しすると恐らく半日仕事になりますが。戦闘しながら聞きますか?』
「遠慮しとく」
カティは首を振った。
「要するに、アタシが戦闘モードになった時に発動して、なんやかんややらかしてくれるってことでいいか?」
『それでオーケーです。足を引っ張ることはありませんからご安心ください』
「試作機に乗せておいてよく言う――」
その時、カティの中の音が膨れ上がった。あまりの音圧に、一瞬意識が眩んだほどだ。その一瞬の間に、カティは戦闘海域の様子を知った。見えたのだ。逃げ惑うヤーグベルテの小艦隊を、べオリアスの大艦隊が追いかけている。
「いまのは?」
『セイレネスの能力です。まだまだ不安定ですが……それでもすごい数値』
「微妙な気分だが、超感覚みたいなものか?」
『そうとも言えます。セイレネスは感覚を大きく拡張することができます』
マリアの言葉を聞いている最中に、十二機の戦闘機が接近してきているのを見た。レーダーには何も映っていなかったが、そこにはやはり確信があった。自然と指がミサイルの発射ボタンに伸びる。無意識のうちに安全装置を解除する。カティはそんな自分の動きを、恐ろしく客観的な目で観察していた。
撃つのにはまだ早いぞ。
カティはそう思ったが、その時には多弾頭ミサイルがニ発、発射されてしまっていた。ロックオンも何もされていないそれらは、はっきり言って無駄弾だ。
多弾頭ミサイルが猛烈なスピードで空を裂き、それぞれ一ダースの小弾頭を分離させる。それらは蜘蛛の巣のように空中に拡がり、そして消えていった。
「な、なんだなんだ?」
カティは一人狼狽える。何と間抜けなミサイル発射だっただろう。圧倒的射程外から撃ち放ち、少なくない血税を無駄にした。後悔というよりも呆然である。
『カティ、意識を集中してください。あなたの放ったミサイルは、まだ生きています』
「そう言われても!」
言い返そうとしたその瞬間、カティの意識の中にまた敵の戦闘機の姿が映った。機体側面の部隊マークすら見えるほど、鮮明な映像だった。だが無論、そんな都合の良い位置にカメラなどあるはずもない。
その敵戦闘機の上に、ぼんやりと赤い照準円が表れた。恐ろしくシュールな眺めだったが、それが何らかの予兆、あるいは準備行動の結果であることくらいは、カティにも推測できた。
『観測するんです、未来を……!』
「はぁっ!?」
何を言われているんだ、アタシ!
カティは混乱を止められない。
『撃墜したという未来を観測するんです、カティ』
「んな無茶な!」
想像力には自信があるが――。
その時、カティの意識の中で、ぼんやりとしていた赤い照準円が急速に鮮明化した。十二機の美しい編隊飛行に向かって、上下左右から無数の光の矢が殺到した。カティの物理的な視界でも、遠くの空がほんの一瞬だけ光ったかのように見えた。
「嘘、だろ」
セイレネスによる意識の視界では、それらの機体が残さず爆発四散したのが見えていた。
「どういう現象なんだ、これ」
『これがセイレネスです』
マリアの端的な断定に、カティは冷や汗を覚えた。