22-1-3:救い無き、狂哭

歌姫は背明の海に

 この、一方的な力が、セイレネス!?

 カティの一撃で空域が焼け焦げた。それを目にした瞬間に、カティは寒気を覚えた。その空域には薄緑色オーロラグリーンのセイレネスの残滓ざんしがあった。

 粉砕された戦闘機の残骸が、ゆっくりと海に引かれていく。物理法則を無視したその動きは、まるでその空域が粘度の高い液体に満たされているかのようにすら思えた。

 その間にも、カティの内にあるは音圧を上げ、BPMテンポを上げていく。の群れにき立てられるかのようにエキドナのオーグメンタを最大出力にまで高め、ジギタリス隊との合流を二の次にして戦闘空域の中心部へと飛ぶ。それはまるで無意識的、いや、自動的だった。

 その時、カティの中に突如が流れ込んできた。

 が何なのか理解するより先に、吐き気が起こる。

 なんなんだよ、これは!

 それは撃墜した敵機の飛行士たちの断末魔だった。

 そうと理解できた瞬間に、カティの中に何百枚もの静止画が流れ込んできた。見知らぬ男、あるいは女の日常の風景。家族や恋人と思われる人との時間。子どももいた。喜怒哀楽――恐らく彼ら彼女らが強く記憶していた物事がそこにあった。

 その静止画は、その記憶は、撃墜したべオリアスの兵士たちのものである――カティは直感的にそう理解した。というより、セイレネスがそう教えてくれたようにも思った。

「ええい、くそっ」 

 セイレネスって、なのか!?

 カティは歯ぎしりした。ヴェーラは、ベッキーは、そして他の歌姫セイレーンたちも。こんなものを体験し続けているっていうのか!?

 カティの視界がゆがむ。泣いているのだとわかった時には、既に敵の艦隊の先鋒が視界の奥にぽつんと見えていた。

「マリア、セイレネスを切れ!」
『できません』
「ちくしょうめっ! こんなモノなくたって、アタシは!」

 ナイトゴーントたちがカティに向かって飛来してくる。だが、カティはまるで反射的にそれらを全て撃墜した。機首パルスレーザー砲の威力は圧倒的だった。

 ナイトゴーントとはいえ、光速で飛来するエネルギーの群れに対処する時間はない。エキドナのセイレネスは、ナイトゴーントの対セイレネスシステムオルペウスを容易に打ち破り、文字通り蜂の巣にして叩き落とした。

 ナイトゴーントを撃墜した時には、さっきのような不快感はなかった。そのことにホッとするカティだったが、即座に界面から何かを感じて意識を引き戻す。

「なんだ?」 

 誰かが見ていたような気がする。それも執念深い、沼のような瞳で、だ。

『ジギタリス隊、現着しました』
「あ、ああ。制空権は奪い返しておいた」
『お、お一人でですか』

 ジギタリス1こと、マクラレン中佐が珍しく驚いた声を発する。カティはそれには答えず、機体を一度雲上に避退させた。暴風のような対空砲火が上がり始めたからだ。数隻の対空巡洋艦がカティだけを狙ってありとあらゆる火器を投じてきた。

 しかしカティが恐れたのはその数ではなく、精度だ。通常とは比べ物にならないほどの正確さでカティを狙ってくる。これが以前の乗機スキュラであったのなら、何度かは撃墜されていただろう。

『カティ、大丈夫ですか』

 マリアの張り詰めた声が意識に届く。カティは「問題ない」と冷静に応じる。その間にもSAM対空ミサイルからPPC粒子ビーム砲の類までがエキドナに向かって打ち上げられてきていたが、カティは最小限の動きで回避した。この頃にはもはやカティはエキドナの操縦を完全に把握していた。

 電磁投射砲レールキャノンの砲口の移動を視認するなり機体を反転させ、ひるがえって五十七ミリ速射砲を撃ち込んで沈黙させる。カティにとって唯一の脅威がこの電磁投射砲レールキャノンであったと言っても良かったからだ。

『輪形陣中央の駆逐艦をマークしました。それを最優先で撃破してください』
「うん?」
『カティ以外の当該艦との交戦を禁じます』
「危険なのか?」
『はい』

 明快な断定に、カティは即座にジギタリス隊を戦闘空域の外に移動させる。そして単機で艦隊に突っ込んでいく。

 輪形陣の中央に駆逐艦?

 カティは今更ながらに疑問を持つ。通常、輪形陣の中央にいるのは旗艦――およそにして航空母艦――だ。だが、今は中央にいるのは駆逐艦とその直衛と思われる巡洋艦が二隻。

 カティは海面スレスレまで高度を下げると、敵の艦船を盾にして射線を切った。そして一方的に五十七ミリ速射砲、三十ミリ機関砲を撃ち込んで、次々と沈黙させていく。

「威力がありすぎる」

 撃ったカティ自身がそう呟いてしまうほど、あらゆる攻撃の威力が想定値よりも――それも段違いに――高かった。それもこれもセイレネスの力が乗っているからなのだとカティは理解した。

 このエキドナ一機で艦隊を潰滅させてしまえるのではないか?

 カティはそうとさえ思った。それほどまでにこの機体は強力だった。

 その時だ。カティの意識の中に何か黒いものがいっぱいに広がった。

「っ!?」

 それがふわりと波打った時、カティはそれが少女の黒い髪だったことを知った。赤い目をした黒髪の少女――明らかにありえない光景だったが、少女はエキドナのすぐ前に浮かんでいた。

「なんだ!?」
『その子がその駆逐艦の歌姫セイレーンです。アーシュオンでは素質者ショゴスとよばれているようですが』

 視界がクリアになる。前方三千メートルの位置に目標の駆逐艦が浮かんでいる。行く手を阻むものは巡洋艦が二隻。

 分厚い弾幕を前に、カティは一旦上に逃げた。二十ミリガトリングの砲口が吐き出す無数の弾丸が次々とエキドナをかすめ、そのたびに搭乗しているカティの全身に大きな振動を伝えた。

「防空巡洋艦か」

 相変わらず正確無比に放たれてくる攻撃を前に、カティはうんざりした声を出す。

『カティ、弾幕に突っ込んで』
「死ねっていうのか!」
『いえ、その機体ならいけます。相手がセイレネスを使って攻撃してきている以上、あなたとその機体なら!』
「ぶつけ本番かよ」
『セイレネスは防御力も上げます。相手に撃ち負けることはありません』

 その時、カティの視界の端に薄緑色オーロラグリーンの輝きが映り込んだ。直撃を中和したのだ。

「なるほどね」

 カティは機体をひらめかせ、対空砲火の只中に突っ込んだ。

 護衛の巡洋艦の一隻に五十七ミリ速射砲を艦橋ブリッジに叩き込む。これで少なくとも今は行動不能だ。一撃大破だ。

 もう一隻はその喫水線ギリギリの位置にパルスレーザーを撃ち込んだ。もはや自由旋回すらままなるまい。主砲は潰せていないが、ダメコンでそれどころではないだろう。

 カティはその高度を維持したまま、ターゲットの駆逐艦にパルスレーザーを出力全開で撃ち込んだ。が、駆逐艦から放たれた光の輪で相殺そうさいされてしまう。

 セイレネスを持つ者同士が戦う以上、通常の応酬ではらちが明かない。ナイトゴーントの対セイレネスシステムオルペウスなど、この駆逐艦に比べれば雑魚にも等しい――カティはそう悟る。

 距離は八百。激突コース。

 カティは機体を真横に滑らせる。駆逐艦の対空砲弾がエキドナを掠め、揺らす。

 対艦ミサイルは残りニ発。これでく他にない。そう思った時にはエキドナはミサイルを放っていた。それは一瞬で駆逐艦に叩きつけられる。

 その寸前で、時間が止まった。

 カティは空中に浮き、黒髪の少女は海面に立っていた。少女の前にミサイルがニ発。少女はゆっくりと右手を上げる。ミサイルがぜる。カティは舌打ちする。

 破片と化したミサイルを見たその途端、カティの視界が赤熱する。

 戻れ!

 カティの中で誰かが叫んだ。

 飛び散った破片、拡がり霧消しかけたそのエネルギーが、再び統合・凝縮されていく。まるで逆回しのように。黒髪の少女は無表情にカティを見た。粘る赤い視線がカティにまとわりつく。

『ようこそ、カティ・メラルティン』

 少女ははっきりとそう言った。

『ようこそ、へ』

 その途端、カティが再構築したエネルギーが少女に直撃した。少女は文字通り粉微塵になって赤い染みを残して吹き飛んだ。

 が響く。脳の中から足の爪の先まで、全てにその絶叫がみ込み、かき回していく。そこにあるのは激痛だ。全身の神経に直接針を突き立てられているかのような、そんな激痛だった。

 しかしエキドナは正確に操られ、燃え上がる駆逐艦を避けて低空で飛んでいた。カティがそうしているのか、エキドナが勝手に動いているのか、カティにはわからなかった。

「いまのはなんだ、マリア」
『いまのがセイレネス越しに聞くです、カティ。姉様やエディタたちは、常にこの断末魔にさらされながら戦っています』
「くっそ、とんでもないな」

 カティはエキドナのステータスを確認する――異状なし。

「こんなモノをありがたがる連中がいるなんて、信じられないぞ」
『断末魔特集、ですね』
「そうだ」 

 カティは眼下の艦隊が遁走とんそうの体勢に入ったのを見て、高度を一気に上げた。これ以上この空域にとどまる理由もない。味方艦隊も離脱に成功している。第三課からも文句を言われる筋合いはないだろう。

「断末魔には麻薬的な何かがどうのって書かれていた気がするんだが、今アタシが味わったのはそんなものじゃなかった。激痛や恐怖、そんな感じのものだったぞ」
『それはセイレネス経由で聞いたからです。もっとも、あなたはセイレネスを通さず聞いた音源でも影響は受けない可能性はあります』
「体質の話か?」
『簡単に言えば』

 マリアは強張った声で肯定する。

『断末魔には確かに脳に作用する要素が含まれています。影響には個人差がありますが』
「それで常習性があると。あんなものを摂取したがるなんて」
『命を引き換えにしたものであろうと、中毒になれば気になんてしませんよ。現実に、需要があるのは事実ですし、軍も政府も事実上アレの流通は容認していますしね』
「クソッタレだな」
『ええ』

 マリアは短く肯定する。カティは舌打ちする。

歌姫セイレーンの死の瞬間の恐怖や記憶がセイレネスによって増幅される。人々はそれを受け取る。そこには確かな需要がある……」
『……そう、ですね』
「あんなモノをありがたがる連中に、さっきアタシが受けたダメージを分けてやりたいよ。しかし、それにしても」

 歌姫セイレーンが戦い、死ななければ、の供給が途絶えてしまう。敵であれ、味方であれ。

 つまり――。

『そういう、ことです』
「そういう、ことか」

 カティは奥歯を噛み締めた。

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