レネ・グリーグが操る戦艦ヒュペルノルと合流した第一艦隊は、アーシュオンの三個艦隊と正対していた。イザベラはセイレネスで索敵を行って、眉根を寄せた。
「空母がいない?」
いつもなら輪形陣の中央に旗艦である航空母艦がいる。
「いや、あれか」
旗艦と思しき航空母艦たちは遥か三百キロも後方にいた。通常の航空打撃戦力はセイレネスの前にはほぼ無力だ。最初からイザベラたちとの決戦を考えていたのだとすれば、この布陣は取り得る最適解と言えた。もっとも――。
「通常艦隊だけで、わたしとやり合おうなどとは……なかなか考えられないが」
となると、奴らは何かカードを有している?
『姉様』
「どうした、マリア。これから忙しくなる」
『敵の新型駆逐艦を確認できますか?』
「新型の?」
イザベラは意識の目を解き放ち、アーシュオンの艦隊に迫る。言われてみれば、見慣れない艦影が多数存在していた。以前一度遭遇した新型駆逐艦をアップデートしたかのような、いかつい装甲の駆逐艦だった。
『以前遭遇したセイレネス搭載駆逐艦を覚えていらっしゃいますか』
「無論だ」
『これらの艦艇はその最新バージョンです』
「……まさか、あの時感じた、生首の歌姫か」
『イエス、です』
ちっ!
イザベラは音高く舌打ちする。
アイスキュロス重工技術本部長、アーマイア・ローゼンストックの仕業だ。
そしてアイスキュロス重工は、マリアの所属するホメロス社とともに、ヴァラスキャルヴの傘下にあるという実しやかな噂もある。
つまり、裏では繋がっている可能性がある。
現にヤーグベルテが歌姫を商品化したのと同時に、アーシュオンもナイアーラトテップの量産に成功している。双方ともに技術を高め合ってきた。それはさながら予定調和だ。
「マリア、つまりこれは、アーシュオン版のイリアス計画というわけか」
『現状、肯定というのが妥当でしょう。ただし、もっとおぞましい……』
「おぞましい……」
以前見た、あの生首の感触が、イザベラの脳裏に蘇る。
「……以前見た、あの生首は錯覚などではなかったということか」
『おそらく』
マリアは知っている――イザベラは確信した。
『そう、です、姉様。私は知っています。アーマイア・ローゼンストックもまた、私の鋳型ARMIAから生まれたインスタンス。私もまた然り。互いの情報はARMIAを通じて共有されます』
「なるほどね」
よくわからないが、イザベラはそう答えた。マリアは沈鬱な声で言った。
『私に関する情報は、全てジークフリートが制御しています。だから私は存在しているようで、どこにもいません』
「わたしはきみを知っている。ベッキーはきみを愛している。きみはわたしたちを愛している。それだけでいい」
『姉様……』
「それで、マリア。奴らはいったい」
『直接見ていただくのが良いかと』
マリアの言葉にイザベラは頷く。もとよりそのつもりだった。イザベラは一隻の駆逐艦を選んで、その舳先に降り立った。激しい抵抗があったが、イザベラに取ってはどうということのないものだった。S級級であったとしても、イザベラの力の行使を邪魔することはできない。
「最後の防壁だな」
指数関数的に強化されていく論理防壁を突破し、イザベラは全てのアクセス経路を開放させた。駆逐艦のコア連結室に飛び込んだイザベラは、その部屋のあまりの狭さに驚いた。薄暗い照明に照らされたその部屋はせいぜい二メートル四方だ。そしてその中央部には巨大なキャビネットが置かれていた。
イザベラはそのキャビネットに手を伸ばす。
物理的身体があるわけではないのでその扉を開けることはできなかったが、イザベラにはその中にあるものが見えた。
イザベラの血液が猛烈な勢いで逆流した。怖気だ。
「マリア! 説明しろ! こんなことが許されるのか!」
『アーシュオンは、歌姫の素養のある者――素質者を確保し、その能力を人工的に引き上げることに成功しました。四肢のみならず、その身体を喪失させることで』
「絶望の淵に追いやった」
『イエス。そして以前のものとは違い、今の彼女等には意識……いえ、意志が残っています』
「そんな惨いことが許されるのか!」
生きながらにして、首を切断され、その姿のまま生かされる。そして兵器として消費されていく。
彼女らの人生はなんだ。
彼女らの存在意義はなんだ。
イザベラの実体が両手を握りしめ、歯を食いしばる。
「首から無数のケーブルを生やし、まるでクラゲのような様態にされて……。死ぬことすら叶わない」
眼の前のキャビネットから感じるのは深い絶望と諦観だ。そしてそのキャビネットの内側にある生首と、視線が合った。
濁った緑色の瞳が、確かにイザベラを捉えていた。髪も眉も、まつ毛すら無い無毛の頭部。落ちくぼんだ目、浮き上がった頬骨。
一言で言って、悍ましい物体だった。悪趣味なSF的造形物だった。
かさかさに乾いた唇が開く。
『あ、なた、は――』
生首が瞬く。その両目が薄緑色に光る。
『あなた、は……』
イザベラの身体に、生首歌姫の意識が纏わりつく。イザベラは息を飲む。
この子の――凄惨な人生が見えたからだ。
「こうなる方がマシだったというのか」
認めない。
こんな命の浪費を、わたしは認めない。
イザベラは力を行使しようと集中力を高める。
その時――。