25-1-1:宣告

歌姫は背明の海に

 マリアの指示により、シミュレータルームからはC級歌姫クワイアたちの姿が消えた。事情の説明は後回しにして、とにかく自艦に向かわせたのだ。C級歌姫クワイアたちもイザベラのニュースにすぐに気付いたため、大いに動揺を見せはしたものの、結局何も言わずにその指示に従った。マリアの無言の圧力に屈したというべきでもある。

 モニタールームからその様子を見ていたレベッカは、ブルクハルトに一礼する。

「教官、何から何まで、ありがとうございます」
「僕にできるのはこのくらいだからね」

 ブルクハルトは自分の分のコーヒーを淹れながら、やんわりと応じた。

「僕さえいなければ、こんなことにはならなかっただろう」
「そんなことは!」
「いや、そんなことなんだ」

 静かに言って、コーヒーに軽く息を吹きかけるブルクハルト。

「僕がいなければ。君がいなければ。ヴェーラがいなければ。誰か一人が欠けていれば、こんな事態にはならなかっただろうと思う。けどね、それはなんだ」
「そう、ですね」
「この事態以上に哀しいことはないだろう。けど、僕らはここまで来てしまった。だったら、僕らは今できることをやっていくしかない。諦めずに」
「儚い希望に縋れ、と」
「君はさ」

 ブルクハルトは大きく息を吐く。

「ヴェーラを取り戻したいのかい。それとも、ヴェーラの想いを伝えたいのかい」
「わかりません」

 レベッカは首を振る。

「本音は前者だろう。君はあの子を愛している」
「……何でもお見通しなんですね、教官は」
「論理的に考えれば誰でもそうわかるさ」

 小さく笑い、ブルクハルトはシミュレータルームにいるマリアと、マリオン、そしてレオノールを見遣った。

「でも君は、断腸の思いでヴェーラの想いを伝えることを、彼女のしたいことを叶えることを選んだ」
「彼女を救う方法が、他に見つけられなかった」
「ああ」 

 ブルクハルトは頷いた。

「僕もその片棒を担いでしまった。こう見えても、僕だって良心の呵責はある。あるけど、だからこそ、もっとな道はないか模索もしている」
「でも、教官。セイレネスは……」
「うん。あの技術の進歩のルートは、から外れていない」

 すまないね、と、ブルクハルトは寂しげに告げる。

「さぁ、マリオンとレオナが待っているよ。君は君の説明責任を果たしてきて」
「はい」

 レベッカは頭を下げてから、小さくきつく唇を噛む。

 傷みこそ、今の私に必要なものだ。

 レベッカは視線を上げ、シミュレータルームに移動する。

 マリオン・シン・ブラック、レオノール・ヴェガの二人が、緊張した面持ちでレベッカを見つめていた。マリアは音もなくレベッカの隣に移動して、二人と向かい合う形となる。

「あらかた説明は済ませました」
「ありがとう、マリア」

 二人は硬い声音で言葉を交わす。そしてレベッカが前に出る。

「マリオン、そしてレオナ。あなたたちには厳しい事態になりました」
「ネーミア提督が反乱というのは……」
「事実です」

 マリアとレベッカが同時にこたえた。

「そして、私たち第二艦隊は、参謀部より第一艦隊討伐の、いえ、殲滅の任務を与えられました」
「せ、殲滅……!?」

 レオノールが上ずった声を上げる。その右手の指がマリオンの右肩に食い込んでいた。二人とも、顔は真っ青だった。二人の周囲には「なぜ?」という言葉と疑問符が無数に浮かんでいた。

「あの、提督。アルマは……!」
「アルマと彼女のパトロクロスは、現在第七艦隊の保護下にあります。心配要りません」
「アルマ、だけ……?」
「パトロクロスのシステムに深刻な不具合が発生したため、彼女は艦隊から外されました」
「ブルクハルト教官が作ったシステムに不具合……?」

 レオノールが的確な指摘をしてくる。レベッカはその言葉を視線だけでおさえつけ、レオノールは言葉を飲み込んだ。

「ともかくもシステムの不具合は事実。自力での航行が不可能となっている現在、第七艦隊に曳航えいこうされてこちらへ帰還中です」
「安心なさい。アルマは討伐対象ではありません。不具合はイズーによる反乱宣言より前の事態ですから」

 レベッカを、マリオンが睨みつけていた。おとなしいマリオンらしからぬ表情に、レベッカは一瞬たじろぐ。

「レニーが反乱に加担なんかするはずがありません。どうしてレニーを殺したんですか」
「彼女を殺したのは我々ではありません、マリオン」
「あなたは、そしてネーミア提督は……レニーを」
「逃がすつもりでした」

 レベッカは観念して首を振った。そこでマリアが口を開く。

「イズーが、レニーをアルマと共に避退させる手続きを取っていたことはログにも残っています」
「しかし現実はそうはならなかったということですか」

 レオノールがマリオンの肩を解放して、前に出た。レベッカと四歩程度の距離まで近づいた。その傍らにマリオンが寄り添う。

 レベッカは目を伏せた。

「現実は、ままならないわ」
「レニーは、もう帰ってこない……」

 マリオンが涙目で訴えた。レオノールがその頭に軽く触れる。

「レニーは……!」
「それが、戦争です」

 レベッカがポツリと言った。しかしマリオンは納得しない。

「こんなに簡単に!」

 マリオンの携帯端末モバイルが立体映像を表示する。大破する戦艦ヒュペルノルが映し出されていた。コア連結室が吹き飛んでいるのがはっきりと判別できるほどのクリアでグロテスクな映像だった。提供されている映像には、セイレーンEMイーエム-AZエイズィからの砲撃による被害、と注釈がつけられていた。

「こんなに簡単にレニーが!」
「マリオン」

 マリアがその映像に視線を固定しながら声をかけた。

「アーメリング提督でも、ネーミア提督でも、もちろんあなたでも。誰もが一瞬で生物でなくなる可能性があるのです。あなたもよく理解している通り。誰も彼も、特別ではないのです」
「わかってます。私だって、多くを殺しました。誰かにとって特別な人たちを……」
「ええ」

 レベッカはマリオンに歩み寄り、その両肩に手を置いた。

「イズーの行為おこないを正当化するつもりはありません。弁護するつもりはないのです。ですが……私はあの子を愛している」
「その気持ちは変わらないのですね」

 マリオンの目から涙がこぼれた。レベッカはその頬に触れる。

「いっそ変えてしまえれば楽だったと思うわ」
「その結果」

 レオノールが鋭い視線と声をレベッカに向ける。

「この茶番劇を?」
「痛いわ」

 レベッカが首を振る。その表情は沈鬱だった。

「その言葉は、とても痛い」
「私たちに同期の子、そして先輩たちと殺し合えと。あなたはそうおっしゃるのですか、アーメリング提督」
「そうね、レオナ。そうなるわ」
「狂ってます」
「ええ」

 レベッカの声音から温度が消える。

 レオノールは唇を震わせていた。そんなレオノールをマリオンは涙を流しながら見上げている。

「イザベラ・ネーミアについた歌姫セイレーンは、その全員が彼女に従った者。C級歌姫クワイアたちとて例外にあらず」
「しかし……」
「だめ、レオン」

 マリオンがレオノールの右手を握りしめた。

「それ以上は、だめ」
「マリー……」
「私たちの憧れの人たちが、血を吐くような思いで辿り着いたのがなんだよ、レオン」
「でも、レニーは死んだ! イザベラ・ネーミアが殺した」

 レオノールが感情的に言った。が、マリオンは小さく首を振る。

「それも、本当なのかわからないよ」
「直接的にそうだったのかどうかはわかならい。捏造まみれの映像だってことくらい、私にもわかっているよ、マリー。だけど、どうあれ、イザベラ・ネーミアがこんな馬鹿げた――」
「馬鹿げてなんていない」

 マリオンが言った。その言葉に、レベッカは驚いてマリアを見た。マリアは眉根を寄せて目を伏せる。

「ここに至るまで、あの人は……一生懸命考えたんだ、悩んだんだ。だって、レオン、考えてもみて? イザベラ・ネーミア、ちがう、ヴェーラ・グリエールは、本当の絶望を知っているんだよ」
「でも」
「一度死んだ人が、人が、そして再び表舞台に上がることを決めたような人が、そんな短絡的な話をするはずがないよ」
「でも、マリー!」
「わかって、レオン。私もつらい。あなたもつらい。つらさに相対評価はありえないけど、つらいのは一緒。苦しいのも一緒。痛みの感じ方は違うかもしれない。流す涙の量は違うかもしれない。だけど、これだけは言える。私たち、一人の例外もなく、傷ついているんだよ。それはネーミア提督も一緒。私の大好きな、本当に大好きなだって一緒」

 その瞬間、レベッカの目から涙が落ちる。

「あ……」

 凍りついていた心が動く。レベッカはそのまま涙を流し続ける。

「だからレオン、そんなにレベッカを責めないで。ヴェーラを悪く言わないで」
「……わかったよ」

 レオノールは幾分か釈然としない様子ではあったが、頷いた。

「提督」

 マリオンはレベッカの泣き顔を、自らも涙を流しながら見た。

「第一艦隊殲滅の命令には納得できません。私は私にできることをします」
「命令違反をするということですか?」

 マリアが穏やかに尋ねた。マリオンは首を振る。

「では?」
「諦めないということです」

 マリオンははっきりとそう言った。

「参謀部としては今のあなたの発言は聞こえなかったことにします、マリオン」
「ありがとうございます」

 マリオンは涙を拭きながら応じる。マリアはマリオンの眼前まで移動してくると、その左肩に手を置いた。

「あなたの想い、私には伝わっていますよ、マリオン・シン・ブラック」
「大佐……」
「それに、レオノール・ヴェガ。あなたの想いもね」

 恐縮です、と、レオノールは応じた。

 マリアはささやく。

「姉様方のために、あなたたちにはベストを尽くしてもらいたいのです」
「はい」

 二人の新人歌姫セイレーンは声を揃えて頷いた。

 そしてマリアに促されて部屋を出ていった。

 シミュレータルームにはレベッカとマリアが残った。モニタールームにいたブルクハルトも、いつの間にか姿を消していた。

「レベッカ姉様」
「うん」
「あの子たちは、もう子どもではないんですね」
「そうね」

 マリオンはもう指揮官の顔をしていた。自分たち亡き後の、最強の歌姫セイレーンだ。心優しき、D級歌姫ディーヴァだ。

陸上おか伏魔殿パンデモニウムは、この私にお任せください。姉様は、どうか」
「ええ」

 レベッカはマリアの言葉に被せるように頷いた。

「マリア」
「はい、姉様」
「あなたは演出家レジスタ。よろしく頼みます」
「……お任せください」

 マリアは静かに頷いた。その短い受諾応答アクセプトの中には忸怩じくじたる思いが多分に込められていた。

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