修羅――。
その決意の表れに、レベッカもマリオンもすっかり圧倒されてしまう。アーシュオンのやりかたは、イザベラやレベッカの想像を超えていた。しかし、だからといって、ヤーグベルテのありようを「正しい」とは思わない。ゆえに、イザベラは着実に時計の針を進めていく。レベッカもまた、止めようとは思わなかった。
イザベラは諦観したような口調で続けた。
『わたしたちも、この子たちも、ヴァラスキャルヴの蒔いた種なんだ』
ヴァラスキャルヴ――イザベラは繰り返す。
『だけど、こうして戦っているのは、ヴァラスキャルヴが裏で手を引いているとしても、それでも人々の望みの結実なんだ。わたしたちの命の、断末魔の味を知ってしまった彼らは、もう元には戻らない。因果はどうであれ、彼ら自身が望んだ未来、それが今だ。わたしには最初からこうして突き進む以外の選択肢はなかったということ、だ』
もはや何が起きても決して元には戻れない。この場の全員がそれを理解していた。
『わたしはレニーを殺したことになっているしね。そしてそれすら既定路線だった。あの捏造映像はずいぶん前から用意されていたようだし』
それはまぎれもなくディープフェイクの類だったが、それを見せられた人は信じるだろう。状況も状況、ピタリとピースが嵌ってまったように見えるからだ。イザベラ自身が混乱するほど、超AIジークフリートが生成したその映像は完璧だった。
『わたしにはもう戻る場所はない。戻るつもりもない。わたしはかつて絶望し、しかし、それでもまだこうして惨めにも希望とやらに縋り付くことを選んだ。しかしね、ベッキー。あれから何年経った? 三年、三年だよ。それだけの時間を経たにも関わらず、やっぱり何一つ変わらなかった。変えられなかった。そしてここにきて、アーシュオンのこの傑作だ!』
イザベラはセイレネスを全開で発動させた。レベッカとマリオンは、情け容赦なくその衝撃に曝された。
しかしその威力はレベッカたちにではなく、イザベラの後方にいたアーシュオンの艦隊の航空母艦たちに向けられていた。彼らは恐らく事態を把握することすらできなかった。文字通り、一瞬で消し飛んだからだ。
そこからはイザベラの一人舞台だった。クララやテレサが何をする暇もなく、アーシュオンの艦隊は壊滅した。その最中、あの生首歌姫の搭乗艦もまとめて沈められた。新兵器とはいえ、イザベラの力の前には歯が立たなかった。
だが――。
「イズー! これ、は……!」
『この断末魔は強烈だ。まるで脳みそにネジを打ち込まれたみたいだ』
『この兵器、このためにあるんじゃ……』
「え、マリー、なんて?」
『そもそもこれが目的なんじゃ……』
マリオンの苦しげな声が応えてくる。
対セイレネスシステムであるオルペウスを張り巡らせていてもこれだ。そこでレベッカはハッと気が付く。
「レオナ! 無事!?」
『なんとか。しかし、これは……まさか、ネーミア提督が』
「どういうこと?」
『我々のオルペウス展開能力では、こんな衝撃に耐えられるはずがありません』
レオノールの声も途切れ途切れだ。それだけ損耗したということだろう。だが、C級歌姫たちに物理的な損害は出ていない。
「イズー、守ってくれたの?」
『こんなことできみたちに損失を出させるわけにはいかないだろう? あくまでこれは国民向けのデモンストレーションだ。わたしときみの艦隊の、横槍の入らない正面激突。それこそが国民にとって最高の娯楽。最強の味方が、最強の敵となる悪夢。そして与えられる恐怖。彼らの中のほんの一部であっても、わたしの言葉を理解する者が現れるならそれこそ本懐!』
「あなたには翼があるのね」
レベッカは嘆息する。
ヴェーラはもう手の届かない所に行ってしまったのかもしれない。レベッカは多くの人の助けによって、ようやくこの場所に辿り着いた――望む望まざるとに関わらず。しかし、イザベラは、ヴェーラは、悠然とこの場で待ち受けていた。
レベッカはまた息を吐く。
ヴェーラはいつでも私の先を征く。私はただ、ヴェーラの眩い姿に導かれていただけだ。
事ここに至っては、力の差は歴然としていた。力への意志が、レベッカのそれを凌駕していた。
『この戦闘もまた中継されている。リアルタイムに、そしていい感じに編集されながらね』
「編集するくらいなら最初から生成動画流してればいいのよ」
レベッカは毒吐いた。イザベラは笑う。
『しかし、現実はより苛烈だ! いくぞ、レベッカ・アーメリング!』
セイレーンEM-AZの主砲がずらりとウラニアに向けられる。ウラニアもまた、その砲門を全てセイレーンEM-AZに向けた。
「マリー! みんなを守って!」
『は、はいっ!』
即座に海域封鎖が展開される。エディタとレオノールが中心となって準備を進めていたのだ。
直後、第一艦隊約五十隻の艦艇から一斉射が飛んでくる。かつてない程に高められた集中力が、そのセイレネスの威力を激増させていた。つい先日まで味方だったはずの者に向けられるそれは、情け容赦のない、冷徹で熾烈な一撃だった。
「全艦後退! マリー、あなたはまだ耐えて! エディタ、撤退指揮を!」
『了解です』
『エディタ、了解』
エディタが凄まじい速度で友軍艦隊の撤退指示を出していく。予め組んであったとしか思えない速度と精度だった。それはエディタの有能さの現れだ。
マリオンもまた善戦していた。初撃を防ぎ、以後の絶え間ない攻撃も驚くべき正確さで叩き落としていく。防御に徹しているゆえにできる行動だったが、それでもその防御力は驚嘆に値した。
「時代は変わったのね」
レベッカは呟く。
クララとテレサの連続攻撃がマリオンのアキレウスを襲う。しかし、マリオンはそれらをあっさりと弾き返す。
『やるっ……』
クララの声が漏れ聞こえた。
「マリー、単艦で反撃を! 私の力を防御に割きます」
『それは、提督が危険なのでは』
「誰の心配をしているのです、マリー。私は、D級歌姫です」
時代遅れの、ね。
「彼女らはもはや敵。あなたが討つのです」
『しかし……』
「あなたは、死にたいのですか。あの子たちはあなたを殺す気です。本気なのです、マリー」
『私は……死にたくありません、でも』
「ならばやりなさい」
いま私がいなくなったら、戦力の有無に関わらず、マリオンたちは戦えなくなる。その手を血に染めていなければ、できない決断もある。
『わかりました……』
その間も強烈に過ぎる打撃がウラニアとアキレウスを襲っていた。
アキレウスの艦首が展開し、中から三連装誘導砲身が姿を見せる。黒い艦体が燦然と輝き、放たれた超高エネルギーが海域を薙ぎ払った。それは前面に展開していた小型艦艇をことごとく消し飛ばす。断末魔が幾重にも響く。
『さすがはマリオン! よくやる! だけど、わたしの艦隊は簡単には崩せないぞ!』
「マリー、ウラニアの後ろに!」
『無駄ッ!』
空海域を激震させながら、艦隊の砲火がアキレウスに集中した。そのほとんどはレベッカによって粉砕されたが、数発がアキレウスに命中した。
『きゃぁっ!』
「大丈夫、マリー」
『な、なんとか。損害は軽微です。ダメコン展開中』
『レオナです。アキレウスを連れて退避します』
「そうして、レオナ。エディタ、パティ、ロラ、ハンナ、全員を無事に帰して!」
レベッカは覚悟を決めた。
自分がイザベラを倒せる可能性は低い。
だが、そうなっても、ヤーグベルテにはマリオンとアルマがいる。十数キロという至近距離にいるイザベラの意識を、レベッカの意識が捕まえる。そのレベッカを待ち構えていたイザベラは、小さく尋ねた。
『来るかい、ベッキー』
「ええ。行くわ」
ウラニアが単艦で前に出る。セイレーンEM-AZの前衛を務めていたクララとテレサの軽巡が示し合わせたかのように道を開ける。
砲火が止んだ。ほんの一時の休戦だ。
『全てはセイレネスに託す』
「私は、負けないわ」
勝つ、とは、言えなかった。
イザベラが高らかに宣言した。
『舞台の幕を上げよ!』
空海域が閃光に染まる。双方がありったけの火器を撃ち放った。衝撃波が艦隊を襲い、小型艦は慌てて避退する。
凪いでいた海が一瞬にして荒れた。セイレーンEM-AZやウラニアの巨体ですら翻弄されるほどに。マリオンの制海掃討駆逐艦アキレウスは言わずもがなだ。
「マリー、あなたも退がって」
『しかし、このままでは!』
「いい、全てのことに意味があるのよ、マリー。私がここで死ぬとしても、それはあなたにつながっていく。私はそう信じている」
『イヤです、そんなのッ!』
「お願い、マリー。私たちは進むしかない。進み続けるしか無い。私はあなたとアルマ、レオナや、もちろんエディタたちに未来を託します。そして……遅かれ早かれこうなっていたのです」
レベッカはイザベラの攻撃を往なしながら、穏やかに語る。
「あなたとアルマが無事であるなら、この先どうにでもなります。私とイズーの、ヴェーラの想いを、あなたがたはきっと」
『勝手なことを言わないで……』
「ごめんなさい。でも、私たちはそう信じて、未来を繋ぐのです」
『勝手です、そんなの! いい迷惑です! それに、私たちだけ生き延びて、ネーミア提督を阻止できるはずがありません!』
「そうかしら?」
レベッカは静かに訊く。
「あなたならできる」
『私はD級ではありません!』
「仮にそうだとしても、あなたには大勢の仲間がいる。守るべき仲間。そして共に戦ってくれる仲間。信頼できる仲間。そして愛する人」
ついに、ウラニアが被弾する。第一主砲が根こそぎ吹き飛ばされていた。
『提督――ッ!』
「行きなさい、マリー。ここであなたが死ねば、もはや打つ手はなくなります。私はあなたに国家国民ごときのために生きろとは言いません。私のために、生きて欲しい」
『ずるい、です、提督』
マリオンは泣いていた。その意識も、おそらくは物理実体も。その涙を感じて、レベッカも胸が痛くなる。
「こんな未来しか残せなくて、ごめんなさい」
『提督、私……』
「さぁ、行って。そしてアルマと共に、あなたたちの未来を守って」
有無を言わせぬ口調に、マリオンはようやく従った。
「さぁ、イズー!」
『マリーはいい子だね』
「そう。だから私はあの子たちに未来を託す」
『それは賭けの敗北宣言?』
「いえ、負けない宣言よ」
ふぅん、とイザベラは鼻を鳴らす。
「わたしの狂気が、きみの正義を殺す」
その言葉はセイレネスの外にも響いていた。
つまり、全国民に目撃されているということだ。
ならば――レベッカは首を振る。
最後の茶番劇の舞台に上がろう。