27-1-2:レオナの憤り

歌姫は背明の海に

 エディタは小さく咳払いをする。純白の論理空間の中に、ロラ、ハンナ、パトリシア、そしてレオノールが、それぞれに出現させた白いブロックの上に座っている。ヤーグベルテに残留する全V級歌姫ヴォーカリストだった。

 エディタは宣言した。

「この集まりは私たちの意思決定を行う場ではあるが、その結果については強要しない」
「あの、レスコ中佐」
「なんだ、レオナ」

 エディタは少し尖った声で応じた。レオノールは立ち上がるとエディタに向けて両腕を広げる。

「規定によれば、アーメリング提督の後任、艦隊指揮官となるのはマリーかアルマ、或いはその両方となるはずです。今さら議論するような余地はないはずですが」
「そうだな」 
「で、あれば」
「違うんだよ、レオナ。そういう次元の話ではないんだ」

 エディタは少したどたどしい口調で言う。

「当然君も知っているだろうが、我々のセイレネス活性は環境要因、いや、精神的な問題に大きな影響を受ける。だから、納得できないままでは前に進むことができない」
「ですが!」
「君はマリオンとアルマとは同期だし、ことマリオンとは」
「愛し合ってます」

 レオノールは素早く割り込んだ。

「私たちは二十歳になったら結婚するつもりです」
「あ、ああ」 

 やや気圧けおされたように、エディタは頷いた。レオノールは憤然とした様子で面々を見回した。

「中佐は、いえ、皆さんは、あの二人の何が不満なんですか」
「不満ではないの」

 答えたのはレオノールの二つ上のハンナだった。レオノールは眉根を寄せる。

「不満ではない、と?」
「不満じゃないの。不安なのよ」
「不安?」
「そう。不安なんだよ、レオナ」

 言葉を継いだのは一つ上のロラだ。情熱的な焦げ茶色の瞳が、煌々と揺らめいてレオノールを見ていた。

「実戦経験もろくにない、指揮官としては未知数。マリオンはあの性格からして、前に出るタイプじゃない。アルマは実戦経験自体がない。そんなのに、はいそうですねって生命いのちを賭けられるかい?」
「それならレスコ中佐が指揮を執れば良いじゃないですか。中佐の指揮能力、誰もが知っています。誰も異論を挟んだりしませんよ」

 レオノールの正論に、エディタは俯く。

「怖いんですか。イザベラ・ネーミアが。同期のリカーリ少佐やファルナ少佐が怖いんですか」
「……怖くないといえば、それは嘘だ」
「それで、規程に歯向かうこともせず、諾々とマリーとアルマを矢面に立たせようと言うんですか」
「あの二人は、ただのS級歌姫ソリストではない」

 エディタははっきりとそう言った。レオノールは目を丸くする。

「レニーは、あの二人の監視役だったんだ」
「レニー先輩が? 監視?」
「そうさ」
 
 ロラが言う。

「仮にあの二人がただのS級ソリストだとしたら、貴重なS級ソリストであるレニーを張り付かせておいたりなんてしなかったはずだ」
「そんなバカな!」

 レオノールの大音声が空間を揺らす。

「レニー先輩は優しい面倒見の良い先輩でした。マリーとアルマは、ルームメイトとしてニ年も一緒に暮らしたんです。そんな素振りがあれば、マリーだって、特にカンの鋭いアルマが気付かないはずがありません」

 ロラは座ったまま、レオノールを見上げている。

「たとえそうであったとしても、状況証拠は揃っている。レニーはマリオンとアルマの情報を逐一カワセ大佐に報告していた」
「死人に口なしですよ、そんなの」

 レオノールは苦しげに言う。ロラも一瞬だけ顔をしかめた。

 エディタが小さく咳払いする。

「はっきり言おう。アルマはわからないが、マリオンは……アーメリング提督さえ凌ぐ」
「そんな。D級ディーヴァだとでも」
「もちろん客観的な確証はない。だが、セイレネスの能力という一点に関して言えば、マリオンのあのタワー・オブ・バベルは、素人が放てるものではない。レニーの戦技が可愛く見えたほどだ」
「だったら、あの二人を信じてよいのでは。何もこんなところで秘密会議みたいなことをしなくたって!」
「確かめて欲しいんだ」

 エディタはレオノールの肩に手を置いた。

「確かめる?」
「あの二人の気持ちを。覚悟のほどを」
「!」

 レオノールはエディタの手を払いのける。

「卑怯です!」
「わかってる!」

 エディタは引かない。

「私たちも同行する。あの二人の意志が、イザベラ・ネーミアにこうるのか、否か。私たちの生殺与奪を握らせるに値するか、否か。私たちに見せて欲しいんだ」
「意味がわかりませんよ、レスコ中佐!」

 レオノールは激昂していた。鋭い眼光はエディタを射抜き、その拳は震えている。

「ネーミア提督の志も、アーメリング提督の想いも、何もかもを踏みにじるつもりですか、中佐、先輩方。そんなこと、いったい誰が望んでいるんですか」
「私たちにも、私たちの想いがある」
「待ちな、エディタ」

 ロラが鋭く口を挟む。

「言っとくけど、あたしはあんたと心中するつもりはこれっぽっちもない。あんたの決定を勝手にあたしたちの総意にしようとするのはやめとくれ」
「私もロラの言葉に賛同します」

 ロラと同期のパトリシアが立ち上がる。ロラもそれに遅れて立ち上がって隣に並ぶ。パトリシアはロラの右手を握って、意を決したようにエディタを見た。

「私たちはまだ、何をどうするかなんて決めていない。私たちが決めたのは、ネーミア提督にはということだけです」
「えっ……?」

 レオノールは鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔をした。

「どういうこと、です? パティ先輩」

 レオノールには意味がわかっていなかった。彼女だけがあのイザベラの反乱宣言の場に呼ばれていなかったし、誰一人あの場の出来事について彼女に共有しなかったからだ。

 エディタは険しい表情を見せ、絞り出すような声で応えた。

「私たちがこうしているのは、クララとテレサも含めて、私たちの意志だということだ」
「そんな!?」

 レオノールは状況を理解した。つまり、自分以外は全員、あのタイミングでイザベラ・ネーミアが反乱を起こすということを知っていたのだ、と。

「そういうことだ」

 エディタが短く肯定した。レオノールの脳の温度がまた急上昇した。

「なんで! なんで止めなかったんですか!」
「ネーミア提督をか? それとも、アーメリング提督を、か?」
「ネーミア提督に決まっています!」

 レオノールの怒声が白い空間を揺らした。エディタは達観したような、それとも諦観したような、曖昧な微笑を見せながら首を振った。

「志を強く持っていたのはネーミア提督の方だった。提督の意志は固かった。無念の、呪詛にも似た想いを覆すことは、私たちにはできなかった。そしてそれは……アーメリング提督とも共有されていたんだ」
「あのお二人が、自らの脚本で殺し合いを演じたと、そう言うんですか!」
「そうだ」
 
 無情にもエディタは肯定する。レオノールは激しくかぶりを振った。

「止められず、ついても行かず! そんなの、見殺しじゃないですかッ!」
「だったら!」

 ロラがレオノールに手を伸ばす。レオノールは一歩遠ざかる。

「だったら、どうしたら良かったっていうんだい、レオナ。ネーミア提督と心中しろとでも!? 冗談じゃない。そんなのはゴメンさ。あたしたちだって悩み苦しんだ末に出した結論の結果、ここにいる。ここにいる――それがあたしたちの意志だ」
「そうよ、レオナ」

 ハンナが言った。

「私は怖かった。ただそれだけの理由だけど、ネーミア提督にはついていかないことを選んだわ。でもね、怖いのよ、今でも」
「怖い、ですか?」
「そう」

 ハンナは深呼吸を一つした。レオノールの剣呑な視線から逃げるように目をらしながら。

「だからそんな臆病な私でも納得できるように――」
「そんな都合の良い……ッ!」

 レオナの怒りは静まらない。

「仲間はずれにしておいて、今度はこんな風に有無を言わせぬ状況で頼ってくる! わかりますか、これ。ネーミア提督がされてきたことと同じですよ! こんなの、あんまりだ!」

 レオノールの声が大きく震えた。

「……すまない」
「そうやって頭下げて! 中佐、それで済むっていうんですか。私はこの怒りをどこへ向ければ良いんですか。私の、このレオノール・ヴェガの気持ちはどうなるんですか!」
「理解したうえで、こうして頭を下げている」
「そんなこと繰り返して! そういうこと言って!」

 レオノールは眼の前に立つエディタの両肩を上から掴んだ。

「私、歌姫セイレーンは特別だと信じていました。なのに、こんな生臭くて泥臭くて、卑怯で姑息で臆病で! 仲間だと思ってただけに、こんなの、参謀部や政治屋よりひどい。違いますか。自分たちを性悪だと思いませんか。自分の都合ばっかり一方的に押し付けて!」
「私たちにこの曖昧な気持ちのままネーミア提督と相対しろっていうのか!」
「そうなるようにしたのは皆さんですよね! だったんじゃないんですか! アーメリング提督が敗れることがだった、なんて言いませんよね!?」

 エディタは圧倒されていた。息を飲むことしか出来なかった。

「繰り返しますけど、中佐のしていることは、私に対してしていることは、ネーミア提督やアーメリング提督が強要されてきたことと、何一つ違いませんから!」
「そう、だな」

 エディタは俯いた。唇を噛み締め、こみ上げるものを抑え込む。

 そんなレオノールの手に触れたのはハンナだった。エディタの肩に食い込むその指を、ゆっくりと開いていく。

「あなたの言うことは絶対に正しい。私はそう断定する」

 ハンナに見上げられ、レオノールはエディタから手を離した。

「でも、私たちだって完璧なんかじゃない。想定したくないからと、目をらしたこと……もちろんたくさんあった。でもその結果の積み重ねで、今、私たちはここにいる。このことが、この現実が間違いだったとは……思いたくないの」
「しかし、ハンナ先輩!」
「けれどね」

 ハンナはゆっくりと頭を下げた。

「不安に押しつぶされそうなのは事実なの。私は、死にたくない。傷つきたくない。怖いのはイヤ。だからこうして、あなたに頭を下げる」

 レオノールは下唇を強く噛んだ。

「頭下げたら勝ちって、そういうやり方、汚いですよ、ハンナ先輩」
「あなたが理解していることは知っている。だから、どれだけ頭を下げても足りないと思ってる」
「先輩方が雁首並べて直接訊きに行けばいいでしょう」
「それじゃ本音を聞けない」
「私とマリーの関係を知ったうえで、そんな卑怯なふるまいの片棒を担げと。私に先輩方の踏み台になれと! 私はその結果、何を得て何を失うんでしょうね!」

 レオノールはともすればこぼれそうになる涙をこらえるのに懸命だった。こんな屈辱を、恥辱を味わったことは、今まで一度とてない。

「あんたにあたしたちの生命を預ける」

 ロラが真っ先にそう言った。エディタたちが驚いた顔でロラを見る。

「バカ、何を素っ頓狂な顔をしてんだい、エディタ。あたしたちは今、レオノールの尊厳を、自分たちの心の安定のためだけに踏みにじっているんだ。エゴそのもののあたしたちの言い草さ。生命くらい預けたって安いくらいだ。なのにその覚悟もなく、ただ言葉と仕草で言う事聞いてくれなんて言ってるんだとしたら、そんなの政治的パフォーマンスの親戚じゃないか」
「そう、だな」

 エディタは頷いた。ハンナとパトリシアは顔を見合わせている。ロラは大げさに溜息をついた。

「二人とも、いい加減に覚悟を決めな。レオナに生殺与奪を握らせるか、それとも基地で震えて縮こまっているか。選ぶ権利くらい、カワセ大佐なら与えてくれるだろうよ」
「私は!」

 ハンナが珍しく大きな声を出した。

「私は臆病です。だけど、卑怯者ではありたくありません」
「私もです」
 
 パトリシアも頷いた。

「怖いけど、傷つく覚悟はあります。この力を振るう勇気も、あると思いたい」
「よし」

 ロラは両手を打ち合わせた。そしてエディタを見る。エディタは頷いて改めてレオノールに頭を下げた。

「あの子たちの真意は、決意は、もはやこの際どうでもいい。ただ、あの子たちもまた、この戦に向かわなければならないのは事実なんだ」
「私は私のやりかたでマリーとアルマを立たせます」

 レオノールは腕を組む。

「私は皆さんの考え方に納得することはできない。共感もできない。でも、理解はしています」

 そう言い捨てると、レオノールはその白い空間から真っ先に姿を消した。レオノールが立っていた場所を見つめながら、エディタはポツリと言った。

「私たちのしているのは、確かにネーミア提督を追い詰めたのと同じ手法メソッドだ。いつの間にやら、私たちもここまで落ちぶれていたのだな」
「染まっちまったのか、ねぇ」

 ロラは純白の天井を見上げながら、言葉を吐き出した。

「あたしたちは、提督たちからいったい何を学んできたんだろうねぇ」

 視線の先にあったエディタは「そうだな」と頷いた。

「戦い方、だけだったのかもしれないな」

 それは自分自身への痛烈な皮肉だった。

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