27-2-1:歌い手と指揮者

歌姫は背明の海に

 レオノールが隣接の士官学校にあるシミュレータルームに着いた時、エディタを初めとする残存V級歌姫ヴォーカリストはすでに揃っていた。黒く巨大な筐体たちに思い思いに身体を預けている。

 レオノールは頬を赤く腫らしたエディタを見て少し顔をしかめた。エディタは自嘲的な笑みを漏らして言う。

「なかなか痛いな」
「それでも加減したほうだと思いますよ、レスコ中佐」

 レオノールは冷たく言い、ロラやパトリシアにも視線を送った。

「私だってぶん殴ってやりたい」
「……いいぞ?」

 エディタは苦笑する。

「それで気が済むなら」
「そんなことで気が済むほど、安い怒りじゃありません」
「なら、どうしたら許してもらえる」
「今どうこうしたところで、許すつもりはありません」

 レオノールはきっぱりと言い切る。レオノールにしてみれば、誰よりも大切なマリオンを愚弄されたに等しく、自分もまたその片棒を担がされたからだ。

「悪かった」
「その謝罪の言葉は自己満足です」

 レオノールはそれを突っぱねる。

「ですが、今はそんなことを言っていられる事態ではありませんよね、中佐」
「……ああ」
「しっかりしてください。今はイザベラ・ネーミア提督に、全員で立ち向かう必要がある時じゃありませんか。個人の思惑なんて、どうだって良いんです」
「その通りね、レオナ」

 突如聞こえてきたマリアの声に、全員が硬直する。いったいいつからこの部屋にいたのか、誰も知らなかった。突然現れたようにしか見えなかったからだ。

「それで、エディタ、ハンナ、ロラ、パティ。あの子たちに従う決断はできたのかしら」

 マリアはモニタールームとの境界にあるガラス窓に背中を預け、少し顎を上げた。その場の全員が直立不動の姿勢をとった。

「その手法の是非はともかく、レオナやあの子たちにそこまでさせておいて、未だに迷っているなんてことはないわよね」

 その言葉には物理的な圧力があった。

 お見通しだぞと言わんばかりのその表情に、レオナでさえ硬直した。マリアは今や歌姫セイレーンたちを監督する最高位の人間だ。マリアがその気になれば、艦船を取り上げることすら可能だろう。

「もし未だに迷いがあるというのなら、エディタ、私はあなたの責任を問わなければならないわ」
「……申し訳ありません。我々は皆、レオナの指揮下に入ります」
「参謀部の承認はまだよ?」
「それでも。私たちはこの生命をレオナに預けます」
「それがあなたたちの覚悟というわけですね」

 マリアの声のトーンが下がる。エディタは頷く。

「レオナは訊くまでもないと思うけど、いいのね?」
「もちろんです。マリオンとアルマは、やる時はやります。先輩方があの子たちの経験不足を補ってくれさえすれば、ということですけどね」
「そうね」

 マリアは生真面目に頷いた。

 そしてエディタたちに視線を移した。

「それぞれに思うところはあるかもしれません。私にだってあります。ですが、今、何をすべきか。それだけを考えなさい。脇道の問題なんて捨て置きなさい。矜持きょうじも捨てなさい。大義名分も要らない。何をどうしたいのか。そのためには何をすべきなのか。それだけを考え、そのために自己愛を捨てなさい」
「カワセ大佐」

 ロラが手を挙げた。

「大佐は、あの二人の指揮で、ネーミア提督をどうにかできるとお考えなのでしょうか」
「イエスかノーと問われれば、イエス」

 マリアは即答する。

「被害がどれほどになるかまでは予測できないけれど。ただ、無策でいくのなら返り討ちに合うでしょうね。彼女は本気よ」
「なら、私たちは」
「しっかりしなさい、エディタ。作戦概要はすでに用意しました。あとは団体戦です」

 マリアは背中で手を組み、一同を見回す。

「エディタ、あなたたちには大切な仕事がある。敵はイザベラだけではないのよ。あなたたちはマリオンたちの負担を少しでも減らすために、その他のを殺しなさい」
「敵……」

 クララやテレサも、今やという一つの単語にくくられてしまった。

 エディタは沈鬱な表情を見せる。ハンナたちも一様にうつむいた。マリアは暗黒の瞳でエディタを鋭く見つめた。エディタは息を呑み、拳を握りしめる。

「私たちが、舞台ステージを作ります、大佐」
「よろしい」

 マリアの深淵の瞳がエディタを値踏みするように射抜く。エディタは蛇ににらまれた蛙のように、指先までも硬直させる。

「その手を友の血で染めなさい。罪咎ざいきゅうを共に背負いなさい。それがあなたたちに課せられた使命です」
「使命、ですか」

 レオノールが難しい表情を見せる。マリアは微笑んで頷いた。

「あなたちの思いがどうであれ、私の立場からは国防をあなたたちに任せなければなりません。ゆえに、使命。個人を殺し、大義のために戦うこと。それがあなたたちの使命なのよ。それが嫌だというのなら、そのような者に艦を任せるわけにはいきません。イザベラとの戦いを指をくわえて見ているか、それとも自らも血を流しながら返り血に染まるか」

 選びなさい、と、マリアは鋭く言った。

 エディタたちは顔を上げる。

「私たちは……卑怯者ではありたくありません」
「総意ということで良いのね」

 マリアの問いに、ハンナたちは頷いた。

「よろしい」 

 マリアはおごそかに言った。

「ノイズのない舞台を作りなさい。イザベラの、ために」

 そしてマリアは悠然と部屋を出ていった。

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