28-1-1:ディーヴァたちの激突

歌姫は背明の海に

 二〇九八年十二月十五日――。

 あと三十分というところか。

 イザベラは督戦席から立ち上がり、艦長に右手を上げてみせるとそのままコア連結室へと移動した。暗黒の連結室に入るや否や、イザベラはセイレネスを発動アトラクトさせる。意識の目が水平線に向かって駆け、海域を広範囲に渡って検索する。

「ヘスティアがいるからな」

 あの空母の艦隊隠蔽能力は凄まじく、イザベラでさえ艦隊を見逃してしまいかねないほどのものだ。だが――。

「見つけた」

 イザベラは夜明け前の洋上に浮かぶ大艦隊を発見する。戦闘には制海掃討駆逐艦バスターデストロイヤー、アキレウスとパトロクロスがいて、その背後には歌姫セイレーンたちの艦艇がずらりと複縦陣を取っている。

 その背後には新型の戦艦空母アドラステイアの姿があった。エウロスが獲得した大搭載量を誇る大型の艦艇だ。セイレーンEMイーエム-AZエイズィほどではないにしても、海上の城と言っても差し支えのない巨大さだ。

 そしてその後ろ三十キロほどのところには第七艦隊の艦艇群がずらりと並んでいた。輪形陣の中央にいるのは旗艦ヘスティアだ。おそらく彼らは前線には出てこないだろう。あのクロフォードのことだ。また何か考えがあるのだろう。

「また、胡散臭いことで」

 第七艦隊司令官、リチャード・クロフォードは予測のできない男だ。その戦術、戦略眼は、イザベラでは足元にも及ばない。お互い士官学校時代から知っている仲だ。そしてそれだけに、クロフォードは彼自身の目的のためならば、一切の容赦をしてこないことも知っている。

 今回のこの件にしても、クロフォードが裏で糸を引いた結果なのかもしれない。ヴェーラの決意から始まる今までの事象、その全てが、だ。最初、イザベラはこれら軍部の動きはアダムス大佐が主犯だと思っていた。しかし、考えてみればクロフォードほどの男が、アダムスごときに顎で使われるとは考えにくかった。

「あの男が黒幕なら、考えているのは世代交代、か」

 遠くに見えるヘスティアの威容。その中であの男は腕を組んで泰然自若たいぜんじじゃくとしていることだろう。

 イザベラとレベッカが共倒れになることで、新たなディーヴァへの交代が否応なしに進む。その際にはレネという存在は邪魔になる。レネを喪失することによる戦力的な損失は少なくはないだろうが、よりディーヴァを手にする事をこそ、軍部も政府も望んだと考えて良いだろう。ヴェーラたちが積み上げてきたセイレネスのノウハウも十分にある現在、無理に暴れ馬を乗りこなそうとする必要もないという事だ。

 だが、そうはうまくいくものかな?

 イザベラは凄絶な笑みを浮かべる。

 の思惑通りに行くと思ったら大間違いだ。

 はいつまでも子どもではない。

「ん?」

 イザベラは意識の目を一気にセイレーンEMイーエム-AZエイズィ舳先へさきに戻した。そこには二人分の意識、すなわちマリオンとアルマのそれが佇んでいた。

「この艦隊でわたしの艦隊とやりあうつもりかい、マリー、アルマ」
『ネーミア提督……』

 アルマの声が聞こえる。不安がかすかに感じられる。

「わたしたちは簡単にはいかないぞ」
『わかっています』

 マリオンが律儀に応答してくる。

『アルマ、行ける?』
『やってみないとわからない』

 筒抜けだぞ、ふたりとも。

 イザベラは苦笑する。二人にはまだ、そこまで気を配る余力がないのだ。

 未熟な二人が励まし合っているその様は、ヴェーラとレベッカの関係性を思い起こさせられた。ふわりと、記憶の中に浮上してきたのだ。

 そこにはヴァリー――ヴァルター・フォイエルバッハの姿もあった。ヴェーラの中に燻る灼熱の炎の中心にいる男だ。その炎はヴェーラ自身を焼いた。ヴェーラの中には、そしてイザベラの中には、あまりにも多くの可燃性のが溜まり過ぎていた。

「いいだろう」

 イザベラは大きく息を吐いた。決別の吐息だ。

「この機会に、戦いの何たるかを教えてやろう」

 二人の歌姫セイレーンの意識をイザベラは弾き飛ばす。二人の意識は今、自分の艦に戻っただろう。とはいえ、彼我の距離は確実に縮まってきている。

「そうか、乱戦に持ち込むつもりか」

 イザベラの一撃必殺の雷霆ケラウノスを封じようという算段だなと、イザベラは当たりをつける。

 ならば、それでよし。

「第一艦隊、全艦、砲撃開始!」

 第一艦隊の全艦が持てる火砲を打ち上げる。それはイザベラによって束ねられ、、マリオンとアルマの討伐艦隊に向けて放たれた。

『アルマ、防御展開!』
『って、えっと』

 うろたえるアルマ。無理もない、これが初陣なのだ。

『私たちを忘れてないか』

 エディタの押さえた声がイザベラに聞こえてくる。

V級ヴォーカリスト、海域封鎖!』

 見る間に制海掃討駆逐艦バスターデストロイヤーの直前の海が薄緑色オーロラグリーンに染まった。そこから立ち上がった光の壁が、イザベラの力を半ば中和してくる。

「だが、力不足」

 イザベラはそのまま押し切った。数十の弾頭がC級歌姫クワイアの艦艇を穿うがった。イザベラの力の前には、エディタたちの力を持ってしてもあまりにも無力だった。

 たちまちのうちに、討伐艦隊は坩堝るつぼと化す。

 イザベラはその不協和音の中に飛び込んだ。それは精神をえぐる、強烈な混沌の場だった。精神の内側をむしばむその絶叫に、イザベラは歯を食いしばる。

 脳がどうにかなってしまうのではないかというほどの大音量の不協和音。

 イザベラはそれら全てを抱きとめた。それがイザベラにできる、せめてもの罪滅ぼしだった。

 討伐艦隊の歌姫セイレーンたちはひるんでいた。イザベラの圧倒的に過ぎる力を前にして震えていた。

「……?」

 しかし、イザベラは異変に気付く。今まさに打ち放とうとしたモジュール・ゲイボルグが雲散霧消したからだ。

「コーラス、だと?」

 マリオンとアルマの二人で、コーラスを形成していた。

「ヒヨッコが二人でコーラスだと?」

 通常三名以上でなければ発動させることができないコーラスを、制海掃討駆逐艦バスターデストロイヤーの二人はやってみせたというわけか。

「やるじゃないか」

 マリオンとアルマ、その二人の歌姫セイレーンは完全に同調していた。

 いや……?

 もう一人。レオノール・ヴェガの力も感じられた。しかし、コーラスは同等の力のある歌姫セイレーン間でしか成立しない。レオノールの力が介在する余地なんて……。

「なる、ほど、な」

 イザベラは笑みを見せた。レオノールの力はマリオンを包んでいた。それによってマリオンの力が数倍に増幅され、それをもってアルマとのコーラスを形成していた。

「優しい力だ」

 レオノール――言ってしまえばV級ヴォーカリスト程度の力しか持たない歌姫セイレーンが、D級ディーヴァを包んでいる。それは涙が出るほど美しく温かい輝きだった。

「わたしにもそれがあれば」

 あるいは結果は違っていたかもしれない。

 しかし今はそんな感傷に浸るべき時ではない。

 イザベラは視線を上げる。

「攻撃を続行する! 各艦、本艦にタイミングを同期せよ!」

 イザベラの怒声と共に、第一艦隊から熾烈な砲撃が行われた。

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