イザベラの号令一下、第一艦隊の火砲が猛る。轟音と共に放たれた弾丸は正確にアルマとマリオンの制海掃討駆逐艦に向けて飛んでいく。
後方に控えていた戦艦空母アドラステイアから、エウロス飛行隊の戦闘機が射出されたのが見えた。一瞬で射出された戦闘機、その数、約五十。恐るべき展開速度だった。その戦闘にいるのは、赤い巨大な戦闘機――エキドナだった。
「カティ……」
ここでカティが投入されてくるのは想定外だった。全員が貴重な超エースであるエウロス飛行隊を無駄に損耗させるなど、そんな愚策は打つまいと思っていたからだ。
「カティをぶつけることによって動揺を誘おうっていうのか」
制海掃討駆逐艦を直撃しようとしていた対艦ミサイルが、エウロスの一中隊の攻撃で叩き落される。恐るべき正確さを持った攻撃だった。
「おかしい……」
イザベラは状況を注視する。
彼らにセイレネスの影響が出ていない?
海域封鎖をされているからか? いや、それにしても、あまりに影響が少ない。対艦ミサイルにしても、わたしの力が乗ったものだ。容易に撃破などできるはずがない――イザベラは考える。
その間に、真紅の戦闘機・エキドナ以下二十数機が、セイレーンEM-AZに向かって飛来してきている。これにはさすがにイザベラの思考回路も真っ白になった。こんなのは自殺攻撃だ。
イザベラはセイレーンEM-AZの対空火器を射撃体勢に持ち込んだ。
しかし、エキドナ――カティの姿に決意が揺らぐ。
クララとテレサが前に出て、対空砲火を張り上げた。だが、そんなものではエウロスを捉えることはできない。
反撃に駆逐艦たちが数隻容易く撃沈されてしまう。
「威嚇か」
イザベラは舌打ちする。エウロスと若い歌姫たちでは役者が違いすぎたというべきか。
「クララ、テレサ、エウロスは無視しろ。エディタたちの攻撃を誘え」
『了解』
二人が同時に応じた。しかし、敵方には五名ものV級がいる。クララとテレサではあまりにも荷が重い。
イザベラは決意する。
「セイレーンEM-AZ、主砲斉射! 目標、敵駆逐艦!」
薄緑色の輝きが増す。
「放て!」
熾烈な砲撃が最前線を張っていた駆逐艦ニ隻に集中する。
その駆逐艦は、断末魔とともに木っ端微塵にされる。
『ネーミア提督! 行きます!』
マリオンの声が聞こえた。それと同時に、アキレウスとパトロクロスが速度を上げる。第一艦隊からの砲撃に、揺らぎもしない。クララとテレサの攻撃すら全く通用していない。
これが次世代のD級の力か。
ならば容赦は不要だな。
今や距離十数キロという極至近に迫ったニ隻の新型駆逐艦に向けて、イザベラはモジュール・ゲイボルグを発動させる。命中すれば一発大破までは持っていける。
しかし、ゲイボルグの輝きが、アルマのパトロクロスへの命中直前に掻き消えてしまった。
「!?」
何が起きた!?
動揺するうイザベラを余所に、もはや目視照準でも命中弾が送り出せるほどの極至近までの接近を許してしまう。
だが、そこに立ちはだかったのが、第一艦隊の残存小型艦艇たちだ。
『どけよ!』
アルマの声が響く。
『どかないと死ぬぞ!』
『どかない!』
小型砲撃艦の歌姫が怒鳴り返した。
『なんでこんなことに生命を賭けるんだッ!』
『アルマ、あなたにはわからないの? これは私たちの未来のために必要なことなのよ』
『無駄死にだっ!』
『私たちの死が無駄なのかどうか。決めるのはあなたたちよ、アルマ、マリー』
そうだ、そうなのだ。
わたしたちの生命がどのような意味を持つか決めるのは、生きている者にほかならない。そして、だからこそ、信頼できる者に託すのだ。
『私たちはあなたたちをこれ以上殺したくないの!』
マリオンの悲痛な叫びが聞こえてくる。
『私たちの前では、あなたたちはあまりにも無力なの。哀しいけど、それは事実なの』
『だからといってみすみすネーミア提督を差し出すなんてありえない。私は覚悟を決めている』
『だからっ!』
『私たちは兵器のままで終わりたくないのよ。悦楽を生む機械のままで終わりたくないのよ』
『生きてさえいれば、そんなこと!』
『ネーミア提督とアーメリング提督が何年努力してきたと思うの。でも、人も国も変わらなかった。人々は私たちに可愛らしい歌姫なんていう名前を付けて、立派な梱包を施した。私たちはその棺に収められた麻薬でできた人形のようなものなのよ!』
麻薬でできた人形、か。
イザベラは暗黒の部屋で頬杖をついていた。
C級歌姫たちが、アルマとマリオンを包囲し始める。実力差を考えれば、それは何の意味もないパフォーマンスだ。だが、今、この様子は全国に中継されている。茶番劇にも意味が出るというものだ。
『でも! なんで諦めてしまったんですか!』
マリオンが叫ぶ。
『ちゃんと言えば、ちゃんと聞いてくれる人だっていたはずじゃないですか!』
「綺麗事というんだよ、そういうのをね」
イザベラが応じる。
火砲の応酬は止まっていた。
「ちゃんと言えば、ちゃんと聞かれる。わたしとベッキーはそれを信じて何年やってきたと思う。しかし、わたしたちの声は肝心のところには届かなかった。理解されなかった。なぜなら勝利と、そして、断末魔という、勝敗いずれに転んでも得られる悦楽があまりにも大きかったからだ。結果、人々は私たちが戦い続け、死に続けることを望んだ。望んでいる」
『そうだったとしても、強力な力を示して、それで要求を通そうだなんて、間違ってる!』
「ならば諾々と彼らの言葉に従い、彼らのために戦い、彼らのために生命を捧げ死ねと。それが我々の本懐であるとでも、きみは言うのか、マリオン・シン・ブラック!」
イザベラの憤怒が衝撃波となってマリオンとアルマの制海掃討駆逐艦を襲った。モジュール・バハムートである。薄緑色の粒子が津波となって、アキレウスとパトロクロスに襲いかかった。
『ううっ……!?』
マリオンとアルマの呻きが聞こえる。アキレウスもパトロクロスも無傷だった。
信じられん。
並の艦艇なら数回は沈んでいるはずのモジュールだった。
二人が展開しているコーラスにはそれほどまでの防御力があったということだ。全てに於いて、二人の能力はイザベラの想定を上回っていた。
まぁ、よい。
イザベラは薄い笑みを見せる。
「二人とも。現実というのはままならない。わたしたちは必死にそれに抗った。しかし、現状はこのていたらくだ」
『ネーミア提督……』
アルマが何かを言いたそうにしたが、イザベラは無視する。
「言葉は通じなかった。献身も軽んじられた。ゆえにわたしたちは自衛の剣を持つしかなくなった。剣を持ち、自由の下に平穏を叫ぶ。これの何が罪だというのか」
『そうかい』
割り込んできたのはカティの声だった。
「え……?」
セイレネスの通信に介入してきた……!?
イザベラは混乱した。これこそ想定の完全なる埒外の出来事だった。
直後、アキレウスとパトロクロスを包囲していた小型艦艇が一隻残らず爆散した。エウロスからの飽和攻撃を受けたのだ。対セイレネスシステムを駆使した攻撃が、セイレネスの鉄壁の防御を貫いたのだ。
「油断した……っ!」
エウロス全機にオルペウスが搭載されていたとは。ここまで一方的にやられるというのは全く計算していなかった。油断だった。
『ネーミア提督!』
クララから鬼気迫る声で通信が入る。
『エウロスの二度目を受けたら、今度こそ全滅です!』
「二度目は、ない!」
セイレーンEM-AZから対空ミサイルが放たれる。それはエウロス飛行隊をありえない速度で追尾していく。イザベラの力が乗っているからこそできる芸当だった。
だが――。
ミサイルの群れは忽然と消え去ってしまった。
「……!?」
なんだ?
イザベラは確かに混乱した。しかし、一秒と少しで我に返る。
「エキドナか!」
初のセイレネス搭載戦闘機であるエキドナ。
「しかし、それにしても」
わたしの力の全てを消滅させるなんて。
それって、つまり――。
カティはわたしを超えるD級ってこと!?
まさかと否定してみるも、説得力のある説明は思い浮かばなかった。
『提督、第二艦隊が撤退行動を開始!』
「う、うん?」
テレサの報告に、思わず妙なトーンで応じてしまうイザベラ。そのくらいに動揺していた。
『追撃を仕掛けますか? 今なら――』
『今を逃せば次は……』
テレサとクララが口々に言うが、イザベラは首を振った。
「良いんだ、テレサ、クララ」
いまだ動揺は抜けきっていなかったが、イザベラは努めて冷静な口調を維持した。
「最高のアンコールを見せてやろうじゃないか。わたしたちに相応しい華々しいアンコールをね」
瞬く間に水平線の彼方へと消え去ったマリオンたちに向け、イザベラはそう言い放った。