レオノールはエディタとの約束通り、V級および全てのC級を統率していた。エディタたちは文句の一つも言わずに、ただ粛々とレオノールの指揮に従っている。
レオノールは見ていた。マリオンたちが小型艦艇に包囲され、そしてその包囲網がエウロス飛行隊によって完全に粉砕されるさまを。対セイレネスシステムであるオルペウスが搭載されていると言っても、その攻撃は圧倒的かつ一方的だった。
C級歌姫たちの断末魔の絶叫が幾重にも反響して、レオノールの心を抉っていく。
アキレウスとパトロクロスの周囲の海は文字通りに燃えていた。脱出艇の姿も確認できたが、その数は少数だった。
アキレウスとパトロクロスは、周囲の艦艇の残骸を吹き飛ばすようにして旋回し、セイレーンEM-AZに背を向けた。主砲に狙われている今、マリオンたちにできることは少ない。最良の手が「逃走」であることについては、レオノールにも異議はなかった。
問題はイザベラが逃げることを許してくれるかどうか、だ。
アキレウスの目前に大きな水柱が上がる。イザベラからの警告射だ。
『きみたちに戦う意味をくれてやろう』
レオノールの内側を揺蕩っていた音が収斂した。視界が急に眩しくなり、レオノールの視界が焼けた。セイレネスでは目蓋は役に立たない。頭の奥に激痛が走り、レオノールはセイレネスからのログアウトをするべきか迷う。
『レオン、警戒!』
マリオンの鋭い声がレオノールを我に返らせる。
苦労して視界を回復させて、レオノールは確かに絶望する。ウェズン、クー・シーそして生き残った小型艦艇からの一斉射撃が、レオノールの重巡洋艦ケフェウスを狙っていた。
超音速の光の群れは間違いなくケフェウスのみを狙っていた。
『レオン、防いで!』
「やってるッ!」
焦りが口調に転嫁される。
セイレネス活性は最大値をキープしている。しかし、この飽和攻撃の前にはあまりにも無力だった。クララとテレサだけでなく、おそらくイザベラの力も加わっているのだろう。太刀打ちできるはずもなかった。
対艦ミサイルの弾頭が迫ってくる。もはや目と鼻の先だった。
「だめだっ!」
『やらせない!』
マリオンの声が響いた。その声に突き飛ばされるようにして、レオノールの意識が上空に弾き上げられる。
レオノールの眼下の景色は、止まっていた。ミサイルはもちろん、海面の揺らぎすら固まってしまっていた。
「これって、事象の地平面……?」
呟いたレオノールの耳元で、マリオンの気配が少し笑った。そして冷徹な声で命令した。
『モード・リゲイア!』
その瞬間に、時間が戻った。それと同時にケフェウスに向かってきていた膨大な数の弾頭が爆ぜて消えた。雲散霧消という表現がしっくりくるような光景だった。
「まじかよ」
相殺された熱量は反応兵器にも匹敵するものだったはずだ。だが、そのエネルギーは今や跡形もない。真冬の空は青白く、燃えていた海はもはや凪いでいた。
『討伐艦隊に告ぐ!』
後方の第七艦隊司令官、クロフォード少将の声が響く。
『参謀部より撤退命令が出た。航行できない艦は第七艦隊が引き受ける。速やかに撤退せよ。エウロスは引き続き上空警戒を頼む』
『エウロス了解。半数ずつ雷爆装解除のために戻す。いいね?』
『空のことは君たちに任せる、メラルティン大佐』
『了解した』
そんな会話を聞きつつ、両者の砲火の応酬が再び始まっていた。相互に有効弾を送り出せない不毛な撃ち合いだ。
「くそっ。私には何もできていない!」
『レオナ、それは皆おなじだ』
「レスコ中佐……」
『私たちには次がある。まだ終わりじゃない』
「次って言ったって! こんな事、まだ続くんですか!」
レオノールの言葉が虚しく響く。エディタの沈黙がレオノールを傷付けていく。
「……ネーミア提督はもう止まれない、か」
『そういうことだ』
エディタが硬質な声で応じる。
『そしてこれは、私たちの決意のぶつかり合いでもある。お互い本気だからこそ、退いてはならないし、他の誰にもこの事態を収束できないからこそ、私たちはこの役割を投げ出すわけにもいかない』
火砲の応酬は、最後尾で反転したアキレウスとパトロクロスによって終結させられる。アルマとマリオンによるセイレネスの防御は鉄壁だった。レオノールはそこに加勢する。そうすることで防御力が跳ね上がることは経験的に知っていた。マリオンとのシナジーとも言える。
「結局、国家も国民も高みの見物ですか」
『今に始まったことではない』
エディタの諦観が伝わってくる。
「こんな見世物! なぜ私たちはこんなものに生命を賭けるんです!」
『私たちは歌姫だからだ。それが人々の求める形だからだ』
「馬鹿げている!」
敵味方の距離が離れていく。セイレーンEM-AZが沈黙してくれているのは幸いだった。もしあれが動いていたら、マリオンたちですら無傷でやり過ごすことはできていなかっただろう。
そしてそれは、イザベラはマリオンたちを敢えて逃がしているという証拠でもある。あの雷霆を撃ち込まれれば、艦隊は良くて半壊だ。
「今回は前哨戦ってことか」
レオノールは下唇を噛み締めた。
そしてそれは同時に、この舞台の主人公はイザベラであるという主張だ。全ての主導権は徹頭徹尾イザベラにある。
『レオナ、すまない。思うところがあるのはわかっている』
「ええ、最初から思うところしかありません」
レオノールは乗艦ケフェウスを完全に反転させ、マリオン、アルマと共に最後尾についた。イザベラの艦隊からの砲撃は止まっていた。悠然と水平線上に佇んでいる彼女らの艦艇を、レオノールは恐ろしいと感じた。恐れるものなどもはやない彼女らの決意と信念は、レオノールにとっては恐ろしかった。
『すまない』
「もうこれ以上頭を下げるのはやめてください、レスコ中佐。あなたは私にとって憧憬の人だったんですから」
レオノールは渦巻く感情を押し殺しながら、そう言い放った。