28-2-1:フィンブルの冬は終わりぬ

歌姫は背明の海に

 バルムンクの中にて、その戦いの一部始終を見下ろしている姿がある。銀髪に赤く輝く左目の持ち主、ジョルジュ・ベルリオーズである。

「レメゲトンは?」
「順調よ」

 かたわらに現れるの揺らぎ。ベルリオーズは冷たく微笑む。

「やはりレメゲトンを励起れいきさせるためには、あのくらいのエネルギーが必要だったということだね」
「ナイアーラトテップ程度では力不足だったということね」
「そうなるね」

 ベルリオーズは熾烈に燃え盛る薄緑色オーロラグリーンの輝きを眩しそうに見た。

「もっとも、時間なんていくらかかっても良かったんだけどね。でも、こっちのほうが手っ取り早い分、僕の好みではある。それにしても、……。実に良い触媒カタリストじゃないか?」
「マリアに聞かせてあげては?」
「全く悪趣味だね、君は」

 ベルリオーズは影の濃い能面のような微笑を見せた。――アトラク=ナクアは、変わらず揺らいでいる。

「だって私、悪魔ですもの」
「そうだった。メフィストフェレスという配役だったね」 

 忘れていたと言わんばかりにベルリオーズは言う。は大きく揺らいだ。笑ったかのようだ。

「それはそうと、マリアはどうするつもりなんだろうね」
「新たなD級ディーヴァたちを守るつもりでしょう。姉たちを喪失したことは、あの子にとっては巨大なダメージになったでしょうから」
「はは、見世物だね」
「ええ、見世物、ですね」

 二人は声を立てず、しかし、確かに笑った。

「できると思うかい、マリアに」
「できない、とは言いませんけど、ARMIA自身がどう決断するのか次第、でしょうね」
「アーマイアは?」
「あの子は淡々とレメゲトンの素材を作り続けるでしょうよ。あの子はそもそもがよくできた自動人形オートマタのようなもの」
「そう。そうか」 

 さほど関心なさそうに、ベルリオーズは相槌を打つ。そして「ああ、そうだ」と軽く手を打ち合わせた。

は?」
「この戦いの影響で、確実に」
「ふふふ。そうか」

 ベルリオーズは満足げな表情を見せて腕を組んだ。

 その眼下では、マリオンとアルマに率いられた第二艦隊が撤退を初めていた。今回は痛み分けといったところだろう。実証実験のために、これは実に都合の良い戦いだった。セイレネスの衝突の機会も一つ増える。

「データは順調に採れているね」
「ならば、ベルリオーズ。はどうするの? セイレーンEMイーエム-AZエイズィにぶつけるのが最良と思えるけれど?」
「いや、結果を焦ってもいいことはないさ」

 ベルリオーズは首を振る。

「エキドナはもう少し温存しよう。アレはしばらくは替えがきかない。カティは実に良い素材だし。彼女にはもう少しこの世の地獄を味わってもらおう」
「そうですか」

 はフラットな声で応じ、姿を消した。バルムンクから海域の様子が消え、周囲は再び闇に落ちる。

「これで僕の仮説はようやく裏付けられたというわけだ」

 満足気に頷くベルリオーズには自身を取り巻く無数の数式が見えていた。

 強力な歌姫セイレーンたちによる衝突コリジョンの結果、多くのたちがかえる。そして地に満ちたセイレネスは対消滅を繰り返す。莫大なエネルギーとともに。その動きは指数関数的に拡がり、やがて、論理層と物理層の境界ゲートウェイはその存在意義を失うことになる。

 そこにの揺らぎが現れた。

「それはあたしたちの思う壺でもあるのよ、ベルリオーズ」
「どうだか」 

 ベルリオーズは冷笑を見せる。

「この行為の帰結によって、上位レイヤの概念さえ失われることになる。論理層の君たちと、物理層の僕たち。どっちが支配権をとることになるのか、それはセイレネスによって未知となった」
「愚かな仮説よ、それは」
「そうかな?」

 ベルリオーズのおどけた様子に、は大きく揺れた。

「そもそも、あなた。を持たない者たちをどうするつもり? あれは万人にある要素ではないでしょう? 上位層へのアクセスを持たない者たちは、あなたの言うところの二層の合一の妨げにしかならないわよ?」
「ははは、そのためのレメゲトンだし、そのためのセイレネスだよ、ツァトゥグァ」
「まさか――」

 ツァトゥグァの揺らぎが更に大きくなる。ベルリオーズの左目が真っ赤に燃え上がる。

「そのまさか、さ」
「あなた、人類史上最悪のことを」
「そう、僕は悪魔さ、もはやね」

 ベルリーズはそう言ってから、はっきりと付け足した。

「同時に、神だ、とも言える」
「あなた、本気なの」 
「今はそう、フィンブルの冬とでも呼ぶべき頃合いなのさ、ツァトゥグァ」

 フィンブルの冬――神々の戦争の前に訪れると言われる、三度の冬。

「あなたはアトラク=ナクアの囁きに惑わされているだけよ、ベルリオーズ。人間風情が、そんな尊大な――」
「ティルヴィングを得た僕はジークフリートを生み出し、そしてその力によりこうしてバルムンクを手にした。その時点で、僕は君たちの頸木くびきから解き放たれたのさ。僕がアトラク=ナクアと同調しているのは、別に強制されたからでも誘導されたからでもない。むしろ、彼女のほうが僕に同調しているのさ」
不遜ふそんな!」
「ははは!」
 
 ベルリオーズの乾いた笑いが闇に響く。

「僕はジークフリートと一体と化したその時から、この物理層の全ての事象を。あらゆる可能性を認識している。だから、僕はセイレネスによってゲートウェイの破壊をしなくてはならないという結論に至ったんだ。いや、同時にそれしか手段はないということもね」
「それは……」

 物理層と論理層の合一のみが、ベルリオーズにとっての未知、だから? ――は揺らぐ。

「そうさ。僕にティルヴィングを与えてくれた君たちには、僕はこの上なく感謝している。でもね、君の役割は終わったんだ、ツァトゥグァ。レイヤの合一のその時まで、君が干渉する余地なんてないさ」
「何を馬鹿なことを!」
「君には深淵ギンヌンガの奈落の底こそがお似合いなのさ、ツァトゥグァ」
「あなた風情にそんなことができるとでも」
「気付かないのかい?」

 ベルリオーズは彷徨さまよう数式たちを停止させた。

 の揺らぎも停止した。

「このバルムンクの闇は、僕の創り上げた魂の牢獄のようなものさ。無限に続く円環のことわりに、君も囚われると良い』

 バルムンク、発動アトラクト、 モジュール・タルタロス――。

 ベルリオーズが無慈悲な声で呟いた。

 の揺らぎが、消失ロストした。

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