エディタたち五名のV級歌姫とC級歌姫たちは、クララとテレサを先頭に押し立てた第一艦隊と対峙していた。
「クララ、テレサ、降伏するんだ。これ以上は、無意味だ」
『無意味?』
エディタの祈るような勧告に、しかし、クララは冷たく応じた。
『僕たちの死に意味を求めるのは確かにナンセンスだ。だけど、僕たちの行為を無意味と断じる権利は、たとえ君にでも、ない』
「どうあれ、私はクララもテレサも討ちたくなどない」
『降伏勧告。ありがたいけど、僕は拒否するよ』
『私も』
クララとテレサが口々に言った。エディタは唇を噛みしめる。
エディタたちの主砲はすでに二人の軽巡を完全に捉えていた。彼我の距離はわずかに五キロ。至近距離だった。
『僕たち二人の力を合わせても、エディタ、君一人にすら及ばないだろう。C級歌姫たちを加えたって、きっと君たちのワンサイドゲームで終わるだろう』
『けれど、それでも私たちの意志は変わらない。私たちは、クワイアたちを含めて、みんな覚悟を決めてきた。こんなところで白旗を上げてしまったら、それこそネーミア提督の顔に泥を塗ることになる』
「皆が皆、死の覚悟を決めているなんてあるものか! 十死零生の作戦なんて、ただの自殺だ!」
エディタの声が虚しく響く。
「レオナ、C級歌姫たちに降伏勧告を!」
『了解です』
しかし、レオナの言葉は、第一艦隊には届かない。C級歌姫たちの艦艇は誰も動かなかった。それが彼女らの本音であるのかどうか、それはわからない。しかし――。
『エディタ。ひとつだけ頼まれてくれるかい』
クララがぽつりと言った。
『僕たちの艦の乗組員たちを退艦させる。彼らには』
「無論だ。全員助ける」
『安心した』
クララの声の緊張が少し薄れる。
「クララ、テレサ、どうしても」
『くどいよ、エディタ。そもそもこの罪は、ネーミア提督一人に背負わせるには重すぎる。あの人ひとりに罪過を背負わせて、僕たちだけが安穏と未来を過ごせるだなんて思えない。それにね、これは僕の個人的な感傷だろうけれど、もう二度と、あの人を、ヴェーラ・グリエールを孤独にしたくないんだ』
「それでも!」
エディタは力を込めて吐き出した。
「それでも二人は、私の大切な親友じゃないか」
『あのね、エディタ』
テレサだった。
『それ以上、私たちを惑わせるようなことを言わないで欲しいわ。私たちはもう、迷わない。ただ黙ってやられることもしない。私たちの意志、私たちの意地。それをヤーグベルテには見せつけてやる必要がある』
「そんなものに何の意味がある。クララとテレサが生きている以上の価値なんて、二人の死にはない!」
『ありがとう、エディタ。でも――』
セイレネス発動――。
クララとテレサの軽巡を中心に、薄緑色のフィールドが展開し始める。
エディタたちもそれに呼応し、たちまちのうちに空海域は光に包まれた。
「レオナ、指揮を」
『良いんですか、レスコ中佐』
「最善は……尽くした」
エディタはうなだれる。もうこのまま消えてしまいたい――そんなことを思ってしまうほどに、エディタはうちのめされていた。
『了解しました』
レオノールは無感情に応じると、全艦に一斉射撃を命じた。第一艦隊からも熾烈な火線が迸り出てくる。しかし、総数に劣り、V級歌姫の頭数にも差がある第一艦隊は、確実にその戦力を削ぎ落とされていく。それはクララの言った通り、ワンサイドゲームになるかのように思えた。
しかし、数が減るに従って、第一艦隊の構成するコーラスが威力を増す。クララとテレサに導かれた歌姫たちが一斉にその力を集中する。
「背水の陣、か」
後がない中の死物狂い。エディタがそこに感じたのは、冷静で冷徹な狂気だった。
レオノールはエディタに突進の号令をかける。エディタの重巡アルデバランと、レオノールの重巡ケフェウスが先陣を切って突き進む。瞬く間にクララとテレサの軽巡の前に移動し、双方がゼロ距離での射撃を敢行する。歌姫としての実力に劣るクララとテレサだったが、二人は完璧な防御を展開し、そのすべての打撃を防ぎきった。
「クララもテレサもやるじゃないか……」
『これが力への意志だよ、エディタ。僕たちは追い詰められた鼠さ。僕たちだって、猫にしたたかに噛みついたりもできるんだよ』
『あなたに迷いがあるうちは、私たちにすら勝てないのよ、エディタ』
「……だな」
すれ違い、また互いの艦尾に噛みつこうと方向を転換する。
そしてまたすれ違う。互いの距離は百メートルもない。ほとんどぶつかりそうな間合いで、互いのセイレネスの障壁を削り合いながら、攻防が続く。
軽巡ウェズンの主砲から機関砲までが一斉に火を吹いた。重巡アルデバランの主砲が一基、粉微塵に消し飛んだ。
「くそっ、やられた!」
エディタは思わず吐き捨てる。今のダメージが、エディタにフィードバックされてくる。頭がクラクラするほどの衝撃を受け、エディタはたまらず暗黒のセイレネス連結室で立ち上がる。
『レスコ中佐、早く防御を!』
レオナの声で我に返り、エディタはすぐにセイレネスの力配分の全てを防御フィールドに振り向けた。
クララの軽巡ウェズンから、怒涛の砲撃が行われてくる。フィールドの展開が一瞬遅ければ、勝敗は決していただろう。クララは間違いなく殺す気で撃ってきている。エディタの半端な覚悟とは雲泥の差だった――エディタはそう認めざるを得なかった。
クララからの砲撃は止まらなかった。ここで勝負を決すると言わんばかりの攻撃を前にしてようやく、エディタは冷静になった。余計なことを考える余力がなくなったからだ。
発射から着弾までのほんの一瞬の時間が、何百倍、いや、何千倍にも引き伸ばされる。まるで論理の地平面に立っているかのようだ。なにもかもが止まって見えた。
見える……!
その全ての弾頭をエディタは叩き落とそうとした、が、その瞬間、視界が白転する。
論理空間……。
エディタは一人、広大な純白の空間に弾き出されていた。右手には大型の拳銃が握られていた。
「やぁ、エディタ」
エディタの眼の前にふわりとクララが姿を見せる。
「まさかこんなことになるとはね」
「クララ……」
「僕たちはここでこうして殺し合わなきゃならないらしい。やれやれ、うんざりだね」
「待てよ、クララ」
「悠長なことは言っていられないと、思うよ!」
クララが流れるような動作で拳銃を撃つ。エディタは動けなかった。右の頬に一筋の赤い線が走った。
「逃げてばかりじゃ、話にならないよ、エディタ」
「クララ、やめてくれ、こんな」
「生身の僕は殺せない?」
「あたりまえだ!」
「どうして?」
「どうしてって……」
単純明快なその問いかけに、エディタは答えられない。クララは前髪の奥に表情を隠す。
「この空間での勝者が、僕たちの物理実態の勝敗を決めるんだ。放たれた弾は、もう戻らない!」
「君が死ぬか、僕が死ぬか。もう未来はこの二つに一つになっている。君が僕を殺さないというのなら!」
「私は、死にたくない……」
エディタがポツリと言った。引き金にかかったクララの指の動きが止まる。
「お前だって死にたくなんてないだろう?」
「だからこうして奮い立たせている。けど、死ぬ覚悟はもうできている」
「その覚悟があるのなら!」
「死ぬ覚悟があるのなら、何でもできるって?」
「私は!」
「お前を殺したくない――それは君のエゴさ」
「しかし!」
エディタは言い募ろうとしたが、そんなエディタの額にクララの銃口が向けられる。エディタは息を飲んだ。
「君が僕を殺さないのなら、僕が君を殺す」
「私は死ぬわけにはいかない!」
双方の銃口が双方を確実に捉えていた。互いの距離はニメートル。外す距離ではなかった。
「エディタ、君の甘さは本当に僕を苛立たせる」
クララの人差し指が動いた。銃口が火を噴いた。
「ッ!?」
エディタの左肩が抉られた。夥しい量の血液が噴き上がる。
「クララァッ!」
目を見開いたエディタは右手の銃を撃ち放つ。
「……はははっ」
クララは胸を押さえて蹲った。背中からも大量の血が流れていた。
「ううっ……」
「クララ!」
エディタは駆け寄ろうとしたが、クララは頭を振ってそれを拒絶した。
「こ、こんなもんだ、よ。あは、あはは……」
クララはうつ伏せに倒れ、懸命に顔を上げてエディタを見た。
その時、ひときわ高い音が鳴り、空間にテレサが姿を現した。
「クララッ!」
テレサの銃口が、呆然と立っているエディタを捉えた。
が。
立て続けに発砲音が三発鳴り響き、テレサはその場に倒れ伏した。その手は弱々しくクララに向けて伸ばされている。
「クララぁ……」
エディタはハッとしてクララの手にテレサの手を重ねさせた。
「レスコ中佐……私」
膝をついたエディタの背中に、レオノールの声が降ってくる。
「いいんだ、レオナ」
震える声でエディタは応える。
「いいんだ」
エディタは動かない左手に苦労しながら、クララとテレサの頭を撫でた。クララはもう、息絶えていた。少しずつ光と化して行っている。
「いま、いく、から、ね……」
テレサの目から涙が零れた。
そして、そのまま息を引き取った。
「私、必死で、その」
「責めるな」
エディタは大きく震える声で短くそう言った。
光となって消えて逝く二人の親友を見送りながら、エディタは大きく肩を震わせた。
「責めないでくれ……」
エディタは嗚咽とともに、掠れた声を吐き出した。