30-1-2:光

歌姫は背明の海に

 エディタたち五名のV級歌姫ヴォーカリストC級歌姫クワイアたちは、クララとテレサを先頭に押し立てた第一艦隊と対峙していた。

「クララ、テレサ、降伏するんだ。これ以上は、無意味だ」
『無意味?』

 エディタの祈るような勧告に、しかし、クララは冷たく応じた。

『僕たちの死に意味を求めるのは確かにナンセンスだ。だけど、僕たちの行為おこないを無意味と断じる権利は、たとえ君にでも、ない』
「どうあれ、私はクララもテレサも討ちたくなどない」
『降伏勧告。ありがたいけど、僕は拒否するよ』
『私も』

 クララとテレサが口々に言った。エディタは唇を噛みしめる。

 エディタたちの主砲はすでに二人の軽巡を完全に捉えていた。彼我ひがの距離はわずかに五キロ。至近距離だった。

『僕たち二人の力を合わせても、エディタ、君一人にすら及ばないだろう。C級歌姫クワイアたちを加えたって、きっと君たちのワンサイドゲームで終わるだろう』
『けれど、それでも私たちの意志は変わらない。私たちは、クワイアたちを含めて、みんな覚悟を決めてきた。こんなところで白旗を上げてしまったら、それこそネーミア提督の顔に泥を塗ることになる』
「皆が皆、死の覚悟を決めているなんてあるものか! 十死零生の作戦なんて、ただの自殺だ!」

 エディタの声が虚しく響く。

「レオナ、C級歌姫クワイアたちに降伏勧告を!」
『了解です』

 しかし、レオナの言葉は、第一艦隊には届かない。C級歌姫クワイアたちの艦艇は誰も動かなかった。それが彼女らの本音であるのかどうか、それはわからない。しかし――。

『エディタ。ひとつだけ頼まれてくれるかい』

 クララがぽつりと言った。

『僕たちの艦の乗組員たちを退艦させる。彼らには』
「無論だ。全員助ける」
『安心した』

 クララの声の緊張が少し薄れる。

「クララ、テレサ、どうしても」
『くどいよ、エディタ。そもそもこの罪は、ネーミア提督一人に背負わせるには重すぎる。あの人ひとりに罪過を背負わせて、僕たちだけが安穏と未来を過ごせるだなんて思えない。それにね、これは僕の個人的な感傷だろうけれど、もう二度と、あの人を、ヴェーラ・グリエールを孤独ひとりにしたくないんだ』
「それでも!」

 エディタは力を込めて吐き出した。

「それでも二人は、私の大切な親友じゃないか」
『あのね、エディタ』

 テレサだった。

『それ以上、私たちを惑わせるようなことを言わないで欲しいわ。私たちはもう、迷わない。ただ黙ってやられることもしない。私たちの意志、私たちの意地。それをヤーグベルテには見せつけてやる必要がある』
「そんなものに何の意味がある。クララとテレサが生きている以上の価値なんて、二人の死にはない!」
『ありがとう、エディタ。でも――』

 セイレネス発動アトラクト――。

 クララとテレサの軽巡を中心に、薄緑色オーロラグリーンのフィールドが展開し始める。

 エディタたちもそれに呼応し、たちまちのうちに空海域は光に包まれた。

「レオナ、指揮を」 
『良いんですか、レスコ中佐』
「最善は……尽くした」

 エディタはうなだれる。もうこのまま消えてしまいたい――そんなことを思ってしまうほどに、エディタはうちのめされていた。

『了解しました』

 レオノールは無感情に応じると、全艦に一斉射撃を命じた。第一艦隊からも熾烈な火線がほとばしり出てくる。しかし、総数に劣り、V級歌姫ヴォーカリストの頭数にも差がある第一艦隊は、確実にその戦力をぎ落とされていく。それはクララの言った通り、ワンサイドゲームになるかのように思えた。

 しかし、数が減るに従って、第一艦隊の構成するコーラスが威力を増す。クララとテレサに導かれた歌姫セイレーンたちが一斉にその力を集中する。

「背水の陣、か」

 後がない中の死物狂い。エディタがそこに感じたのは、冷静で冷徹な狂気だった。

 レオノールはエディタに突進の号令をかける。エディタの重巡アルデバランと、レオノールの重巡ケフェウスが先陣を切って突き進む。瞬く間にクララとテレサの軽巡の前に移動し、双方がゼロ距離での射撃を敢行する。歌姫セイレーンとしての実力に劣るクララとテレサだったが、二人は完璧な防御を展開し、そのすべての打撃を防ぎきった。

「クララもテレサもやるじゃないか……」
『これが力への意志だよ、エディタ。僕たちは追い詰められた鼠さ。僕たちだって、猫にしたたかに噛みついたりもできるんだよ』
『あなたに迷いがあるうちは、私たちにすら勝てないのよ、エディタ』
「……だな」

 すれ違い、また互いの艦尾に噛みつこうと方向を転換する。

 そしてまたすれ違う。互いの距離は百メートルもない。ほとんどぶつかりそうな間合いで、互いのセイレネスの障壁を削り合いながら、攻防が続く。

 軽巡ウェズンの主砲から機関砲までが一斉に火を吹いた。重巡アルデバランの主砲が一基、粉微塵に消し飛んだ。

「くそっ、やられた!」

 エディタは思わず吐き捨てる。今のダメージが、エディタにフィードバックされてくる。頭がクラクラするほどの衝撃を受け、エディタはたまらず暗黒のセイレネス連結室で立ち上がる。

『レスコ中佐、早く防御を!』

 レオナの声で我に返り、エディタはすぐにセイレネスの力配分の全てを防御フィールドに振り向けた。

 クララの軽巡ウェズンから、怒涛の砲撃が行われてくる。フィールドの展開が一瞬遅ければ、勝敗は決していただろう。クララは間違いなくで撃ってきている。エディタの半端な覚悟とは雲泥の差だった――エディタはそう認めざるを得なかった。

 クララからの砲撃は止まらなかった。ここで勝負を決すると言わんばかりの攻撃を前にしてようやく、エディタは冷静になった。余計なことを考える余力がなくなったからだ。

 発射から着弾までのほんの一瞬の時間が、何百倍、いや、何千倍にも引き伸ばされる。まるでに立っているかのようだ。なにもかもが止まって見えた。

 見える……!

 その全ての弾頭をエディタは叩き落とそうとした、が、その瞬間、視界が白転する。

 論理空間……。

 エディタは一人、広大な純白の空間に弾き出されていた。右手には大型の拳銃が握られていた。

「やぁ、エディタ」

 エディタの眼の前にふわりとクララが姿を見せる。

「まさかこんなことになるとはね」
「クララ……」
「僕たちはここでこうして殺し合わなきゃならないらしい。やれやれ、うんざりだね」
「待てよ、クララ」
「悠長なことは言っていられないと、思うよ!」

 クララが流れるような動作で拳銃を撃つ。エディタは動けなかった。右の頬に一筋の赤い線が走った。

「逃げてばかりじゃ、話にならないよ、エディタ」
「クララ、やめてくれ、こんな」
「生身の僕は殺せない?」
「あたりまえだ!」
「どうして?」
「どうしてって……」

 単純明快なその問いかけに、エディタは答えられない。クララは前髪の奥に表情を隠す。

「この空間での勝者が、僕たちの物理実態の勝敗を決めるんだ。放たれた弾は、もう戻らない!」
「君が死ぬか、僕が死ぬか。もう未来はこの二つに一つになっている。君が僕を殺さないというのなら!」
「私は、死にたくない……」

 エディタがポツリと言った。引き金にかかったクララの指の動きが止まる。

「お前だって死にたくなんてないだろう?」
「だからこうして奮い立たせている。けど、死ぬ覚悟はもうできている」
「その覚悟があるのなら!」
「死ぬ覚悟があるのなら、何でもできるって?」
「私は!」
「お前を殺したくない――それは君のエゴさ」
「しかし!」

 エディタは言い募ろうとしたが、そんなエディタの額にクララの銃口が向けられる。エディタは息を飲んだ。

「君が僕を殺さないのなら、僕が君を殺す」
「私は死ぬわけにはいかない!」

 双方の銃口が双方を確実に捉えていた。互いの距離はニメートル。外す距離ではなかった。

「エディタ、君の甘さは本当に僕を苛立たせる」

 クララの人差し指が動いた。銃口が火を噴いた。

「ッ!?」

 エディタの左肩がえぐられた。おびただしい量の血液が噴き上がる。

「クララァッ!」

 目を見開いたエディタは右手の銃を撃ち放つ。

「……はははっ」

 クララは胸を押さえてうずくった。背中からも大量の血が流れていた。

「ううっ……」
「クララ!」

 エディタは駆け寄ろうとしたが、クララは頭を振ってそれを拒絶した。

「こ、こんなもんだ、よ。あは、あはは……」

 クララはうつ伏せに倒れ、懸命に顔を上げてエディタを見た。

 その時、ひときわ高いが鳴り、空間にテレサが姿を現した。

「クララッ!」

 テレサの銃口が、呆然と立っているエディタを捉えた。

 が。

 立て続けに発砲音が三発鳴り響き、テレサはその場に倒れ伏した。その手は弱々しくクララに向けて伸ばされている。

「クララぁ……」

 エディタはハッとしてクララの手にテレサの手を重ねさせた。

「レスコ中佐……私」

 膝をついたエディタの背中に、レオノールの声が降ってくる。

「いいんだ、レオナ」

 震える声でエディタはこたえる。

「いいんだ」 

 エディタは動かない左手に苦労しながら、クララとテレサの頭を撫でた。クララはもう、息絶えていた。少しずつ光と化して行っている。

「いま、いく、から、ね……」

 テレサの目から涙がこぼれた。 

 そして、そのまま息を引き取った。

「私、必死で、その」 
「責めるな」

 エディタは大きく震える声で短くそう言った。

 光となって消えて逝く二人の親友を見送りながら、エディタは大きく肩を震わせた。

「責めないでくれ……」

 エディタは嗚咽とともに、かすれた声を吐き出した。

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