31-1-2:絆

歌姫は背明の海に

 くそッ! 

 カティは思わず計器類を拳で叩いた。頑丈なハードウェアたちは鈍い音で抗議し、カティの拳に鈍い痛みを与えた。

 イザベラの、否、ヴェーラの覚悟の重さは、カティの想像を遥かに超えていた。悲痛で悲愴な決意の塊だった。

 カティの到着を待つことなく、イザベラ麾下きかの第一艦隊が全滅する。

『よく、頑張ってくれた……』

 ヴェーラの深い溜め息とともに、そのねぎらいの言葉は消滅していく。カティは胸の奥に鋭い痛みを覚え、手を固く握りしめたまま、その左胸に押し当てる。

『わたしも、すぐに行くよ』

 ヴェーラはそうとも言った。

「待ってろよ! 待ってろよ、くそっ!」

 いつぞやの約束が、その時の光景が、カティの中に蘇る。

 その時は、あなたが殺して――。

 そんな約束はくそったれだった。守ろうとなんて思わない。そしてそれ以上に、レベッカ亡き今、自分以外がヴェーラを傷つけるなど、あってはならないことだった。

「ヴェーラ! 見えているんだろう!?」

 カティは叫ぶ。カティの目にも、水平線上に浮かぶ超巨大戦艦セイレーンEMイーエム-AZエイズィの姿が見えてきていた。薄緑色オーロラグリーンの炎が艦を包みこんでいる。

 ……?

 ……?
 
 先程までとは違う、目の覚めるような鮮やかなの群れがカティを包みこんでいた。

『今、同調シンゼシスが起きています』

 マリアが告げた。カティは眉根を寄せて「意味は?」と尋ねる。

『セイレネスに共感することで、彼我のセイレネスの能力を高め合うスキルのようなものです』
「立場をも超えて、か」
『肯定です』

 そう答えたマリアは、感情を完全に消していた。

 カティの目には、セイレーンEMイーエム-AZエイズィと、ニ隻の制海掃討駆逐艦バスターデストロイヤー――アキレウスとパトロクロスが、まるでホタルのように呼応しながら明滅する姿が見えていた。

『やはりわたしの力に同調するか。さすがだな、マリー、アルマ』

 ヴェーラの呟きがカティの中に明瞭に響く。

 その直後、カティは身体一つで空間に放り出された。

「!?」 

 あまりの急展開に、さしものカティも驚愕を禁じ得なかった。その闇とも影ともつかぬ空間の中に、ふわりとマリアが姿を現した。

「カティ、ここはセイレネスの論理層、バルムンクの一部です」
「意味がぜんぜんわからないんだが」

 カティはマリアに近づこうと足を進める。だが、どういう原理なのかマリアとの距離が十メートルばかりのところから、一向に縮まらない。

「わかる日は……きっと来ます」

 マリアがそう言ったその瞬間、その何もない空間にが満ちた。まるでオーケストラのように、多種の音色が組み合わさり、昇華し合った。壮大なの群れは、やがてひとつのメロディラインを描き始める。言うまでもない。あの『セルフィッシュ・スタンド』のメロディだった。

 マリアの向こうに、ヴェーラとマリオン、そしてアルマの姿が見えた。ヴェーラは二人を抱き締めていた。

『泣かないで、マリー、アルマ』

 ヴェーラの優しい声が、カティに届く。カティは息を切らせて走っていたが、どうやってもヴェーラとの距離が縮まらない。それでもカティはヴェーラを呼びながら手を伸ばし続ける。

『きみたちだけにでも、わかってもらえたのなら幸せだよ、わたしは』

 ヴェーラの囁きに、カティは首を振った。「冗談じゃない!」――そうとも怒鳴った。

 その瞬間、ヴェーラが確かにカティを見た。昔のままの、流麗な白金の髪プラチナブロンドと、整いすぎるほどに整った美しい顔のヴェーラだった。カティは息を飲む。胸が強く痛んだ。呼吸が浅く、速くなる。

 ヴェーラは眉尻を下げ、口角を上げた。そして唇の動きだけで告げる。

「ありがとう」――と。カティには確かにそう伝わっていた。

 カティは一度止めてしまった足を再び動かし、ヴェーラの名を叫ぶ。

 視界が歪んでいた。息も上がっていた。唇が震えていた。足ももつれそうになる。

 しかしカティは力を抜かず、ただ前に前にと進もうとする。

 そんなカティの前で、ヴェーラはマリオンとアルマから手を離し、数歩さがった。

『さぁ、わたしはきみたちの未来のために、ここにいる。わたしを、撃て』

 その言葉の意味を認識した直後、カティの意識はコックピットに戻っていた。

 眼下にはセイレーンEMイーエム-AZエイズィと、変形を開始したニ隻の制海掃討駆逐艦バスターデストロイヤーが向かい合っている。空海域は薄緑色オーロラグリーンの炎に覆い尽くされていた。カティのエキドナもまた、その炎に取り巻かれていたし、少し離れた場所で状況を見守っていた第二艦隊の艦艇たちもまた、それから逃れることはできずにいた。

 その薄緑色オーロラグリーンの炎の中を、が満たしている――。

『セイレネス・発動アトラクト! モード・純白の女神レウコテア!』

 マリオンとアルマが同時に叫んだ。ニ隻の制海掃討駆逐艦バスターデストロイヤーが、直視できないほどに輝いた。

「やめてくれ、ふたりともッ! そんなの、そんなの! ヴェーラが死んでしまう!」

 カティは叫んだ。今のカティにはそれしかできなかった。

「アタシの大切な人を、これ以上奪わないでくれ! もう失いたく、ない!」

 カティはヘルメットを投げ捨て、頭を抱えた。指先がこめかみに食い込むほどに。

「お願いだ、マリア。なんとか、してくれ……」
『カティ』

 マリアの静かすぎる声が、カティの脳内に響いた。

『こんなにも姉様のことを想ってくださって、ありがとうございます』
「違う違う違う! そんな言葉、要らない! そうじゃないんだっ!」
『しかし姉様は、この結末をこそ、望んだのです』
「アタシじゃ、アタシじゃダメだったのか! 約束したのに! アタシ、約束したんだ!」
『あなたのことが大好きでしたから』

 マリアは言葉を詰まらせながら言った。

『大好きな人に、そんなことをさせたくはないと……姉様は思ったのでしょう』
「そんなっ、そんな、こと!」

 カティは今すぐにでもキャノピーを吹き飛ばして外に飛び出そうと思った。だが、身体はまるで言うことを効かない。指先一つ自由に動かせなかった。

「やめてくれ! やめるんだ、マリオン、アルマ! やめてくれ! お願いだ、お願いだ、やめて……」

 カティは必死に祈った。

 この先どんな不幸が訪れようと構わない。何もかも犠牲にしても構わない。

 ヴェーラを助けて欲しいと、必死で祈った。指が折れるほど強く、指を組み合わせて祈った。

 しかし、それも虚しく――。

 セイレーンEMイーエム-AZエイズィが強烈な閃光に包まれた。遅れること数秒、機関部が大爆発を起こす。噴き上がる破片がカティのエキドナに向かって飛んでくる。カティは本能でそれらを回避する。

 噴き上がる煙がエキドナの赤をすすけさせていく。

 ヤーグベルテの最後の戦艦が、炎を上げながら傾斜し、急速に沈んでいく――。

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