14-1-4:歌姫との面談

歌姫は壮烈に舞う

 その後、カティは空軍司令部からの呼び出しを受けて、立ち去ってしまった。残されたエディットたちは施設内の小さな会議室に場を移した。

 体裁として、これがヴェーラたち歌姫セイレーンとヴァルターの始めての対話の機会ということになる。訓練の最中に、いくらかの会話はあるのだが、訓練以外の場で対面するのは(初対面の時を除いては)始めてだった。本来は訓練中の会話も禁じられているのだが、監督しているブルクハルトはそんなことには全く関心がなかったので、挨拶やそこらの会話に対しては何の制限も加えなかった。

「今日はゆっくりお話ができるね、フォイエルバッハ少佐」

 ヴェーラが言いつつ、オフィスチェアの一つに腰を下ろす。ヴァルターは円卓を挟んだ向かい側に座り「話、ねぇ」となんとも言えない微妙な表情を見せた。

「わたしたち、あなたに興味があるの」
「興味?」
「うん。今日の実験でわたし、確信した。カティとすごく似てるんだ、あなたは」
「あのと?」

 ヴァルターはほんの気持ち程度身を乗り出す。ヴェーラはレベッカに視線を送る。促されたレベッカは頷いて口を開いた。

「セイレネスで時、そのの調子、仕掛けられる攻撃のタイミング、隙……そういったもの全てがよく似ているんです」
「だよね」
「そう、なのか?」

 ヴァルターは二人の歌姫セイレーンを交互に見た。美しい少女たち。二十歳前後だろうとは思うが、その表情によって十代半ばにも、もっと大人にも見える、不思議な風体だった。海軍の軍服が二人を大人びさせているのかもしれない。

「俺の中ではまるで違う戦い方をしているように思えたんだが」
「そういう次元の話じゃないんだよね、これが」

 ヴェーラは腕を組んで少し眉根を寄せる。

「あ、わたしのことはヴェーラって呼んでね。こっちのはベッキーでいいよ」
「ちょっ、何その適当な言い方!」

 レベッカが目を三角にして抗議する。が、髪をもてあそんでいるヴェーラは口笛でも吹きそうな勢いだった。ヴェーラは宙を見上げながら呟く。

「フォイエルバッハ少佐ってのも堅苦しくてイヤだな……」
「ちょっとヴェーラ。お友達じゃないのよ」
「ヴァルター……ヴァリーだね」
「あのね、あなた……」

 呆れるレベッカに対して、ヴェーラは右手をひらひらと振る。

「名前は大事だよ、ベッキー」
「馴れ合うつもりはないぞ」

 ヴァルターが首を振る。しかしヴェーラはどこ吹く風だ。ヴァルターはこれ以上の抗議は無駄だと悟り、また頭を振った。

「わかったわかった。改めてよろしくといったところか。ヴェーラ、ベッキー」
「わかればよろしい。よろしくね、ヴァリー」
「よろしくおねがいしますね」

 二人の歌姫セイレーンは天使の微笑をヴァルターに贈った。

 しばらくお互いを探り合うような会話が続いたが、やがて話題は双方の被害についてのものに移る。

「お互いに三百万ずつといった所だな。信じ難い犠牲者数だ」

 ヴァルターは暗い表情で言った。ヤーグベルテ、アーシュオン――双方ともに自他の被害を戦争の燃料にする。被害を出させては戦争を加速させ、被害を出されてもそれを戦争の動機に変えていく。

「トゥブルクという街を知っているか?」
「トゥブルク……確か、ジェスター要塞の隣の街?」
「そうだ」

 ヴァルターは頷く。ヴェーラの表情が一気にかげる。トゥブルクはヴェーラが街だったからだ。

「妻を失ったって話はちょっと前にしたな。彼女はトゥブルクにいたんだ」
「やったのはわたしだ。ベッキーじゃないから」

 ヴェーラが少し腰を浮かせる。レベッカはそんなヴェーラの肘に触れ、着席を促す。ドアの前に立っているエディットは、無表情に腕を組んでいた。

「いいんだ。そういうこともある」

 ヴァルターは平坦なトーンで呟いた。

「それに苦しむこともなかっただろう、あの街の様子を見るに。あれだけの核が炸裂したんだ。即死ではないことのほうが珍しいだろう」
「ご、ごめんなさい……」

 ヴェーラは俯いて、声を絞り出した。レベッカも同じように視線を下げていた。

「謝ってもらったところで、がないわけでもない」
「そう、だけど」
「それに恨むなと言われてもそれは無理な話だ。だが、俺は理解してもいる。俺たちがしているのはルール無用の戦争だってことをね。それにもし俺が本国に帰還したら、そして戦場に出てお前たちと出会ったら。俺は躊躇なく、殺すつもりの攻撃をするだろう」
「今は?」
「今?」

 ヴェーラの意外な問いに、ヴァルターは目を丸くする。ヴェーラは目を上げ、ヴァルターをその空色の瞳に捉える。

「刺し違える覚悟があるなら、今、わたしたちを殺すくらいわけないでしょ?」
「バカを言うな」

 ヴァルターは憤然として言った。

「馬鹿を言うな。ここは戦場じゃない」
「そうかな?」

 ヴェーラはヴァルターを見える。

「わたしたちはきっと、これからもまた何万人も殺すんだよ。アーシュオンの人にとってわたしたちは、どこまでも追いかけてくる悪夢みたいな存在になる。あなたは今、千載一遇のチャンスを手にしている。わたしたちを今ここで殺せば、その何万何十万という犠牲者を未然に防げる」
「やらないさ」

 ヴァルターは肩をすくめる。

「お前たちと俺を隔てているのは、この円卓だけだ。いつでも飛び越えてお前たちを殺せるだろう。だが、俺は飛行士アビエイターだ。俺の戦場は、空だけだ」
「でも――」 
「くどいぞ、ヴェーラ・グリエール。俺は戦闘機に乗っているときにしか人を殺さない。これは俺の矜持プライドだ。確かにお前たちは俺の妻と、その腹の中にいた子どもの仇。恨んでいないといえば嘘さ。だが、お前たちを殺すなら戦場だ。あの戦艦ごと葬ってやる」

 ヴァルターは一息でそう言うと、椅子の背もたれに体重を預けた。

「正直言えば、はらわたは煮えくり返っているさ、そりゃな。エルザのために何かしなくてはという焦りみたいなものもある。だが、それは今ここでお前たちをくびり殺す事なんかじゃない」

 ヴァルターは数秒の間を置いた。

「お互いの数百万、それだけの人間の死を無駄にしないただ一つの方法。それを果たさなければ誰も救われない」
「ただ一つの……?」
「そうだ」

 ヴァルターはテーブルに両肘をついた。

「戦争をやめること。やめさせることだ」

 その言葉にヴェーラとレベッカは絶句する。

「そんなの――」
「あれだけの兵器を、パラダイムシフトを起こすようなものを自在に操れるお前たちが、無理だの無茶だの言っていては世界は何も変わらないだろう。セイレネスは良かれ悪しかれ、必ず戦争に変化を起こす。現に起こしつつある。戦略も変わるだろう。今すぐにでも戦争を終わらせられるのは、その可能性があるのは、お前たちしかいない」

 ヴァルターの黒褐色の瞳がヴェーラとレベッカを見、そしてエディットに移る。

「ルフェーブル大佐だって、戦争の継続は願ってはいないだろう」
「……そう、だな」

 エディットは沈鬱な声で応じる。

「一時的とは言え、戦争が中断でもなんでもされてくれれば、俺も無事に国に帰れるだろうしな」
「ヴァリー……」

 ヴェーラは噛み締めるようにその名前を呼ぶ。

「改めて、ごめんなさいって言わせて。わたしのために、聞いて」
「だから――」
「偶然とかそういうのはどうでもいいの。わたしはあなたの奥さんと赤ちゃんを……」
「謝って誰が幸せになる?」

 ヴァルターは平坦な声で尋ねる。

「お前の自己満足が満たされるのか? いや、そんなことはないだろう」
「でもわたし、わたし」
「戦争は取り返しのつかない事だらけだ。俺だってヤーグベルテの人間を何十、あるいは何百と殺してきた。彼らはそれぞれに良き父であり母であり、息子であり娘だったかもしれない。彼らを大切に思っていた人々に、俺はどこまでも恨まれているだろう。だが、俺はそういう人々に謝ろうとは思わない。俺は職責を果たしただけ。お前たちと同様にな」

 ヴァルターの視線がヴェーラをえぐる。

「わたしね、ヴァリー。わたし、あなたのおかげで目が覚めた。たくさん殺して、その死に触れて、色々とさとった気になっていた。現実を知っている気になっていた。でも違った。わたしが見ていたのはだった。殺した人の数、苦しんだ人の数、恨んだ人の数……。あなたに出会わなければ、わたしずっと間違ったままだった」

 ヴェーラはレベッカの右手を握りしめる。レベッカも全力で握り返した。

「あなただけじゃないわ、ヴェーラ」
「……きみにこんなごうは背負わせたくない」
「バカ言わないの」

 レベッカがピシャリと言う。

「あなた一人を地獄には送らないからね」
「きみには幸せになって欲しいんだけど」
「バカね」

 レベッカが首を振る。

「大切に思う人がいる人はね、一人だけじゃ幸せになれないのよ」
「そうだな」

 ヴァリーがため息まじりに同意した。それを見て、レベッカの顔が少しひきつった。

「ご、ごめんなさい」
「いいのさ。彼女がもういないことについては、とっくに受け入れられている。それにな、あのな、お前たちにそんな顔されたら、俺はこの恨みをどうしたらいいかわからなくなるじゃないか。いっそバカバカしくなってくる」
「ヴァリー……」
 
 ヴェーラの視線を受けて、ヴァルターは芝居じみた動作で肩をすくめた。

「ヴェーラも、一人でこんなことを抱えられるなんて自惚うぬぼれるな。お前にはベッキーという素晴らしい相棒がいるじゃないか。二人で分け合えよ、ちゃんとさ」
「でも、わたしは」
「ベッキーにきれいなままでいてほしいと願っているのかもしれないが、それはお前の我儘わがままだ。ベッキーのことを何もわかってない」

 ヴァルターの静かな声に、ヴェーラもレベッカもうつむいてしまう。

「ベッキーのこともちゃんとわかってやれよ」
「わかってるもん」
「お前は自分の手だけを汚せば、ベッキーが辛い思いをしないとでも思っているのか?」
「わたしは」
「その手を真っ赤に汚させたくない、だけだろ」

 ヴァルターの指摘は図星だった。だがヴェーラは頑迷に首を振る。

「あんな思いをするのはわたしだけで良いんだ!」
「あのなぁ、ヴェーラ。その結果、レベッカはお前の何倍も苦しむんだぞ」
「そんなことない!」
「……あるわ」

 レベッカが静かに言った。ヴェーラは驚いたようにレベッカを見る。

「あるのよ、ヴェーラ」

 レベッカはそれだけを強い口調で言い、それからは口を引き結んでしまった。ヴェーラは言葉を見失ってオロオロとレベッカとヴァルターの間で視線を往復させる。

「さて、今日のところはこのくらいでいいんじゃないか」

 ヴァルターは立ち上がるとエディットを見て頷いた。エディットも「うむ」と反応し拳銃を抜いた。そして二人は部屋を出ていく。

「ヴェーラ、わかってくれる?」

 ドアが閉まったのを見て、レベッカは掠れた声で尋ねる。ヴェーラはゆっくりと頷いた。

「ごめん、ベッキー」
「いいのよ」
「きみ、わたしのこと愛してる?」
「もちろんよ」

 レベッカはテーブルに突伏つっぷしているヴェーラの背中に触れる。

「わたし、やっぱりきみには綺麗なままでいて欲しい」
「私はあなたと一緒に返り血を浴びたい」

 そしてそれは国家が求める姿だ。

 だが、まぎれもなくレベッカの本心でもあった。

「わたし、笑ったりしたらきっといけないんだよね」
「そんなことないでしょ」
「だって、何百万人から笑う権利を奪ったんだよ。一方的に、完膚なきまでに」

 ヴェーラの心のシャッターは閉ざされていた。レベッカですら開けられないほどにしっかりと。

「ちょっと頭を冷やしてから行くから、一人にしておいてもらえるかな」
「ヴェーラ……」
「そ、その代わりさ、きみを苦しめたお詫びにさ。今夜一緒に寝ようよ」
「対価としては安すぎなのでダメ」

 レベッカはわざとらしく言った。ヴェーラは「やれやれ」と応じて、不意にレベッカに抱きついて、その頬にキスをした。

「おまけの先払い」
「……負けたわ」

 レベッカはそう言って立ち上がった。ヴェーラは再びテーブルに顔を伏せる。

「私もキスして良い?」
「帰ってからね」
「あなたのペースに飲まれてばっかりでしゃくだけど、まぁ、いいわ」

 レベッカが部屋を出ていく。

 一人取り残されたヴェーラは「はぁ」と溜息を付くと、ぽろりと涙をこぼした。

「みんな、ごめん」

 たくさん泣けば、ちょっとは立ち直れる――。

 ヴェーラはそう信じて、声を上げて泣いた。

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