ハーディとヴェーラたちの溝は埋まらない。それどころか急速に拡大しているようにさえ見えた。セイレネスが正常に運用管理されているという現状が奇跡とさえ言える――ハーディ自身はそう認識していた。
もっとも、軍上層部としては本人たちの間の軋轢などどうでもよかった。滞りなくアーシュオンの戦力を漸減し続けられさえすればそれで良かったし、実際にヴェーラたちは想定以上の働きを見せていた。誰からも文句を言わせない、完璧な殺戮劇を繰り広げていた、と言っても良いだろう。
そんな厭世的で定型化した日常は、当事者たちの精神を擦り減らしながら、瞬く間に時間を進めていく。
そして、二〇九二年十月。士官学校ヤーグベルテ統合首都校に、歌姫養成科が設立された。
「あなたたちは、V級です」
ハーディがいるのは収容人数三十名程度の小さな講義室だった。そこには教壇に立つハーディの他、幾分幼さの残る四名の新入生たちが座らされていた。簡単な自己紹介の後で告げられたこの言葉に、四人の少女たちは一様にキョトンとした反応を見せた。
「技術本部は、歌姫の能力をランク分けしました。あなたたち四名は、四段階中上から三番目です。そしてあなた方以外の四十六名はすべて四番目、最下位のC級として認定されました」
その言葉に、少女たちはまたしても反応に困った表情を見せる。上から三番目、いわば下から二番目。そう言われても、なかなか素直に反応はできない。
「一番上はD級です。ヴェーラ・グリエールおよび、レベッカ・アーメリングが該当します。二番目のS級は今年は該当者がありませんでした」
ハーディは無表情に手元の携帯端末に視線を送り、また少女たちを見回した。
「上から三番目と言っても、事実上トップクラスの力を持っています。技術本部の予測では今年はV級の出現は見込まれていませんでしたので、これは嬉しい誤算があったということになります。あなたたちのために巡洋艦級を配備するための予算もすでに審議中です」
「巡洋艦……?」
四人の中でも一際目を惹かれる容姿の少女、エディタ・レスコが思わず声を上げた。セミロングの白金髪を自然に流し、藍色の瞳と透き通るように白い肌の持ち主だった。やや吊り目気味で全体にシャープな印象を纏っている知的な美少女である。ヤーグベルテ北部出身者特有の高身長と白皙の肌によってもたらされる印象は、どこか空の女帝、カティ・メラルティンを髣髴とさせた。
「中佐殿、よろしいですか?」
「巡洋艦級の話ですか」
「はい」
エディタは頷く。ハーディは講義室のメインスクリーンに技術本部の資料を表示させる。そこには「重巡洋艦アルデバラン」と記載された設計図やスペックリストが投影されている。
「あなたたちはそれだけの力があります。駆逐艦級に載せられる程度のセイレネス・システムでは、あなたたちの能力を引き出すことは不可能です。それゆえに、巡洋艦級が必要だという具合に、技術本部が予算委員会では証言しています」
ハーディは一息で説明する。技術本部による解析の結果、エディタ・レスコがダントツで能力が高く、次いでトリーネ・ヴィーケネス。クララ・リカーリとテレサ・ファルナはギリギリV級という結果だった。だがそれでもそれぞれが半個艦隊並の火力を有しているとさえ言われ、圧倒的戦力となるのは間違いがなかった。
「あなたたち用のセイレネス・シミュレータも現在建造中です。遠隔ではありますが、半年後には実戦参加ということになります、計画通りならば」
「じ、実戦……ですか!?」
短い黒髪に灰色の瞳の少女、トリーネ・ヴィーケネスが声を上げる。おっとりした容姿に似合わぬ、硬い声音だった。ハーディは事もなげに点頭する。
「最前線のサポートという形になりますが、索敵といくらかの艦隊防護を担っていただきます。遠隔とは言え実戦ですから、無論のこと危険は伴います」
「あの、中佐殿。そのセイレネス・シミュレータというのは……」
エディタの問いに、ハーディは軽く眼鏡の位置を直す。
「シミュレータについては、後日技術本部のブルクハルト中佐より説明があります。我が国には、彼以上にセイレネスについて詳しい者はおりません。詳しくは彼に訊いてください」
ハーディはそう言うと、話を打ち切ろうとした。その時、エディタが再び手を挙げる。
「D級のお二人には、お会いできないのでしょうか」
「そうしたいのは山々なのですが」
ハーディの表情は、冷たい金属のように変わらない。
「知っての通り、二人は現在身動きできないほどに多忙です。それにいささか調子も悪い。後日機会は設けますが、時期については約束できません」
そこでトリーネが小さく頷く。
「それだけ歌姫は戦わなければならないということなんですね。我々の知っている以上に」
「肯定です」
ハーディはトリーネを一瞥して応える。
「メディアで公表されているものは、歌姫としての役割のほんの一部です。そこには、あなたたちのためにシミュレータの性能を向上するための研究なども含まれています。正直に言えば、二人は慢性的な過労状態にあります」
ハーディは未だに緊張が解けない様子の四人を見回してから、携帯端末をポケットにしまった。
「あなたたちの登場と、その協力により、二人のD級のタスクが分散されることを願っています。一日も早く、二人をサポートできるようになってください。あなたたちの訓練は、とりわけ過酷なものとなることを予告しておきます」
「はい」
エディタたちが揃って応じた。ハーディはゆっくりと頷く。
「国家を守ることはとりあえず置いておいて構いません。まずはヴェーラ・グリエールおよびレベッカ・アーメリングの負荷を軽減することだけを目標に置いてください。これには一刻の猶予もありません。時間を無駄にすることなく、励んでください」
そこまで言ってから、ハーディはほんの僅かに表情を緩めた。
「あなたたちの憧憬の念を利用する形になってしまって、申し訳ないとは思っています」
「それは、違います」
エディタが三人を見回してから、代表して言った。
「いや、違わないかもしれませんが」
そうもごもごと口の中で言ってから、またエディタは顔を上げた。
「私たちはあのお二人のそばにいられるだけでも光栄なのです。まして力を求められているとあらば」
「そうですか」
「私たちのこの降って湧いた力……それがどんなものか、まだ私たちはわかっていません」
エディタは右手を握る。
「しかしこれが助けになるというのなら、これは幸運だと思っています」
「ありがとう、エディタ・レスコ」
ハーディはまた目を細めると、話は終わったと言わんばかりに講義室から出て行った。
エディタは右手を開き、また握る。
「差し引きはわからない。けど」
「少なくとも憧れの人のそばに立てる可能性が高くなった。これは嬉しいことだよね」
エディタの右手に両手を重ねて、トリーネが微笑んだ。