講義室に取り残されてしまった四人の新人歌姫たちは、互いにおずおずと顔を見合わせた。昨日の入学式で一応挨拶程度のことはしたが、それきりだった。入学初日からスケジュールが過密で、いまさっきになってようやく一息つけたという状態だったからだ。四人が四人とも、体験したことのないほどの忙しさの洗礼を受けて、今現在かなり脳の温度が上がっていた。
四人はそれぞれ、他のメンバーの様子を探った。会話の口火を切るのが難しい――エディタが表情をこわばらせ始めた時になって、トリーネが「はい!」と手を挙げた。
「あーっと、えーっと、あたしたちさ、これからずーっと一緒にやっていく仲間じゃん? だからまずは王道の自己紹介とか、どう?」
「名案だ」
エディタはほっとした様子で賛同した。トリーネは黒い短髪に手をやって「でしょ?」とウィンクを送る。クララとテレサも「そうだね」と頷いた。
「じゃぁ、言い出しっぺのあたしから! あたしはトリーネ・ヴィーケネス。実家は統合首都にあるから、まぁ、ほら、地元民ってやつ。両親共に海軍だから、軍の誘いっていうかスカウト? に、一も二もなく乗っかったっていうわけ。歌姫の能力があるなんてなかなか信じ難かったけど、嘘でも何でも、レベッカのそばに立てるならそんなに嬉しいことはないなって」
「レベッカ派なの?」
テレサが鋭く突っ込んだ。トリーネは大きく頷く。
「ヴェーラも最高だけど、レベッカのほうがあたし好み! って感じかな?」
「なるほどね」
テレサは何事かに納得した。次に口を開いたのはエディタだった。
「私はどちらも天井」
「お金かかるやつだ!」
トリーネは笑う。エディタは「まぁな」と苦笑する。
「私は北部の田舎も田舎、一般に言う限界集落みたいな場所で育ったから、そのくらいの趣味はある程度ね。親も理解あった方だと思う」
エディタは机にお尻を乗せて軽く腕を組んだ。エディタはシャープな印象の美少女だったが、その九頭身とも言われる身体バランスもあって、少々男性的な所作が非常に似合う。
「村には女子がいなくて、男子とばかり遊んでいたから、今はこんなだ。なんかすまない」
「素敵だよ、エディタは。妖精みたいだって思ったもん」
トリーネが微笑を見せる。エディタは少し頬を染めて右手を振った。
「恥ずかしいこと言うなよ」
「だってほら、ニュースでも、ヴェーラをも凌ぐ超絶美少女! とか書かれているじゃない」
「畏れ多すぎる」
昨夜その記事を見た時、エディタは思わず携帯端末を投げ捨てたほどだ。トリーネは自然な動作でエディタの前髪に触れた。
「このきれいな白金髪は、確かにヴェーラを髣髴とさせるよね」
「その白い肌は、さながら空の女帝だ」
クララはテレサの隣に座りながら言った。
「南部出身?」
「あ、うん。カティ・メラルティン少佐の故郷の近く……といっても車で六時間はかかるけど」
「あの辺の人は美人が多いからねぇ」
クララは肩を竦めた。そういうクララもかなりの美少女に分類されることは間違いない。漆黒のセミロング、くっきりとした黒い双眸。肌の色はやや黄色く、いわゆる東海岸系の顔立ちだった。
「それでそれで、エディタ。趣味とかある?」
トリーネはエディタの前髪をくるくると弄びながら尋ねる。エディタはその距離の近さに戸惑った。
「しゅ、趣味は、その、ネットと読書と……筋トレだ」
「意外とマッチョなの?」
トリーネは前触れもなくエディタのお腹に触れ、「なるほど」と納得する。
「腕もそうだけど、引き締まってるね!」
「びっくりするから……」
「ごめんごめん。距離感バグってるとはよく言われるんだ、あたし」
トリーネは悪びれもなくそう言って笑った。
「いやだった?」
「う、いや、びっくりするだけ……ひゃっ」
エディタは素っ頓狂な声をあげた。トリーネがスラックス越しに太腿を掴んだからだ。
「かったーい! すごいね、こんな美少女なのに体脂肪率一桁じゃない、これ」
「そ、そこまでじゃない」
気圧されるエディタである。
「エディタと仲良くするには本を読むかジムに行くかすればいいのね」
「筋トレなんて歌姫に意味あるかな」
「何言ってるのエディタ」
トリーネは右手の人差し指を振った。
「筋肉は己そのもの。最後に頼れるのは己のみ。よって筋肉がすべてを解決する。昔の偉い人がそう言っていたよ」
「すごい論理が飛躍している気がする」
「難しい言葉は聞こえないトリーネちゃんです」
トリーネはわざとらしく耳を塞ぐ。エディタは苦笑を見せて首を振った。
「君の趣味を聞いてない」
「あたしの? そうね、歌うのが好きだよ。カラオケめっちゃ行ってた。ヒトカラもしょっちゅうね。あとはピアノ! 実はとっても自信があるよ。二年前は全国区のコンクールで優勝したよ。音楽学校の入学も、実は決まってたんだ」
トリーネは胸を張って言った。三人は「おお」と声を上げる。
「カラオケは、ヴェーラとレベッカの?」
「もちろん。二人の全曲マスターだよ、百点」
「すごい」
テレサが手を叩く。
「歌はねぇ、ホント大好きでさ。でもあたしの歌はコピーなんだ。いつかレベッカを越える。あたしがオリジナルになるんだって、それがちょっとした夢かな」
「私は歌はあんまり得意じゃないから、尊敬しかないな」
エディタは難しい表情で言う。トリーネはエディタの肩を抱くようにして、ニッと笑う。
「訓練すればうまくなるんだ。否応なしに歌わされるだろうしね」
「憂鬱だ……」
「さて」
クララが痺れを切らしたかのように首を回しながら言った。
「二人で盛り上がってる所すまないけど、僕らのこと覚えてる?」
「ああ、すまない、クララ」
「僕はクララ・リカーリ。見てわかると思うけど、東海岸出身」
クララはエディタたちと同じ十六歳でありながら、それ以上に大人びた雰囲気の持ち主だった。
「何回か陸戦に巻き込まれたこともあるんだ。おかげさまで十二歳にして戦災孤児さ」
あっけらかんと言い放つクララに対し、エディタたちは掛ける言葉を見つけられない。今時分、戦災孤児はさほど珍しくもない。本土空襲の続くこの数年だけで考えても、数万からの戦災孤児が生まれているとも言われている。
「どっちみち施設から出なきゃいけない年齢だったってのもあって、軍からの誘いに一も二もなく飛びついた。元々軍には入ろうと思っていたしね」
「もともと?」
エディタが首を傾げると、クララは一瞬荒んだ笑みを見せた。
「もともとだよ。この手でアーシュオンに復讐するためには、兵隊になるしかないだろ? まして歌姫だ。ヴェーラたちほどの活躍はできないかもしれないけど、それでも何百人か何千人かは、憎たらしいアーシュオン人を殺せる。そう思うだけで僕は初陣を待ちきれない」
クララの目がギラギラと輝いている。そんなクララの肩に、テレサが手を置いた。
「ま、落ち着きなさいよ、クララ。今からヒートアップしてても、敵は倒せないわ」
テレサ・ファルナは、長い金髪とエメラルドの瞳に、やや褐色の入った肌の持ち主だった。
「クララは休日は何してるの?」
「今までは筋トレ。施設じゃすることがなかったからね。でもこれからは勉強になるかな。だってほら、僕はエディタたちに比べると歌姫としての力は劣ってるらしいから、そういうところでがんばらないとねって」
「へぇ、見た目にそぐわず真面目なんだ?」
「なんだよ、テレサ。僕が不真面目に見えるっていうの?」
「もっと脳筋タイプかなって」
「不真面目より酷いよ」
クララは大きく溜息をついた。
「で、テレサ。トリは君だけど」
「はいはい。私はテレサ・ファルナ。セプテントリオ出身」
「セプテントリオだって?」
トリーネが目を丸くする。セプテントリオという名の都市はもう存在しない。ISMTによる自爆攻撃によって、蒸発してしまった都市である。
「当時、私は家族と一緒に旅行してたの。だから難を逃れたというわけ」
「そ、そうか。ラッキーだったな」
エディタが思わずそう言ったが、テレサは唇を歪めて両手のひらを天井に向けた。
「どうだか。家はなくなったし、友達もひとり残らず死んだわ」
「す、すまない」
「いいのよ、エディタ。あなた、見た目通りに本当に真面目ね。好きよ、そういうところ」
「好き……」
「そういう意味じゃないわよ、安心して」
テレサは髪を後ろにやりながらエディタを見て凄みのある笑みを見せた。エディタは思わず緊張する。蛇に睨まれた蛙のようだと、エディタは自分を評価する。
「でも、エディタの言う通り、ラッキーでもあったわ。歌姫の才能がどの程度のものかはともかく、私もクララと同じ。アーシュオンの連中に、私たちと同じ目にあわせてやりたい。失う辛さを、明日への不安をこれでもかというくらいに味あわせたい。ヴェーラやレベッカのそばで戦える事は嬉しいけど、それ以上にこの手で復讐を行える、それも大規模に。その事が嬉しいわ」
「核の何発かくらい撃ち込んでやりたいよね」
「ええ」
クララの言葉に頷き、テレサは微笑み合う。エディタとトリーネは顔を見合わせる。
「なるほど。クララとテレサの動機はよくわかったわ」
トリーネの言葉に、クララが少し驚いた顔をした。
「批判しないのかい?」
「批判?」
「復讐で力を使うなとか、そんな事は虚しいとか、僕は散々言われてきたよ」
「なんだ」
トリーネは首を振る。
「そんな安っぽい言葉、このトリーネちゃんが言うわけないじゃん。だって、あたしたち、出自も経験も違うんだし」
「でも、僕は」
「その動機は、同僚としてはとても心強いよ。話してくれたことも含めてね」
トリーネはクララのところまで歩いていくと、その両肩に手を置いた。
「あたしはクララのもテレサのも、それに対してどうこう言う権利もなければつもりもないんだよ。あたしはあなたたちを同僚として信じるし。それ以上のことなんてない」
「君のその純粋さは僕には眩しいくらいだ」
クララは肩に乗せられたままのトリーネの手の甲に手を重ね、目を細めた。
「世間知らずなんだ、あたし。だからクララにもテレサにも、学ぶところはたくさんあると思う」
「よく出来たお嬢様ね」
テレサが笑う。その笑顔には嫌味はなかった。トリーネはテレサの方へ顔を向けて、花の咲くような笑顔を見せた。
「よく言われる」
「人たらし」
「それもよく言われる」
「まぁ」
テレサは「この子には勝てないなぁ」と感じつつ、立ち上がった。クララもそれに倣う。
「時間も遅いし、そろそろ解散しましょ。なんか疲れちゃった」
「そうしよう」
エディタが荷物をまとめながら同意する。トリーネは自分の携帯端末を取り出して「連絡先交換しとこうね」と提案した。
連絡先を交換して、四人はそれぞれに講義室から出ていこうとする。
「あたしたちは仲間」
最後尾のトリーネがゆっくりと噛みしめるように言う。三人は足を止める。
「何があろうと仲間だからね」
「ヴェーラとレベッカのために」
エディタが言う。トリーネは頷く。
「変わらず二人を支えていれば、いつかこの世界は明るくなる。あたしたちは、たった二人で戦っていたあの方たちにとっては、もしかしたら希望なのかもしれない」
「希望……」
クララとテレサが同時に繰り返す。そこでトリーネが首を振った。
「いや、かもしれないじゃなくて、希望にならなくちゃならない」
「そうだな」
エディタはトリーネを振り返る。
「そのためにも、私たち四人は突き進まなきゃならないな」
「おともだちの馴れ合いはゴメンよ」
テレサが釘を刺す。エディタはやや気圧されながらも「もちろんだ」と反応する。
「やるべきことをやろう。私たちは」
「だね」
クララがエディタに賛同する。
「それじゃ、僕は一足先に帰って寝るよ。V級歌姫が講義中に居眠りなんて洒落にならない」
「格好が悪いのだけはイヤよね」
テレサがクララを追い越して歩き去った。クララもそれを追ってエディタの視界から消える。
「さ、行きましょ、エディタ・レスコ」
「う、うん。で、なんで腕を?」
エディタはいつの間にか腕を組まれていたことに気が付いた。
「スキンシップが好きなんだよ、あたし」
「そ、そうか……」
エディタは未だに慣れないこの距離感に戸惑いながらも、連れ立って寮へと帰っていった。