08-3-1:狙われたステージ

歌姫は背明の海に

 それから約四ヶ月後、新曲「セルフィッシュ・スタンド」がリリースされてから一ヶ月が経過した、二〇九五年八月――。

 軍服姿のヴェーラとレベッカは、巨大な野外ステージの中央に立っていた。ほとんど全方位を観客に取り囲まれている、円形のステージだ。詰めかけたヤーグベルテ国民は十万とも言われる。ネット中継のアクセス数は、ライヴを開始したばかりの時点で二千万。今や億に乗る勢いで増えている。二人が「軍隊アイドル」などと呼ばれ始めて久しいが、二人の人気は全く衰えることがなかった。ヤーグベルテのみならず、同盟国のエル・マークヴェリアからの視聴者数も一千万を超えているという状況だ。視聴チケットの売上だけで数十億UCユニオンキャッシュになるだろう。

 二人の歌のレパートリーはすでに百曲を超えた。今日は「セルフィッシュ・スタンド」をメインにえたセットリストが組まれていた。しかし、そのうちの半分では、ヴェーラたちは歌うことはない。実際の戦闘時に、を編集したものを、二千万人以上の感覚で同期する。そこで生じる一種の催眠効果によって、聴衆たちを魅了するのだ。それには麻薬的な依存性があるのだが、国家としての抑止は、一切行われていなかった。反対する者も

 ヴェーラもレベッカも、それについて思うところはある。だが、活動自体には手を抜かなかった。十代の頃から続けている活動であり、もはや身体に刻み込まれてしまっていると言ってもいいくらいだったからだ。それに戦場で人を殺すよりも、何万倍も気楽な仕事でもあった。

 ライヴも終盤に差し掛かった頃、ステージにほど近いところで大きな騒ぎが発生した。

 観客たちが鮮やかに将棋倒しになる。怒号と悲鳴が上がる。海兵隊の兵士がまっさきに動く。

 ヴェーラは音楽を止めさせ、マイクを通じて呼びかける。

「慌てないで! 警備員の指示に従って!」

 そうこうしているうちに、警護官のジョンソンとタガートがステージに駆け上がり、ヴェーラたちを守るように両手を広げた。そしてそのまま、ステージ脇に停車させられている装甲車に導いていく。

「ちょっと待って、ジョンソンさん」

 レベッカが険しい表情で足を止める。

「どうかしましたか」
「なにか違和感があって」

 しかし、周囲の騒ぎはますます大きくなり、兵士たちでも押さえが効かなくなっていた。断続的な銃声さえ響いている。もはやそれはただの事故ではないということは明白だった。組織立った何者かによる襲撃、いわばテロ事件である。

「姉様、ご無事ですか!」

 マリアがステージの反対側から走ってきた。マリアがヴェーラたちに合流したその瞬間、ヴェーラたちが今まさに乗り込もうとしていた装甲車が爆発した。周囲の海兵隊員たちがバラバラになって吹き飛び、焼けた。二十五トンの車輌が面白いように宙を舞い、地面に跳ねた。その爆風を受けて、ヴェーラたちも大きく吹き飛ばされてステージの上を転がった。

「ジョンソンさん!」
「お怪我はありませんか」 

 ヴェーラに助け起こされながら、ジョンソンが白い歯を見せる。ジョンソンは煤けてはいたが大きな怪我はしていないようだった。咄嗟とっさかばわれたヴェーラは全くの無傷だ。その後ろにいたタガートも瞬間的にレベッカとマリアを抱きかかえて守っていた。

「わたしはおかげさまで無傷だよ、ジョンソンさん。でも二人とも真っ黒だ。だいじょうぶ?」
「ははは、なんてことはありません。久しぶりに仕事ができて光栄です」

 ジョンソンはまた白い歯を見せて笑ってみせた。緊張をほぐそうという心遣いだ。しかしその目は油断なく周囲を警戒している。タガートも同じような視線を周囲に向けながら拳銃を抜いている。

「無茶しないでよ、ジョンソンさん」
「給料分の仕事ですよ、閣下」

 軽口を叩きながら、ジョンソンは銃口をヴェーラの方に向けた。

「えっ……!?」

 驚くヴェーラの肩口を銃弾がかすめていく。その銃弾はステージに上ってきた銃を持った男に突き刺さっていた。十数メートルの距離があったが、それはあまりにも正確に男の額に命中していた。

「ステージは危険だ。降りよう」

 タガートが別の男の肘を撃ち抜いてから言う。ステージの周囲に人はまばらだったが、それでも幾らかはいる。海兵隊の兵士たちが散らしにかかっているが、明らかに及び腰だ。市民への発砲――躊躇しても当然だった。かといっていちいち銃を持っているかどうかを確認するような余裕もない。

 しかし、ジョンソンもタガートも、躊躇は全く無かった。正確無比な射撃で次々と針路にいる市民を無力化していく。

「関係ない人もいるんじゃ」
「殺しはしません。賠償責任は軍が負います」

 ヴェーラの言葉にジョンソンは澱みなく応じる。

「今は閣下の無事が最優先事項です。よろしいですね、カワセ大佐」
「ええ、もちろんよ、ジョンソンさん。あなたたちの判断を私たちは信頼しています」

 マリアはそう言いつつ、携帯端末モバイルを睨んでからポケットにしまった。

「なんていう無様さなのかしら!」

 マリアにしては珍しく怒りの感情を隠していない。ヴェーラは移動しながら肩をすくめる。

「海兵隊と海軍陸戦隊、そして参謀部手配の陸軍部隊で連携が取れてないんだねぇ」
「回線も全部死んでます。これでは連携のとりようがないわ」

 レベッカは遠くに見える戦闘ヘリを発見する。あれに乗って脱出しろということだろう。

「ねぇ、ベッキー。これ、とは、違うよね?」
「た、たぶん……」

 少なくとも撃たれたら死ぬ。良くても戦闘不能になっている。のように見えている。回復することもないし――レベッカは厳しい表情で周囲を観察する。もはや銃弾と怒号が飛び交う戦場に変わりつつある。射撃を躊躇ためらっていた兵士たちも徐々に統率を取り戻しつつある。完全武装の兵士と、銃だけを持った暴徒。まともにぶつかれば戦況がどうなるかはあきらかだった。

 だがいかんせん暴徒の数が多かった。兵士たちではカバーしきれない領域が多数発生してしまう。

 ステージ脇がまさにそのスポットだった。潜んでいた銃を持った暴徒たちが、一斉にヴェーラたちに銃口を向ける。ジョンソンとタガートが瞬間的に立ちはだかり、ヴェーラたちはマリアに促されてしゃがみこんだ。

 暴徒たちの引き金が引かれようとしたその瞬間、先頭にいた男の上半身が赤い霧となって消滅した。ついでその後ろにいた女の頭部が弾け飛び、その後ろに並んでいた暴徒たちの視界を塞ぐ。

 その隙をついて、ジョンソンとタガートが暴徒たちに向けて発砲を開始する。またそれとは別に飛来してきている銃弾が、的確にターゲットを撃ち抜いていく。

 そうこうしているうちに、ステージ脇に生まれた間隙に戦闘ヘリが着陸した。

「ハーディ!?」

 ヘリから降りてきた人物に、ヴェーラたちは硬直する。

「回線の死活監視を行っていたのが功を奏しました。ただ、部隊が混乱していて到着が遅れました。申し訳ありません」
「いえ、結果として我々はほとんど無傷です」

 マリアはヴェーラたちをヘリに誘導しつつ、事務的に言った。ハーディは頷く。

「ところで、あの射撃は中佐が?」
「肯定です」
「まだまだ腕はなまっていないようですね」

 マリアはヴェーラとレベッカをヘリに押し込み、自分も乗った。ハーディは手にしたアサルトライフルで暴徒を威嚇しながら、最後に乗り込む。

「ジョンソンさん、タガートさん! 気を付けて!」

 ヴェーラが手を振る。ジョンソンとタガートはヘリに背を向けたまま、黙って左手を上げた。ヘリが上昇し始めたその時、ジョンソンは暴徒から奪ったアサルトライフルを連射した。それを見て取ったハーディが、長大な銃身を持つ狙撃銃を構えて、ヘリから身を乗り出した。

「対空ミサイル!?」

 マリアが巨大なスピーカーの一つを指差す。そこには携帯式対空ミサイルを構えた男がいた。ハーディはスコープを覗き、一瞬の躊躇もなくトリガーを引いた。男の頭の上半分が消し飛び、周囲がまだらに染まる。

「ハーディ、ジョンソンさんたちを助けて!」
「了解しました」

 ハーディは狙撃銃を地上に向け、リズムよくトリガリングしていく。空薬莢が床で弾んで地上に落ちていく。ハーディの狙撃は現役を退いて久しいというのが嘘のように精確だった。ジョンソンとタガートの戦闘力も化け物じみてはいたが、それでもハーディの支援がなければ友軍との合流は叶わなかったに違いない。

「ハーディ中佐、そろそろ良いでしょう」
「そうですね」

 ハーディはマガジンが空になったのを確認して、小さく息を吐いた。ヴェーラとレベッカは、ハーディのクールな狙撃手としての一面を目の当たりにし、知らず知らずのうちに硬直していた。ハーディは狙撃銃を抱えたまま、マリアをうかがう。

「カワセ大佐、これはいったいどういう事態なんですか」
「わかりません。ですが」
「待って!」

 レベッカが鋭い視線を地上に向けた。数百メートル離れた所に、なにか大きなものを抱えた男がいた。

「見て、あそこ!」

 レベッカの声がヘリの爆音を引き裂いて響く。

 ヴェーラには時間の流れがひどく緩慢に感じられた。

 ハーディが投げ捨てた空のマガジンが乾いた音を立てて床を跳ね、壁に当たってから開いたままのドアから地上に落ちていく。

「姿勢、そのまま!」

 ハーディがパイロットに向かって叫ぶ。ヘリの搭載火器で攻撃するためには、姿勢を変えねばならない。そんな時間はないとハーディは判断した。

 新たなマガジンを装着し、コッキングレバーを勢いよく引く。そのまま流れるような動作で機体から身を乗り出して狙撃銃を構え、構え終わったその瞬間には引き金を引き絞っていた。

 だが、地上の動きのほうが少し早かった。射手は上半身を消し飛ばされていたが、携帯式対空ミサイルはまっすぐに飛んできていた。

 ヘリは瞬間的に退避行動を取り始める。

 あ、これは死ぬかな。

 ヴェーラは迫りくる赤い弾頭を目にして、そう思った。

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