一人でICUに入ったレベッカは、ベッドに横たわるその人を見て、言葉を失った。これまでずっと顔は包帯で覆われていたが、今はそれは取り払われていた。白一色の頭部が、赤黒い肉の塊になっていた。その中ほどに空色の瞳が見えたが、それも以前のものとは輝きが違っていた――機械の目だった。その見開かれた目は、じっとレベッカを捕捉し続けている。顔の上半分は肉塊と呼んでも差し支えのないありさまだったが、頬や顎、唇、鼻、そして首は、不自然なほどに美しく再建されていた。火傷痕と白い肌によるコントラストのアンバランスさは、不気味を通り越して異様だった。
「やぁ、ベッキー」
半分息が抜けた声が、その唇から発される。それはややハスキーではあったが、紛れもなくヴェーラの声だった。三ヶ月ぶりに聞く、愛しい人の声だった。
「また、会えるんじゃないかって。思っていた、よ」
その唇は苦し気に開いていたが、どこか笑っているようにも見えた。レベッカは手のひらに爪が強く突き刺さっているのを感じながらも、その手を開くことができなかった。それどころか、呼吸をすることすらままならないほど、全身が強張ってしまっていた。
病室特有の、甘ったるい刺激臭がレベッカの鼻をついた。
「全部、燃えちゃったよね」
「……ええ」
肯定を、絞り出す。ヴェーラは小さく、苦しげに息を吐いた。
「それだけは謝るよ。ごめん」
「違う、でしょ」
レベッカは首を振り、ベッドのすぐそばまで歩みを進めた。
「謝るのはそこじゃない」
「なんで?」
「なんでって……?」
不意にレベッカの全身から力が抜ける。すんでのところで踏みとどまり管にまみれたヴェーラのベッドに手をついた。
「あなたは、何をしたのかわかっているの!?」
「死ねるかどうか、確かめた」
「は、はぁ!?」
「結果として、死ねなかった」
ヴェーラがこんな状態でなければ、頬を一撃していたに違いない。レベッカは再び右手に力を込めた。奥歯に限界まで力を込めて、浮かんできた罵詈雑言の類を噛み潰す。
「あなたは……あなたは、私やカティのことまで拒絶したのよ」
「してないよ。きみたちを愛してるから、わたしはこんなことができた」
「意味がわからないわよ! 愛してる人を悲しませるの!? 無力感と絶望感に何ヶ月も……」
「ごめん。でも、だからわたしはあんなことができた。愛する人がいなかったら、わたしは多分、ヴェーラ・グリエールという幻像にしがみついていたと思う」
「私がどんなに苦しんだと思ってるの、あなたは。どれほど――」
レベッカの震える言葉を受けても、ヴェーラは瞬き一つしなかった。
「これはいずれ来る未来だったんだよ、ベッキー。いずれヴェーラ・グリエールは破綻していたんだ。だから、きみの苦しみはむしろ軽減されたと言ってもいいんだ。早いうちにこうなったからね」
「ばか!」
レベッカは首を振る。ヴェーラは微動だにせぬまま、息を吐いた。
「わたしは今日死ぬ」
「何言ってるのよ!」
「まぁ、聞いてよ、ベッキー」
ヴェーラは微笑した。グロテスクに歪んだ表情だとレベッカは感じた。
「ヴェーラ・グリエールは今日、死ぬ。ヴェーラというわたしを演じ続けるのはまっぴらごめんなんだ、もうこと此処に至ってはね。わたしは、そうだな、うん。イザベラ・ネーミアと名乗ろう」
「なんでそんなこと! そんなことしたって、あなたが歌姫である事実は変わらない。私とともに戦場に出ることにだってなる」
「それは、それでいいのさ、ベッキー」
ヴェーラは美しく再建された唇を歪めた。
「わたしはただ、ヴェーラという過去を捨てたいだけ。ヤーグベルテの国民の皆々様がイメージしているわたしの姿を、完全にかなぐり捨てたいだけなんだ」
「そんなことのために――!?」
「ヴェーラの名前と姿では、もはや敷かれてしまったレールから外れることはできない。そうわたしは考えた。わたしは無慈悲な破壊者であるべきなんだ。事実、それを為すだけの力がある以上、わたしは彼らにとって都合の良い偶像なんかであり続けてはいけないんだ」
「でも」
レベッカが口を開くが、それはヴェーラの鋭い視線で制された。
「わたしも、きみも、永遠ではないんだ」
ぴしゃりと言い放たれたその言葉に、レベッカはまた硬直する。
「わたしたちが無責任な存在であるならば、永遠を気取ったっていいんじゃないかな。でも、残念ながらわたしたちは永遠じゃない。少なくともヴェーラはこうして永遠性を否定し、成功しつつある」
ヴェーラの言葉にレベッカの目尻から涙が一筋こぼれ落ちる。
「きみだって、エディタやレニーに、わたしたちと同じ道を歩いてほしいだなんて思っていないよね」
「それは、そうだけど」
「わたしたちの歩いてきた道は決して正しい決断の結果ではなかったし、この先に続く道は暗闇に通じている。わたしはこのわたしの行為によって、その闇を照らす光になれるかもしれない」
ヴェーラは初めて左手を動かした。その手にも火傷の痕はなかったが、再建の際の手術痕は残っていた。赤く痛々しい傷跡がいくつも奔っていた。レベッカはその手のひらを両手で大事そうに包み込む。
「わたしは死ななかった。神様の野郎とやらは、わたしにイザベラとして生き、この馬鹿げた運命論を破壊しろと言った。わたしにはそんなふうに思えるんだ。イザベラは歪んだ未来を正し、歌姫たちの平穏な世界を夢見ている。イザベラは誰の掌上でも踊らない。イザベラはイザベラの意志のみによって、行動する」
ヴェーラは目を細める。ケロイド状の皮膚に埋まった高性能義眼の輝きは、レベッカには底知れぬほど恐ろしいものに映った。
「ベッキー。きみには、綺麗なままでいて欲しい。わたしのような汚穢は、きみのような人がいてくれてこそ、初めて存在の意味を持てるんだ」
「あなたは何を言っているの。さっぱりわから――」
「わかっているはずさ」
ヴェーラは小さく笑った。美しい唇が、ついと口角を上げる。
「今、この世界の未来を手にしているのは、わたしなんだ」
ヴェーラの左手がレベッカの手を強く握る。三ヶ月も昏睡状態だったとは思えぬほどの力に、レベッカは思わず声を上げる。
「このイザベラ・ネーミアがこの不毛な世界を終わらせてやる」
ヴェーラの見開かれた目が、レベッカを捉えている――。