17-2-5:バロックノート

歌姫は背明の海に

 だがしかし、そのPPC粒子ビーム砲での一撃は、例の不審な駆逐艦たちによって張り巡らされたフィールドによって減衰させられる。先頭に打ち立てられた十隻の駆逐艦は無傷、せいぜいが小破だった。イザベラの力が乗っていれば、或いは殲滅も可能だった可能性はあるが、今のイザベラは海域封鎖にその力の大半を使ってしまっている。いくら強力な火砲であっても、通常火力ではセイレネスの前には、このように手も足も出ないのだ。

 もっとも、反射誘導装置パーティクルリフレクターによって狙い撃たれた後続の通常艦艇の被害は甚大だった。数多くの巡洋艦クラスがなすすべもなく沈んでいく。それだけでも大戦果というに値するものだったが、イザベラは油断しない。

「アーシュオンの艦隊に告げる!」

 イザベラの声が響き渡る。

「勝負は決した。ただちに降伏せよ! わたしはヤーグベルテ第一艦隊司令官、イザベラ・ネーミア中将である! 停船し、降伏せよ!」

 しばらく待ってみるが、反応は……ない。その間にも双方で火力の応酬は続いている。

「仕方ない」

 先方がそのつもりなら殲滅する他にない。こちらにも手加減する余力はない。敵の先制攻撃により、こちらは戦力の三割を奪われていたからだ。今となっては敵駆逐艦を鹵獲ろかくする余裕もないだろう。

「全艦、敵艦隊へ突撃! 殲滅せよ!」

 コーラスによる不意打ちは、イザベラが海域封鎖を行っている以上、もはやない。ならばあとはこの駆逐艦たちとの戦いに勝利すれば良いのだ。だが、海域封鎖に力を割いてしまっているイザベラは、攻撃に加わることはできない。エディタやレネに任せる他にないということだ。

 イザベラは意識の中で照準円レティクルを操作してエディタたちに示す。

「各員、指定したターゲットに照準合わせ! 飽和攻撃で潰せ! レニーはヒュペルノルを突出! 切り込め!」
『了解』 
「エディタ、パトリシアは援護。クララとテレサはC級クワイアたちを率いて両翼から敵艦隊を掻き乱せ!」

 戦況は明らかに好転している。レネのヒュペルノルが文字通りに敵艦隊を引き裂いていく。戦艦・ヒュペルノルの火力と防御力は圧巻だった。セイレネス搭載艦だろうがなかろうが、お構いなしに撃沈せしめていく。エディタとパトリシアが、レネの討ち漏らした艦艇を葬り去っていく。クララとテレサの軽巡洋艦は魔法のように敵の両側面を攻撃した。ヒュペルノルの威力に恐れを為した通常艦艇を一網打尽に沈めていく。

「片付いたか――」

 いや?

 何か変だ。

 イザベラが奥歯を噛み締めたその瞬間。イザベラの頭の中がで満たされた。吐き気を催すほどの不協和音が、無秩序に歪められている。それが大音量でイザベラの脳幹を打ちえた。

 敵のあの駆逐艦は、最後の一隻が沈もうとしているところだった。このの発信源は、まさにその駆逐艦だ。艦はもうダメだ。三十度近く左舷側に傾いている。

 そしてその間にも、は続いている。

 苦痛と至福。恐怖と恍惚。

 ぐちゃぐちゃに混ざりあった感情が、イザベラの胸と脳を掻き乱す。

 イザベラは駆逐艦に意識を接近させ、オルペウスによる障壁を強引にじ開ける。その論理防壁は分厚く堅牢なものではあったが、海域封鎖を解き全力を出せるようになっているイザベラには、どうということのないものであった。

「しまっ……!」

 やられた!

 イザベラは舌打ちする。防壁を破った途端に流れ込んできたのは、精神汚染のだった。さっきまでのひずみとは比較にならないほどの、悪意のあるノイズだ。

 まるで睡眠薬を過剰摂取オーバードーズした時のように、イザベラの意識が混濁する。ぐにゃりとした負の感情が、イザベラの中に膨れ上がり、ナメクジのように這い回る。蟻が皮膚の内側を駆け回っているような、言いしれぬ不快感がイザベラの鳩尾を冷たく刺していく。

「くそっ」 

 駆逐艦たちを率いていたのはこいつか。なるほど別格だ。

 イザベラは唇を舐める。

 その駆逐艦の中にいると思われる歌姫セイレーン――否、素質者ショゴスは、驚くほど空虚だった。何も見えない。そこにいるのは確実なのに、イザベラの意識の目には何も映らない。意志が感じられないのだ。例えるなら、肉食昆虫のような、そんな気配だけがある。

 薬物で完全に支配下に置かれた素質者ショゴスだということか。

 ゲテモノ、なるほど納得だ。

 心中で唾棄したその時、イザベラの意識の中に一人の少女の姿が浮かび上がった。いや、姿というよりはだ。首から下はなく、頭髪も眉もない。ただ薄く目を開けて微笑んでいる、能面のような――生首だった。

 なんだこれは!?

 吐き捨てたのと同時に、その生首はブロックノイズと化して消えた。まるで哄笑のようなのこして。

 イザベラにはそのの正体までは把握することができなかった。ただ、猛烈な吐き気に襲われただけだ。ほぼ無防備の状態で、それの捨て身の精神攻撃――断末魔――を受けてしまった。完全に失策だった。

「誘い込まれたというわけか」

 イザベラは肩で息をしながら、自分の軽率な行動を呪った。たかだか駆逐艦――そんな油断があったこともいなめない。

『ネーミア提督、大丈夫ですか!?』

 苦しむイザベラを救ったのは、マリアの鬼気迫る声だった。それによって、意識が現実に引き戻され、ようやく地に足が付いた。

「大丈夫だよ、マリア。ちょっと……いや、かなり油断した。それだけだよ」

 未だに胸に杭でも打ち込まれたのではないかというような、鋭い痛みが残っている。

「それよりマリア、きみは見た?」
『漠然と、ですが』

 マリアは言いにくそうに応じてくる。

「何を見た?」
『生首のような、何か、です』

 同じだ。

 つまりさっき見たもの――少女の生首は、錯覚でもなんでもなかったということだ。

 だがその駆逐艦たちはすべて沈んでしまった。今となっては事実確認のしようもない。イザベラは溜息をつき、首を振った。

「クララ、テレサ。敵の生存者を救出しろ」
了解アイ・コピー

 二人は間髪入れずに、張り詰めた声で応じてくる。

「エディタ、以後は任せて構わないか」
『もちろんです、提督。ただちに再編成の上、本国へ帰投します』
「うん、そうしてくれ。わたしは少々疲れた」

 イザベラは意識を本体に戻し、ゆっくりと目を開けた。真っ暗なその視界に、イザベラはほっとする。視覚にも聴覚にも、ノイズの一つすらない空間だ。イザベラを取り巻く闇が、五臓六腑に染み渡るようだった。

「ああ、エディタ、そうだ」
『なんでしょう、提督』
「今回もよくやってくれた。本当に頼りになるよ、きみは」

 イザベラのねぎらいの言葉から、二秒ほどの間が空いた。

『き、恐縮です!』
「四角四面」

 イザベラはそう言って少し笑う。

「でも、わたしがきみを高く評価しているのは間違いないよ」
『ありがとうございます、提督』

 どんよりとした疲労感と精神へのダメージが、イザベラの意識を遠のかせる。危機感を覚えたイザベラは苦労して立ち上がると、コア連結室の扉を開けた。すぐそこにマリアがいる――そんな確信があった。

「ご無事で、姉様」
「やっぱりいた」

 イザベラはそう呟くと、マリアに向かって倒れ込んだ。

「姉様……!?」
「だいじょうぶ。……眠たいだけ」

 マリアはイザベラに肩を貸し、そのままイザベラの私室へと向かったのだった。

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