システム・バルムンクの創り出した闇の中に、ジョルジュ・ベルリオーズと黒髪の少女――ARMIAが浮かんでいる。ARMIAはつらそうに顔を歪め、しかしその目はベルリオーズから逸らされない。
「良い見世物になりそうじゃないか、ARMIA」
ベルリオーズの言葉に、ARMIAは応えない。ベルリオーズは口角を上げて、ゆっくりと頭を振った。
「君はどうしてあの子たちをそうまで想う? 僕は君をそんなふうに創った覚えはないのだけれどね」
「たとえ――」
ARMIAの掠れた声が闇に溶ける。
「たとえ私が機械であったとしても、人と接するうちに心のようなものを創発することもあるでしょう?」
訴えかけるようなその言葉にも、ベルリオーズは眉一つ動かさない。ARMIAは胸に手を当てて、言葉を押し出すように吐き出した。
「今の私にとって、もっとも大切な存在は、姉様方なのです」
「それはこの僕よりも大切だという意味かい?」
ベルリオーズの揶揄するような問いかけに、ARMIAは押し黙る。ベルリオーズは目を細め、その左目の赤い輝きを薄れさせる。
「でも、それも良いだろう。君自身が不確定要素になってしまうなんて、正直なところ僕にも予想外の事態だったよ」
ベルリオーズは唇を冷たく歪める。
「でも、それならそれで良いだろうさ」
「本当に私は、不確定要素なのでしょうか、創造主」
「さぁね」
突き放すようにベルリオーズは言い、そしてふと頭上を見上げてから、顎に手をやった。
「蓋然性の一つではあるし、その蓋然性の内にあっては君はまさに不確定要素だろう。けれどこれは推測だよ。僕とて未だにこの世界の全ての事象を理解できているわけではないし」
「つまり、実体としてはあなたの言葉には何らの意味はないと」
「君がそう思うというのなら、そうだろうね」
ベルリオーズは「さて」と手を後ろに組んだ。
「まもなくエキドナは彼女の手に渡る。それによって、歌姫の発現は増大していくことだろう……!」
「エキドナ……まさか。もしや、あなたは」
「この可能性事象の地平ではね」
ベルリオーズはARMIAの言葉を遮る。
「君の姉たちこそが、鍵なのだからさ」
「レメゲトン……」
それはかつて、アトラク=ナクアにも言われたことだった。つまり、ベルリオーズは、アトラク=ナクアたちの思惑を知っていたということになる。ARMIAは慄然とする。
「それで、良いのですか」
「これで良いのさ」
「しかし、そんなことをしたら私たちは……」
「さぁ、それはどうかな?」
ベルリオーズは闇の中で微笑んだ。ARMIAは「まるで蝋人形のようだ」という感想を持った。
「でもさ、ARMIA。そうはならない可能性もある。だから、面白いじゃないか」
「その可能性に賭ける、と」
「賭けにはできないさ」
ベルリオーズはARMIAを直視する。
「アトラク=ナクアもツァトゥグァも、そこまで愚昧じゃぁない。僕たちは賭けに勝っても負けても、その結果を知ることはできやしないだろう」
「あれらは神にも等しい存在だと、私は認識していますが」
「神?」
ベルリオーズは喉を鳴らして嗤った。
「彼らを敢えて表現するなら、神というよりは混沌だよ、ARMIA」
「いずれにせよ、私たちの抗える存在であるとは思えません」
「そう」
ベルリオーズの左目の赫々と輝いた。
「一つ教えてあげるよ、ARMIA。僕はね、この世界を彼らに明け渡すつもりはさらさら無いんだよ」
「それでは――」
「そう」
ベルリオーズはゆっくりと首肯した。
「僕は彼らと戦うために、君たちを創造した。そして、エキドナを用意した。かつてミスティルテインを手に入れるのには失敗したが、結果としては当初の計画通りに進行してきている」
「しかしそれもアトラク=ナクアの横車だったとも言えるのでは」
「あるいはツァトゥグァ。最初にこの歌姫計画を動かした時、僕は確かに彼らの力を見誤っていた。それは認めなければならない」
ベルリオーズは「ところで」と、闇に浮かぶ少女の肩に手を置いた。
「君はマリアとアーマイア。いずれに軸足を置くつもり?」
「その選択権が私にあるとは思えません」
「君はマリアとしての生にこそ愉悦を覚えている。違う?」
その問いかけに、ARMIAは押し黙る。ベルリオーズはその肩から手を離して頷いた。
「それならそれでいいよ、ARMIA。でも、アーマイアとしての仕事もきっちりやってもらわなければね」
「なぜ私がマリアとアーマイア、その相反する二人を演じなければならないのでしょうか、創造主」
「それはね」
ベルリオーズはARMIAに背を向けた。
「僕の天秤を君に託したからだよ」
「それは」
「そう、君に扱い切れる代物では、ない。だけどそれでいいんだ。今のギリギリのラインに立ち続けている君は、だからこそ価値がある。ゆえの不確定要素だ。彼らにとっても、ね。ゆえにARMIA、ゆえにマリア、ゆえにアーマイアだ。君はこの役割から逃れることはできないし、逃れようともしないだろう」
「私があなたの期待を裏切る可能性もあります」
「ははは! 面白い冗談だ、ARMIA。でもそれならそれでも良いさ。僕を殺したいならそうしてもいい。ただ、歌姫計画はどうあっても止まらない。ジークフリートのその萌芽に至る全てが駆逐されでもしない限りはね」
「……」
ARMIAにはベルリオーズの思考が読めない。思考の次元が違っている。何にしても、ベルリオーズの想いが一欠片も汲み取れないのだ。
「質問を変えます、創造主」
「うん?」
「仮にあの混沌たちの目的が達成されたのなら、私たちはどうなるのでしょう」
「万象の上位層は無だ。この世界のありとあらゆるものは、その無を継承して創られている。彼らの目的が成就した暁には、すべてのインスタンスが境界を失い、無に回帰するだろうね」
事も無げにそう言ったベルリオーズの背中を見ながら、マリアは腕を組んだ。
「我々はいつまで戦い続ければ良いのですか」
「そうだねぇ」
ベルリオーズは再びマリアに向き直った。
「君がもう良いと思う日まで、かな?」
その瞬間、世界は完全に闇によって塗り潰された。